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『今日も……来てくれて、ありがとう。』その言葉を聞いた美咲は、くすっと笑った。
「ふふ、私の部屋なのに、“来てくれて”って可笑しいね。」
『……うん……でも……美咲さんに会えるのが、嬉しいんだ。』
鎖につながれたままの良規は、まるで“飼われた猫”のような目をしていた。
少しやつれた頬。
伸びかけた髪。
だけどその表情には、不思議なほど安定があった。
目の前にいるのは、彼がずっと追い続けた女性。
今は彼の前にいて、食事を作り、手を拭いてくれて、名前を呼んでくれる。
“普通の恋人みたいに”。
だけど違うのは、手足に巻かれた鎖と、出入口がない部屋。
「……もう、外に出たいとは思わないの?」
そう美咲が尋ねると、良規は少しだけ間を置いてから
小さく首を振った。
『……多分、もう怖いんだと思う。外の世界も、人も……』
「そっか……。」
『……ここにいると、安心するんだ。美咲さんだけがいるから……。』
美咲の目が、一瞬わずかに揺れた。
–––––––––「……ねぇ、本当に?」––––––––––-
彼が“彼女の望む言葉”を口にしていることは、分かっていた。
だが……
それを否定する理由もなかった。
むしろ、彼が自らこの場所を望むようになること……
それこそが、美咲の“理想”だった。
–––「良規くんは、私が閉じ込めたんじゃない。自分の意思でここを選んだの」–––
夜、美咲はひとりベッドに入りながら、スマホの画面を眺めた。
そこには、過去の良規からのLINEが並んでいた。
『どこにいるの?返事してよ』
『駅の前で待ってる。絶対来ると思ってた』
『見たよ。昨日、男と話してたね。誰?』
『愛してる。誰よりも愛してる』
当時は、怖くて震えながら削除もできなかったメッセージ。
でも今は……
それが懐かしいとさえ思える。
–––「私、こんなにも求められていたんだよね……」–––
あの時、感じた……
恐怖も……
孤独も……
怒りも……
すべてを乗り越えた“今の2人”が、ここにいる。
–––––––––「もう、誰にも邪魔させない」––––––-
スマホを伏せて、眠りにつく前。
美咲は静かに、こう呟いた。
「……私たち、今、幸せだよね?」
それから数日……
美咲はふと、良規に聞いてみた。
「ねぇ、ひとつだけ……聞いていい?」
『……うん』
「私がもし、“鍵”をテーブルに置いたら……良規くんは、それを取って逃げる?」
良規は、じっと彼女の瞳を見つめた。
『……取らない』
「……どうして?」
『だって、ここに居たいから……。それだけ……。』
美咲は微笑む。
けれど……
その心の奥で、小さな“ざらつき”が広がっていった。
––-–––—「……本当に、そう思ってる?」––––––-
完全な”支配”。
完全な”愛”。
完全な”従属”(じゅうぞく)。
それを……
望んでいたはずだったのに……。
–––「良規くんが、もう自分で何も考えなくなったら……それはもう、愛ではなくなる……。」–––
支配する喜びが、いつしか空虚(くうきょ)に変わっていた。
その夜、美咲は試した。
いつものように食事を運び、言葉を交わし、扉の前に鍵を置いた。
「今日はちょっと……出かけてくるね」
良規は、黙って頷いた。
「鍵、そこに置いてあるから。……開けようと思えば、開けられるよ?」
彼は、目を伏せたまま言った。
『……行かないよ』
「本当に?」
『うん。』
「私が嘘ついて、もう戻らないかもしれないのに?」
『……それでも、行かない。』
美咲は、その言葉に胸の奥を締めつけられた。
嬉しさではない。
どこか……虚しさに近いものだった。
そして、彼女は部屋を出た。
ドアの外で、耳を澄ませる。
鍵の音はしない。足音もしない。
––––「……本当に、ここに居続ける気なんだ」––––-
自ら檻を出ない。
その“従順(じゅうじゅん)さ”が、美咲の心をどこか苛立たせた。
「なんで……そうやって簡単に、私のモノになろうとするの?」
それは、問いでもなく、独り言のようだった。
欲しかったのは“所有物”(しょゆうぶつ)じゃない。
苦しんでも、叫んでも、それでも『美咲さんが欲しい♡』と食らいついてくる狂気。
それが、彼女の望んだ“愛”の形だったのに……
今の良規は、ただ静かに従うだけ。
笑顔で、諦めて、寄り添ってくるだけ。
––––––「あの頃の良規くんは、もっと……」–––––-
そう思った瞬間、自分の心がどこか狂っていると、美咲自身も理解していた。
愛されたかったのに……。
求められたかったのに……。
今は……
それだけじゃ……
満たされない……。
「ねぇ、良規くん……次は、君が私を追ってよ。泣いて、叫んで、壊れてでも、私を手に入れたいって言ってよ……」
その声は、檻の中の彼には届かなかった。
だけど……
確かに、美咲の心の奥で、狂気がまたひとつ芽を出していた。