テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
通知
夕方だった。
キッチンには、
まだ温かい湯気が残っている。
ーーヴッ。
確かにスマートフォンが震えた。
アプリを入れてから
家では
マナーモードにするようになった。
LINEの通知音や
ニュースアプリの更新。
音で何の通知かわかってしまうから。
夫に妙な勘ぐりをされないように。
もう詰まることのない距離感が
変わることがないように。
そして
通知音が鳴るたびに
心が揺れ動くことに疲れたから。
火を止めた鍋を、
そのままにして、
菜月はスマートフォンを手に取った。
正直、
もう期待はしていなかった。
このアプリでは、
返事が来ないことのほうが多い。
男はすぐに会いたがるか、
すぐに距離を詰めてくるか、
そのどちらかだった。
どちらも、
疲れる。
だから、
あの人には、
最初で最後のつもりで、
メッセージを送った。
返事が来なければ、
それで終わり。
このアプリも、
終わりにするつもりだった。
それなのに。
画面が、
小さく震えた。
通知。
一瞬、
息が止まる。
名前を見る。
ーー大和。
思っていたより、
少しだけ胸が鳴った。
すぐには、
開かなかった。
急ぎすぎるのが、
怖かった。
カウンターにスマートフォンを置き、
一度、深呼吸をする。
リビングでは、
テレビの音。
子供の笑い声。
その隣にいる夫は、
スマートフォンを見たまま、
こちらを見ない。
いつもの光景。
変わらない日常。
それでも、
菜月の指先は、
少し震えていた。
ゆっくりと、
画面を開く。
文章は、
短かった。
挨拶と、
ほんの一言。
それだけ。
なのに、
胸の奥が、
ふっと緩んだ。
急かしてこない。
探ってこない。
「ちゃんとしている」
そう思った自分に、
少しだけ苦笑する。
たった一文で、
人を判断するなんて。
それでも。
変な人じゃない。
少なくとも、
今までとは違う。
それが、
はっきりと分かった。
菜月は、
画面を閉じた。
すぐには、
返さない。
考える時間が、
欲しかった。
何を返せばいいかじゃない。
返してしまって、
いいのかどうか。
その答えを、
まだ持っていなかった。
スマートフォンを伏せて、
カウンターに置く。
顔を伏せて、
薄ら笑いを日常に整える。
鍋の中身は、
もう冷めている。
それでも、
火をつけ直す。
生活は、
続くから。
ただ、
心のどこかで、
小さな墓標が、
立った気がした。
それが、
何を埋める場所になるのかは、
まだ分からない。
鍋のスープはグツグツと
音を立てて湧き出していた。
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