テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第三十二話 無答の影、返事の庭防衛戦
返事の庭ができてから、冬木の地下は少しだけ明るくなった。
願いの畑。
かつて神杯の炉へ吸い込まれ、燃やされ、名前も持ち主も削られた願いの種が眠る場所。
その一角に、小さな芽が増えている。
おかえりの芽。
ごめんの芽。
見ている芽。
送別の芽。
それらは強い光を放つわけではない。
神話の樹のように巨大でもない。
世界を変える力を持つわけでもない。
ただ、小さく揺れている。
誰かが言えなかった言葉。
誰かに届かなかった祈り。
誰にも見つけられなかった願い。
それらに、士郎たちは返事をした。
叶えきれない願いにも、返事はできる。
その答えは、確かに新しい希望だった。
だが、希望が生まれる場所には、必ずそれを見つめる影も生まれる。
返事をもらえた願いがあるなら。
返事をもらえなかった願いもまた、目を覚ます。
◆
衛宮邸の朝は、すっかり予定表から始まるようになっていた。
凛が座卓の上に紙を広げる。
その横には宝石板。
さらにメディアが書いた神代術式の簡易図。
ミライの記録帳。
イリヤの卵焼き練習表。
ユイが描いた、返事の庭の小さな絵。
士郎は湯呑みを配りながら、それらを眺めた。
「なんか、本格的に管理所みたいになってきたな」
凛は即答した。
「実際、管理所みたいなものよ。神杯戦争の後始末なんて、普通の魔術師なら一生分の厄介事なんだから」
メディアは涼しい顔で茶を飲む。
「一生分で済むなら可愛いものね。神代なら国が一つ滅ぶ案件よ」
士郎は一瞬固まる。
「さらっと怖いこと言うなよ」
「事実よ」
イリヤは卵焼きの皿を置きながら言った。
「でも、国は滅んでないし、卵焼きもできたよ」
凛が少しだけ笑う。
「その二つを同列に並べるの、イリヤらしいわね」
ユイは卵焼きを見つめる。
「今日の卵焼き、丸い」
イリヤは胸を張った。
「巻き方を変えたの」
ミライが記録する。
「イリヤ料理技能、形状多様化段階へ移行」
士郎は思わず笑った。
「どんどん専門用語っぽくなるな」
そんな穏やかな朝だった。
少し前まで、神杯が空に浮かび、神々と英霊が冬木を裂いていたとは思えないほど。
だが、凛の宝石板が突然鳴った。
鋭い警告音。
全員の表情が変わる。
凛は即座に宝石板を引き寄せた。
「願いの畑から緊急反応」
士郎は立ち上がる。
「発芽か?」
「違う」
凛の声が低くなる。
「発芽じゃない。侵食反応。返事の庭の外縁に、黒い願望波が発生してる」
メディアが目を細めた。
「黒い願望波?」
ミライが自分の記録帳を開き、宝石板と同期する。
「解析開始。反応形式、神杯炉心残滓に類似。ただし燃焼炉ではなく、応答欠損領域」
ユイの顔色が変わった。
「返事がない場所」
イリヤが不安そうにユイを見る。
「ユイ、分かるの?」
ユイは胸を押さえた。
「声がする。たくさん」
その声は小さく震えていた。
「聞こえない。届かない。返ってこない。そんな声」
士郎は拳を握る。
凛が立ち上がる。
「全員、準備。今すぐ柳洞寺地下へ行くわ」
メディアが杖を手に取る。
「やっと静かになったと思えば、次は無応答の塊ね。神杯の後始末は本当に性格が悪いわ」
桜も立ち上がった。
「私も行きます」
メドゥーサはその隣に影のように寄り添う。
「サクラが行くなら、私も」
凛は一瞬だけ迷い、それから頷く。
「分かった。でも無理はしないで」
士郎は深く息を吸う。
アルトリアもアーチャーも、もういない。
イスカンダルも、クー・フーリンも、ジャンヌも、ギルガメッシュもいない。
それでも、戦いは終わっていなかった。
今ここにいる者たちで、守らなければならない。
返事の庭を。
眠っている願いを。
そして、返事を待つ影に飲まれそうな声を。
◆
柳洞寺地下へ降りた瞬間、空気が変わった。
昨日までの柔らかな金色ではない。
通路の壁に走る光の一部が、黒く濁っている。
それは神杯の黒とは少し違った。
燃える黒ではない。
吸い込む黒でもない。
空白の黒。
言葉を投げても返ってこない、深い井戸のような色。
ユイは足を止めた。
「ここ、冷たい」
イリヤがユイの手を握る。
「大丈夫?」
ユイは頷いたが、顔は強張っている。
ミライが周囲を解析する。
「応答欠損波、濃度上昇。願望種の一部が返事の庭へ向けて過反応。原因、未応答願望群の集合化」
士郎が問う。
「つまり、返事をもらえなかった願いが集まってるのか」
「肯定」
凛が険しい顔で言う。
「返事の庭ができたことで、“返事をもらえる願い”と“もらえない願い”の差ができた。その差に反応した未応答願望が、影になって押し寄せてる」
メディアが杖を構えた。
「願いそのものを敵とは言いたくないけれど、暴走すれば話は別よ」
奥から音が響いた。
ざわざわ、ざわざわと。
葉の擦れる音にも似ている。
人の囁きにも似ている。
無数の紙が破れる音にも似ている。
願いの畑へ出た瞬間、全員は立ち止まった。
返事の庭の外縁。
そこに、黒い影が群れていた。
人の形に近い。
けれど顔はない。
口だけがある。
無数の影が、返事の庭へ手を伸ばしている。
『聞いて』
『見て』
『許して』
『戻して』
『忘れないで』
『置いていかないで』
『返事をして』
『返事をして』
『返事をして』
声が重なる。
それは叫びではない。
むしろ、囁きだった。
だからこそ怖かった。
士郎は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
ミライが低く言う。
「敵性個体、仮称・無答影。未応答願望が集合し、擬似霊体化した存在」
ユイが震える。
「願いなのに、痛い」
凛が宝石を構える。
「返事の庭へ入れたら、芽が全部飲まれるわ。防衛線を作る!」
メディアが即座に術式を展開した。
地面に紫の魔法陣が走る。
「庭の内側には入れさせない。凛、左側を塞いで!」
「分かってる!」
凛の宝石が弾け、赤い魔力の壁が立ち上がる。
メドゥーサは鎖を伸ばし、桜を守るように前へ出た。
桜の影が足元から広がる。
「影で受け止めます。でも、飲み込みすぎると危険です」
メディアが言う。
「無理に吸わないで。逸らすだけでいい!」
士郎は手を前に出す。
「投影、開始」
作るのは剣ではない。
杭。
海王の錨から学んだ固定の概念。
因果の楔から学んだ結末を固定しすぎない支点。
返事の庭の境界を守るための、一時的な結界杭。
鉄の杭が十数本、士郎の周囲に現れる。
彼はそれを地面へ投げ込んだ。
「ここから先は、庭だ。勝手に踏み込むな!」
杭が地面に刺さり、淡い光の線を引く。
無答影たちがその線にぶつかり、ざわりと揺れた。
『返事を』
『返事を』
『返事を』
影の一体が線を越えようとする。
メドゥーサの鎖が走り、その腕を絡め取った。
「下がりなさい」
鎖が影を引き戻す。
だが、影は消えない。
口だけが開く。
『見て』
メドゥーサの動きが一瞬止まった。
桜が叫ぶ。
「ライダーさん!」
メドゥーサはすぐに鎖を引き締める。
「問題ありません」
だが、士郎には分かった。
無答影の声は、ただの攻撃ではない。
聞く者の中にある願いを揺さぶる。
見てほしかった願い。
謝りたかった願い。
置いていかれたくない願い。
誰の中にもあるものを、無理やり引きずり出す。
凛が宝石を投げる。
「士郎、右!」
士郎は反射的に右手を伸ばす。
「投影!」
短剣を三本投影し、右側から迫る影の足元へ撃ち込む。
刃は影を斬らない。
地面に刺さり、進行方向をずらす。
無答影は崩れ、黒い霧になって後退した。
ミライが叫ぶ。
「切断は非推奨。無答影は切ると小型化して増殖します。逸らす、止める、応答分類まで持ち込む必要あり!」
メディアが舌打ちする。
「面倒な敵ね!」
凛が歯を食いしばる。
「つまり、倒すだけじゃ駄目ってことね!」
ユイが一歩前に出ようとする。
士郎が止めた。
「ユイ!」
「でも、声がたくさん」
「分かってる。でも一人で受けるな」
ユイは士郎を見る。
士郎は続けた。
「みんなで返事する。そう決めただろ」
ユイの震えが少し収まる。
「うん」
イリヤが隣に立つ。
「私もいる」
ミライも前へ出る。
「応答分類陣を構築する。凛、メディア、支援要請」
凛は宝石を構えながら叫ぶ。
「言われなくても!」
メディアの魔法陣が広がる。
返事の庭の中央に、四つの芽が光る。
おかえりの芽。
ごめんの芽。
見ている芽。
送別の芽。
それぞれの光が、違う色の線となってミライの前へ集まった。
ミライは両手を広げる。
「応答分類陣、展開」
地面に四つの円が生まれる。
帰還。
謝罪。
承認。
送別。
無答影たちはその光を見て、激しくざわめいた。
『返事を』
『返事を』
『返事を』
ユイが震えながらも声を出す。
「聞こえてる」
影たちが動きを止める。
ユイは続ける。
「全部は返せない。でも、聞こえてる」
イリヤも叫ぶ。
「一度に全部は無理! でも、順番に聞く!」
凛が目を見開く。
「順番に、か」
メディアが笑う。
「なるほど。応答待機列ね。庭らしくなってきたじゃない」
士郎は前へ出る。
「返事が欲しいなら、庭を壊すな。ここに並べ」
凛が叫ぶ。
「士郎、その言い方だと本当に並ぶか分からないでしょ!」
しかし、無答影の一部が動きを止めた。
口だけの顔が、ゆっくりと下がる。
『並ぶ』
『待つ』
『聞こえてる?』
ミライが即座に術式を調整する。
「応答待機領域、形成可能。凛、境界設定を」
「やってる!」
凛の宝石が砕け、返事の庭の外側に新たな円が描かれる。
メディアの術式がそれを補強する。
桜の影が柔らかい土のように円の内側を包む。
メドゥーサの鎖が暴れる影だけを押し戻す。
ヘラクレスの守護結界が大きく震えた。
巨人の影が、返事の庭の背後に立ち上がる。
声はない。
だが、その存在だけで無答影の一部が後退した。
守る。
ただ、その意志。
イリヤが叫ぶ。
「バーサーカー、お願い!」
守護結界が光り、返事の庭の周囲に巨大な防壁が生まれる。
無答影たちが防壁にぶつかる。
黒い波が弾ける。
士郎は杭をさらに投影し、防壁の隙間へ打ち込んだ。
凛が宝石弾を放ち、暴走して突っ込んでくる影を押し返す。
メディアの光弾が影の足元を封じる。
メドゥーサが鎖を振るい、桜の影が受け止める。
ユイは必死に声を出し続ける。
「聞こえてる! 聞こえてるよ!」
ミライは分類陣を維持しながら、無答影の声を振り分ける。
「帰還願望、右円へ。謝罪願望、左円へ。承認願望、中央円へ。送別複合願望、奥円へ。分類不能、待機領域へ」
イリヤが叫ぶ。
「待って! 順番に聞くから!」
それは奇妙な戦いだった。
剣で斬り伏せるだけではない。
魔術で吹き飛ばすだけでもない。
押し寄せる願いを、分類し、受け止め、暴走を止め、庭を守る。
返事の庭防衛戦。
それは、士郎たちが神杯戦争の後に得た答えを、初めて本当の戦場で試される戦いだった。
◆
だが、無答影の中心に、ひときわ大きな影が現れた。
他の影よりも背が高い。
顔はない。
口もない。
ただ、胸のあたりに黒い穴がある。
声は、そこから響いた。
『返事など、来ない』
全員の動きが止まる。
その声は、これまでの影とは違った。
静かで、重い。
『待っても来ない。呼んでも来ない。祈っても来ない。だから願いは腐る。だから願いは影になる』
ユイが震えた。
「この声……」
ミライが解析しようとして、顔をしかめる。
「解析困難。無答影の統括個体。仮称、無答核」
凛が宝石を構える。
「統括個体ってことは、こいつを止めれば影も止まる?」
「可能性あり。ただし攻撃による破壊は危険。未応答願望群が拡散する恐れ」
無答核が一歩進む。
ヘラクレスの防壁が軋む。
士郎は歯を食いしばった。
ただの影じゃない。
これは返事を諦めた願いだ。
返事なんて来ない。
誰も聞いていない。
待つだけ無駄だ。
そういう絶望が形になっている。
無答核が言う。
『返事をするというなら、すべてに返せ』
黒い波が広がる。
応答待機領域にいた影たちが一斉にざわめき始めた。
『返して』
『私にも』
『先に』
『今すぐ』
『全部』
凛が叫ぶ。
「まずい、待機列が崩れる!」
メディアが術式を強める。
「煽っているのよ! 全部に今すぐ返せないなら無意味だと!」
士郎の胸が痛む。
全部には返せない。
それは事実だ。
すべての願いを救うことはできない。
すべてに答えることもできない。
神杯がそこにつけ込んだ。
願録もそこにつけ込んだ。
今度は無答の影がそこを突いてくる。
無答核はさらに言う。
『一つを選べば、他は置き去りだ』
黒い波が士郎へ向かう。
士郎の目の前に、空席が浮かぶ。
アルトリアがいた場所。
アーチャーがいた場所。
助けられなかった誰か。
聞けなかった声。
返せなかった願い。
胸が締めつけられる。
その瞬間、凛の声が飛んだ。
「士郎!」
士郎は我に返る。
凛が叫ぶ。
「一人で考え込むなって言ったでしょ!」
その声に、士郎は息を吸った。
そうだ。
一人で背負わない。
全部に一人で返事しようとしない。
士郎は無答核を睨む。
「全部には、返せない」
無答核が揺れる。
士郎は続けた。
「でも、だからって何もしない理由にはしない」
彼は手を前へ出す。
「投影、開始」
今度作るのは、武器ではない。
鐘。
冥王の死の鐘から学んだ、静かに届く音。
ジャンヌの祈りから学んだ、裁かず支える響き。
願録聖堂の頁から学んだ、閉じない記録。
小さな鐘が、士郎の手の中に現れる。
完全ではない。
歪で、ひびもある。
それでも、音は鳴る。
士郎は鐘を鳴らした。
澄んだ音が、返事の庭に広がる。
戦場のざわめきが、一瞬だけ静まる。
「今すぐ全部に返せない。でも、聞こえている」
士郎は言う。
「聞こえているって、まず伝える」
イリヤが続ける。
「順番に聞く!」
ユイも叫ぶ。
「消さない!」
ミライが声を張る。
「待機は無視ではない!」
凛が宝石板を掲げる。
「返事の庭、待機領域再構築!」
メディアの術式が広がる。
「応答不能ではなく、応答準備中。そう定義し直す!」
桜の影が優しく広がり、ざわめく影たちの足元を包む。
「ここにいていい。でも、他の芽を踏まないで」
メドゥーサの鎖が境界を描く。
「順番を乱す者は、下がってもらいます」
ヘラクレスの守護結界がさらに強く光った。
巨人の影が無答核の前に立つ。
無答核が初めて後退した。
『返事は、来ない』
士郎は鐘をもう一度鳴らす。
「今、してる」
無答核の胸の穴が揺れる。
『これは返事ではない』
「最初の返事だ」
士郎は言った。
「聞こえている。それが最初だ」
ユイが前へ出る。
「聞こえてるよ」
イリヤも隣に並ぶ。
「全部すぐには無理。でも、聞こえてる」
ミライが続く。
「未応答願望群へ告知。応答処理は開始されています」
凛が思わず言う。
「最後だけ急に事務的!」
だが、その言葉で少し空気が緩んだ。
無答影たちのざわめきが弱まる。
待機領域が再び形を取り戻していく。
無答核は黒い波を放とうとした。
しかし、ヘラクレスの防壁、士郎の杭、凛とメディアの術式、桜の影、メドゥーサの鎖が一斉にそれを抑える。
士郎は鐘を掲げる。
「この庭を壊させない。返事を待つ場所を、もう燃やさせないし、閉じ込めさせない」
無答核の胸の穴から、低い声が漏れた。
『待っても、来ないものはある』
士郎は頷いた。
「ある」
『それでも待てと言うのか』
「待たなくてもいい。怒ってもいい。諦めてもいい。でも、他の願いを壊すな」
無答核が沈黙する。
士郎は続ける。
「ここは、返事を強制する場所じゃない。返事があるかもしれない場所だ」
無答核の輪郭が揺らいだ。
完全には消えない。
だが、少しだけ小さくなる。
ミライが叫ぶ。
「無答核、後退。完全鎮静には至らず」
無答核は、返事の庭の外縁から離れていく。
その周囲にいた無答影の一部は待機領域へ残った。
別の一部は、黒い霧となって地下の奥へ消えていく。
凛が追撃しようとしたが、メディアが止めた。
「追わない方がいい。今は庭の安定が先」
凛は悔しそうに歯を噛んだが、頷いた。
「分かった」
戦いは終わった。
だが、勝ったわけではない。
無答核は逃げた。
そして、おそらくまた来る。
◆
返事の庭には、新しい領域ができていた。
応答待機領域。
そこには、まだ返事をもらえていない無答影の一部が、黒い小さな種のような形で静かに並んでいる。
凛は疲れ切った顔で言った。
「まさか、待機列まで作ることになるとはね」
メディアは肩で息をしながらも、少し楽しそうだった。
「願いの庭園管理としては、かなり高度よ。誇っていいわ」
凛は半目で見る。
「嬉しくない褒め方」
イリヤは返事の庭の芽を一つずつ確認していた。
「おかえりの芽も、ごめんの芽も、見ている芽も、送別の芽も無事」
ユイはほっと息を吐く。
「よかった」
ミライは記録帳に書き込む。
「新規分類、無答影。統括個体、無答核。応答待機領域の設置により一次防衛成功」
士郎は無答核が消えた地下の奥を見つめていた。
凛が近づく。
「士郎」
「ああ」
「追わないわよ」
「分かってる」
「本当に?」
士郎は少しだけ笑った。
「今度は分かってる。今は庭を守るのが先だ」
凛は彼をじっと見て、それから小さく頷いた。
「よし」
士郎は拳を握る。
無答核。
返事なんて来ないと諦めた願いの集合。
あれを放置すれば、返事の庭はいつか飲まれる。
だが、今すぐ倒しに行くものでもない。
倒すだけでは、おそらく解決しない。
聞こえている。
その最初の返事を、もっと強い形にしなければならない。
◆
衛宮邸へ戻ったのは夜だった。
全員、疲れ切っていた。
夕飯は簡単なものになった。
それでも温かい味噌汁があり、米があり、卵焼きがあった。
イリヤは箸を持ちながら言った。
「今日、怖かった」
ユイも頷く。
「私も」
ミライは少し考えてから言った。
「私も、怖かった。たぶん」
凛が優しく言う。
「怖いって分かるようになったのは、悪いことじゃないわ」
ミライは胸に手を当てる。
「怖い。でも、記録するだけじゃ足りない」
士郎が聞く。
「何が足りない?」
ミライは少し考えた。
「次に備える」
メディアが笑う。
「その通り。感情を得たなら、次は対策ね」
凛は宝石板を開く。
「第40話で完結……じゃなくて、私たちの予定としては、無答核を放置せず、最終的に鎮静させる必要がある。今日の戦いで分かったのは、力だけじゃ倒せないってこと」
士郎は頷く。
「でも、戦う準備はいる」
「もちろん」
凛の目が鋭くなる。
「次からは本格的に防衛だけじゃなく、無答核の発生源を探る。地下奥にまだ神杯炉心の“無応答層”が残っている可能性がある」
メディアが続ける。
「おそらく、神杯が燃やしきれず、願録にも拾われず、畑にも眠れなかった願いの残滓。いわば神杯戦争の最後の澱ね」
ユイが小さく言う。
「返事がなかった場所」
イリヤは拳を握る。
「そこにも、行くの?」
士郎は答えた。
「ああ。いつか行く。でも、準備してからだ」
凛が満足そうに頷いた。
「成長したじゃない」
士郎は苦笑した。
「言われ続けたからな」
桜が静かに言った。
「一人で行かないなら、私も行きます」
メドゥーサが当然のように続ける。
「私も」
メディアは肩をすくめる。
「仕方ないわね。ここまで来たら最後まで面倒を見てあげる」
ユイが言う。
「私も行く。声を聞く」
ミライも頷く。
「私も行く。分類する」
イリヤは士郎を見る。
「私も。返事する」
士郎は皆を見た。
アルトリアもアーチャーもいない。
多くの英霊は星へ還った。
それでも、ここにいる仲間がいる。
返事の庭を守る仲間がいる。
「分かった」
士郎は頷いた。
「みんなで行こう」
◆
深夜。
願録聖堂に、新しい頁が生まれた。
返事の庭防衛戦。
その頁には、今日の戦いが記されている。
無答影。
無答核。
応答待機領域。
聞こえているという最初の返事。
士郎の文字。
全部には返せない。でも、聞こえていると伝えることはできる。
凛の文字。
待機列まで作る羽目になった。けど、必要だった。次は防衛だけじゃ足りない。
イリヤの文字。
怖かった。でも、順番に聞くって言えた。バーサーカーも守ってくれた。
ユイの文字。
返事がない声は、冷たくて痛い。でも、聞こえてるって言ったら少し止まった。
ミライの文字。
無答核は未鎮静。次回以降、発生源調査が必要。怖い。だが行く。
桜の文字。
見ていると言うことは、守ることに似ている。影で受け止めすぎないようにする。
メドゥーサの文字。
境界を守る。庭を踏ませない。サクラも守る。
メディアの文字。
願いの管理は、戦闘より厄介。だが、術式としては非常に興味深い。
玄礼の文字。
返事がなかった願いは、記録にも収まらない。無答という空白を、どう扱うべきか。学習継続。
頁の下には、まだ大きな余白がある。
柳洞寺地下では、返事の庭の外側に応答待機領域ができていた。
そのさらに奥。
暗い地下の深部で、無答核がゆっくりと沈んでいく。
胸の黒い穴が、静かに開いている。
『返事は、来ない』
その声に、別の声が重なった。
『ならば、すべてを無答へ戻せ』
地下のさらに奥。
神杯の炉心があった場所よりも深く。
まだ誰も触れていない黒い層が、ゆっくりと目を開けた。
神杯戦争、第三十二夜。
返事の庭は、初めて本格的な襲撃を受けた。
未応答願望から生まれた無答影。
そして、それらを束ねる無答核。
士郎たちは戦い、庭を守り、応答待機領域を作った。
だが、無答核は消えていない。
返事なんて来ないと諦めた願いの奥には、まだ深い影がある。
願いは燃えない。
閉じ込めない。
眠り、芽吹き、返事を待つ。
ならば次に向き合うべきは――
返事を待つことすら諦めた願い。
第三十三話へ続く。
コメント
1件
いやあ、今回も熱かった……!「返事の庭」を守る防衛戦、敵が願望そのものっていうのがもう聖杯戦争の後日譚として深すぎるわ。無答影に無答核、「返事がない」が形になる怖さ、めっちゃ刺さった。特に士郎が鐘を鳴らして「聞こえている。それが最初の返事だ」って言い返すシーン、鳥肌立った。全部にすぐ返せなくても、ちゃんと聞く姿勢を見せるのが答えになるって、この物語のテーマだよなあ。ユイの「聞こえてるよ」連呼にもグッときた。無答核まだ倒せてないし、続きが待ち遠しい🔥 防衛戦だけじゃなくて、今度は発生源に突入する流れになるんかな。聖杯さん、いいとこで終わらせたなあ……!
1,281
560
7