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「なに溜息ついてんだ」
秘書室に戻って帰り支度をしていると、祐人にそう訊かれた。
「いや、専務が廃墟ツアーに行こうとするので。
それが嫌なら、吊り橋だそうです」
とのぞみが言うと、祐人は笑う。
「可愛いな、専務は。
何処も吊り橋効果を狙って選んだんじゃないのか?」
「いや……前半の廃墟ツアーは、とっても趣味の匂いがします」
廃墟ツアーか、と興味を抱いたように祐人は呟く。
「何処行くんだ?」
「猿島とか、うさぎ島とか」
「猿島か。
いいな。
木々に覆い隠された要塞の島だな」
問題はそこですよ、と思う。
何故、二人での初めてのお出かけが、要塞の島?
あの人、ちょっとずれている、と思っていると、
「でも、あの島、確か、愛のトンネルとかいうのがあるらしいぞ。
薄暗くて怖いから、中に入ると自然に手をつないでしまうらしい」
と祐人が言い出した。
「よくご存知ですね」
とのぞみが言うと、
「昔、どっかの誰かに一緒に行かないかって言われた」
と言う。
へえー、とのぞみが頷いたとき、後ろで、どっかの誰かが、
「私よ」
と言った。
振り向くと、万美子が立っている。
「お疲れ様」
と冷ややかに祐人を見て行ってしまった。
「そうか、お前か」
と祐人は笑って、万美子の背に向かい言っていたが。
……振り向き様に、斜めに叩き斬ってきそうな感じなんですが。
御堂さん、意外と気配を感じない人ですね、とのぞみの方が怯える。
しかし、どっかの誰かはないでしょう、と思ったのだが。
誰が言ったのかわからないよう、万美子に気を使ってそう言……
……いそうにはない人だな、と一緒に帰り支度を始める祐人を眺める。
本当に忘れていたのだろう。
男の人って、無神経だよなあ、とのぞみは思う。
まあ、向こうから見たら、こっちも無神経なところがあるのだろうが。
「ところで、お前、今日、図書館行くか?」
「いや……行きません」
どういう流れで言ってんですか、それは、と思う。
私にキスして、専務を怒らせたばかりなのに、図書館に誘うとは。
まあ、この人の中では、私は物の数に入ってないんだろうな、と思いながら、のぞみは
「では、失礼します」
と挨拶した。
「もう帰るのか」
と祐人が訊いてくる。
はい、と頷くと、ファイルを重ねて置きながら、ひとつ溜息をついた祐人は、
「疲れてるんで、なにか小話でもしてけ」
と言い出した。
「いや、なんでですか。
私、御堂さんに小話などしたことないと思うんですが」
「昼間してたじゃないか。
猫にひかれた女の話を」
「あれ、小話じゃないですからね……」
「疲れてるときに、お前のしょうもない話を聞くと、ちょっとホッとするんだよ」
と祐人は言う。
しょうもない話とか言われると、話す気が失せるではないですか、と思いながらも、のぞみは言った。
#夢
凪川 彩絵
「そうですねー。
うち、まだファンヒーター、朝とかつけてるんですけど。
子どもの頃、ファンヒーターって、ときどき、お礼を言うなあって思ってたんですよ。
サンキューって。
でも、大人になって、よく見たら、『E9』でした」
ファンヒーターにぶつかったりして、止まると、エラーコードが表示されるのだ。
だが、子どもののぞみは、何故か、それを『39』だと信じて疑わなかった。
そもそも、39であって、サンキューではなかったのだが。
子どもの頃、一度、そうだと思い込んだら、大人になっても、なかなか疑ってみないものだ。
結構、大きくなっても、サンキューだと信じていた。
そこで、のぞみが祐人の顔を見、
「御堂さんって、感情表現が豊かですよね」
と言うと、祐人は、
「初めて言われたが……」
と言う。
「目にこのボケがと書いてあります」
「わかってるなら、もう帰れ」
と言う祐人に、
いや……貴方が言えと言ったんですよね……、と思いながらも、のぞみは、
「失礼します」
と言って、さっさと秘書室を出た。
これ以上、難癖つけられてはかなわないと思ったからだ。
のぞみが廊下に出ると、万美子が待っていた。
壁に背を預けて立つ、眼光鋭いその姿に、
ひ~っ。
まるで、ヤンキーの人に待ち伏せされてるみたいだーっ、と思うと、
「あんた、今、まるで、ヤンキーに待ち伏せされてるみたいだって思ったでしょ?」
と万美子が言ってくる。
「……万美子さんは人の心を読めるのですか?」
「その一言で、すべて白状してるようなもんだけど。
あんた、今、祐人となにか約束した?」
「してません。
私はちょっと一人で本屋さんに行くので」
と言うと、あら、そうなの、と言う。
いや、あの調子だと、確実に専務に旅行に連れてかれるな、と思ったので、せめて旅行先を調べておこうと思ったのだ。
ネットで調べるのもいいが、本の匂いを嗅ぎながら、旅先の風景を眺めるのもいい。
「でも、どっか誘われてたでしょ」
と突っ込んで訊いてくる万美子に、
「図書館ですよ」
と言うと、図書館っ、と万美子は声を上げる。
「なによそれ~っ。
学生の恋愛みたいじゃない。
いいなあ。
私も祐人に図書館に誘われたい~っ」
「じゃあ、今からご自分で誘ってみられてはいかがですか?」
と言うと、
「でも、もう帰る感じで出て来ちゃったしな~」
と秘書室を振り返りながら、迷う万美子を可愛いなと思って眺めていたのだが。
「お疲れさまです」
と営業のイケメンのお兄さんが側を通りかかった途端、万美子は急にいい女の顔になり、
「お疲れさまです」
と彼に微笑みかける。
営業さんが通り過ぎたあとで、
「……その二重人格がまずいんじゃないですかね?」
と呟くと、
「なんなのよ。
いいじゃないのよ。
祐人が駄目だったときの保険もいるでしょう~っ」
と万美子は言う。
そういえば、二人の仲が上手くいかなかったときの保険とか、なんにも考えてなさそうだな、あの人。
仕事では慎重なのにな、とのぞみは京平を思い浮かべた。
書店で雑誌を二冊買ったあと、駐車場に行こうとしたのぞみは、ん? と思って、振り返る。
人の気配を感じたのだ。
誰か私の後をつけているような……。
だが、それらしき人影はない。
みな脇目も振らずに歩いている人ばかりだ。
気のせいかなあ、と小首を傾げて、のぞみは車に乗った。
『今日は、夜は会えなかったが、なにか変わったことはなかったか』
夜、電話してきた京平に、
「ありません」
とのぞみは答える。
毒ガスの島と吊り橋に詳しくなったくらいですよ、と手許の旅行雑誌を見ながら思った。
うさぎ島は、別名毒ガスの島と呼ばれている。
昔、日本軍が毒ガスを製造していたせいで、地図から消されていた島だったからだ。
でも、今は、うさぎでいっぱいの島だ。
もふもふのうさぎが気がついたら、足許にすすすっと寄って来ていたりするらしい。
ちょっといいかも、と思い始めていた。
だが、それらの雑誌の下にある書店の袋を眺めていて、思い出した。
「そういえば、今日……」
そう言いかけ、
「ああ、いえ、なんでもありません」
とのぞみは言う。
誰かが自分をつけていた気がしたが、まあ、気のせいだろう。
そう思ったからだ。