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三者が向かったのは、ナッキの池からナガチカが治めているハタンガの村への途中にあった、魔力と言うか、殺意? 殺気? 兎に角、強烈な暴の気配が色濃く漂っていたあの試練の水路、その直近の場所である。
少しだけ川幅が広がった場所で泳ぎを止めたナッキは、水面(みなも)から笑顔を向けてナガチカに言う。
「ここらで良いでしょ? 皆、昨日ここまで来た時に酷く怖がっていたからさっ! ここなら誰にも聞かれないでゆっくりナガチカの話を聞くことが出来ると思うよ! んで、折り入っての話って何なのぉ?」
だそうだ。
水路の脇、岸を歩いて付いて来たナガチカはナッキとサニーの前まで来ると、護岸の草の上に腰を下ろしてから話し出す。
「ええ、昨日村に来られた時は相談したいと思っていたんですけどね、群れを率いるリーダーとしてナッキ殿ならどうするのか、と…… 集団の設立時の目的と現在の村人達の希望、どちらを優先させるべきか、まあ、ありがちなジレンマなんですけどね」
「ジレンマ?」
「二つの異なる選択肢の間で板ばさみになって悩む事ですよ、私の場合は世界中の生き残っている生物を救いに旅立つべきか、それとも恐怖から逃げて村まで辿り着いた仲間達の為に留まるべきか、この二つだった訳でしてね」
「なるほど……」
ナガチカの言に激しく同意だな、元々は世界中の人々をモンスターから守る為に闘ったり、石化を防ぐ為に魔法の使い方を教える事を目的に集まったメンバーとは言え、何十年間もの間には新たに生まれた者達も居る事であろうし、リエ叔母さんやリョウコ叔母さんのような強者が亡くなって行く姿を目撃してしまった仲間達や、勿論、本人や家族、親しい者が怪我や病気になったりして、心身どちらかの理由で村に留まりたい者、いいや、留まらざるを得ない者達だって居る筈である。
それに今回の観察で判った事だが、戦闘の要(かなめ)であった『六道(りくどう)の守護者』と、石化予防の研究や罹患(りかん)者の治療を主に担っていた『オニギリ友の会』の後継者達は、ナガチカの言い様から察するに、考え方の違いから既に村を去っている事が窺(うかが)い知れる状態なのだ。
この事から何が想像出来るだろうか?
村人や村生物達の戦闘力や知性のレベルが、おしなべて低いのでは? そんな憶測は決して突拍子も無い事ではあるまい、と思う。
語弊(ごへい)が有るのは覚悟で言おう。
自ら闘えなかったり、研究者たる知性を持たずに生まれた村人達、残された彼らを庇護する為に、この場所、ハタンガに残り日々の生活を確立しようとしたのが我が父ナガチカなのだろう……
この選択を、臆病や優柔不断と誹(そし)る事は簡単だが、果たしてそうであろうか?
同じ立場に立たされた場合、誹(そし)った人々の内どれ程の割合が彼らを見捨てて旅立てるのか、私、観察者的には甚だ疑問が残るのだが…… 如何だろうか?
まあ肉親、それも一人息子の評価である…… 多分に、いいや、滅茶苦茶身贔屓(みびいき)を含んでしまっている分析かもしれないが、オーディエンスの皆さん的には如何だろうか?