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自分のマンションに戻って一週間
防犯設備は最新になり、宏太の影は物理的には消えた。
けれど、私の心には
高瀬くんのマンションで過ごしたあの濃密な時間という、もっと強烈な「毒」が回っていた。
「──佐藤課長、先ほどの会議の議事録です。確認をお願いします」
デスクの横に立つ高瀬くんは、完璧な「部下」の顔をしていた。
周囲の目がある職場では、彼は決して私を
「凛さん」とは呼ばないし、不必要に触れることもしない。
「……ええ、今確認するわ」
私もまた、冷徹な「鉄の女」を演じる。
でも、彼が資料を置く際
指先がほんの数ミリ触れそうになるだけで
昨夜、私の部屋に彼が「お邪魔しに」来た時の記憶がフラッシュバックする。
昨夜、彼は私の部屋のソファで、大型犬のように私に擦り寄っていた。
『凛さん、今日会社で俺に厳しすぎません? …なんかいつも以上に』
そう言って、彼は私の膝に頭を乗せ、私の手を自分の頬に引き寄せたのだ。
会社で見せるあの凛々しい表情とは正反対の、潤んだ瞳。
私は彼の柔らかな髪を指で梳きながら、彼にしか吐けない弱音をこぼしていた。
『……ごめんなさい…でも、そうしないと…』
そんな会話を交わした相手が、今は一歩引いた場所で、他人のような顔をして立っている。
「……佐藤課長。顔色が優れませんが、無理はなさらないでくださいね」
事務的な、でも私にしか分からない微かな温度を含んだ声。
周囲の社員たちは
「高瀬くんは本当に気が利く部下だ」
なんて感心しているけれど、私はデスクの下で、スカートの生地をぎゅっと握りしめていた。
(……やめて。そんな顔で、私を気遣わないで)
会社で厳しく接すれば接するほど、二人きりになった時の彼の「甘え」が恋しくなる。
そして、家で彼に甘やかされれば甘やかされるほど
会社での彼の「他人行儀」が、鋭いナイフのように私の胸を掻き乱す。
「……わかってるわ。高瀬くんも、自分の仕事に戻りなさい」
「はい。失礼します」
彼が背を向けて去っていく。
その広い背中を見送りながら、私は喉の奥まで出かかった「行かないで」という言葉を飲み込んだ。
オンとオフ、上司と部下
その巨大なギャップという溝に
私は自ら足を踏み入れ、二度と抜け出せない場所まで溺れ始めていた。
おまる