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Red


『オペの件ですが、ぜひともジェシー先生にはアシスタントとしてついていただきたいと医局員一同思っています。

もちろん無理強いはしませんが、検討のほどよろしくお願いいたします』

メールの送り主は、大学病院の後輩だ。

数日前、その彼から「手術を執刀するので付き添ってほしい」との頼み事をされた。どうやらかなり難しい症例らしい。

そしてそれは、俺の得意分野だった。

しかし俺はもう、大学病院の外科医ではない。それに今は患者だ。

だから無理だと返事をすると、あのような文章が届いた。

ただ横で見ているだけで、必要なときに助言をしてほしいだけだとも言う。

でも、俺はもう何時間もオペ室に立っていられる自信がなかった。

もしかしたらそこの救急センターにストレッチャーで直行かもな、なんて自虐的に笑ってみる。

まだその日にちまでは数日ある。返事は急がず、一旦コーヒーを飲みにでかけよう。考えるのはそれからでも遅くない。




「あら、いらっしゃいませ」

喫茶ピクシスのマスターは前と同じく、涼やかな微笑みで迎えてくれた。

「いつものでよろしいですか」

お、と小さな驚きで声が出る。「わかってくれます?」

「ええ、だっていつもアメリカンを頼んでくれますから」

確かに毎回、アメリカンコーヒーを頼んでいる気がする。俺のダディーがアメリカ出身ってことは関係なく。

今日は誰もお客さんがいない。俺だけで独り占めだ。

「ねぇマスター」

それをいいことに、俺は相談を持ちかけようと思った。

「何でしょう」

マスターは、眼鏡の奥の真摯な目を向けてくる。

「実は、今度…所属してた大学病院から、手術を手伝ってほしいって言われてて。行っても大丈夫ですかね。なんか、寿命が縮んじゃう気がして」

と軽く笑う。

「行きたければ行っていいと思いますし、行きたくなけりゃそれでいいと思います」

一方のマスターは表情を変えない。「自身のお身体のことは、ご自分が一番よくわかっているはずです。だから、自分とよくお話しをするのはどうでしょうか」

「お話し…」

俺は出してもらったコーヒーをすすってから、「でも…行きたいのは山々っていうか。後輩のために駆けつけたい自分もいるけど、怖がってる自分もいる。ケンカしてるんです、頭の中で」

それは厄介ですね、とマスターは苦笑した。

「だけど、人の役に立つっていうのは楽しいことですよ。僕ももうあとどれだけ役立つことができるかわかりませんし、そんなに頼られているあなたはすごいと思います」

肩の力が、すっと抜けた。

まるで今まで自分でも気づいていなかった荷物が、下ろして初めて存在に気がついたようだった。

俺、すごいのかな。まだまだできるんじゃないかな。

「じゃあ…行ってみようかな。メス、握るわけでもないし」

マスターは小さく微笑んでいる。

空にしたカップをカウンター台に置いた。

「ごちそうさまでした。今日も美味しかったです」

「ありがとうございました。どうか頑張ってくださいね」

やっぱりここは、ふつうの喫茶店じゃない。わかり合うことができて、分かち合える。

カウベルを鳴らしながらドアを開けたとき、確かに胸のうちに小さな炎が灯っているのを感じた。

俺は最後まで、この火を消さない。


続く

時計ジカケノ羅針盤

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