テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
二人のことを思うと首を縦に降りたかったが、煜峰は目を伏せて「いいえ」と答えた。とてもじゃないが、皇太子妃の視線を受け止めきれない。
「呪符というのは文字通り、呪いの札。災いや不幸を呼び寄せる為のものです。呪われる相手にとって災いでなければ、呪符とは言えません。義姉上にとって男児が生まれることが不幸であるならば可能かもしれませんが……」
この国を含め、近郊の国々も男性を重視し尊重する傾向にある。
男性が家長となり家族を統率し、男系の血統を重視する。だから基本的に男児しか生まれない呪いにかける呪符はないとの事だったが、不可能ではないと言っていた。
呪われる側にとって不幸であれば、呪符は効果を発揮するだろうと。そうでなければ呪符の力が効くことはなく、ただの紙切れと同じ。
寺院にでも行って祈祷した方がまだマシと、呪術師は笑っていた。
「それに呪符というのは、依頼者もやはり呪いの代償は払わねばならないのだそうです。それは呪術師に支払う金銭的な負担だけの話ではなく、負の力を体に溜め込んでしまうとのことでした。兄上も義姉上も、誰かにそのような不幸を背負わせる事はお望みでは無いでしょう?」
呪符を使ってでも男児が欲しい。
一瞬、そのような考えが浮かんだかもしれない。だが清廉潔白な二人が、そんな方法に耐えられるとは思えない。たとえ男児を授かったところで、自責の念に苦しむことになるだろう。
煜峰に諭された皇太子妃はぐっと歯を食いしばり、涙を堪えた。
「今すぐ雲嵐を捕らえましょう。証拠はここにあるのですから」
「いいや。雲嵐を捕らえたところで、それで終わりになるだろう」
「何故です?! 誰の差し金で、誰から指示を受けてした事なのか吐かせれば……!」
「兄上の言う通りです。たとえ雲嵐が個人の名前を言ったところでシラを切られ、トカゲの尻尾切りに終わることは目に見えております。これまで雲嵐の作品を贈ってきた者が誰だったのかを思い浮かべれば、義姉上も背後に誰が居るのか察しはつくでしょう?」
桜綾皇太子妃だけでなく、暁明の他の妻にも雲嵐の作品は贈られている。
贈り主はそれぞれ別の人物だが、辿っていけば必ず浮かび上がってくる人が居る。
「胡一族ね」
「間違いないでしょう。胡淑妃の子を皇帝に据えるため、動いているものかと」
朝廷において大きな力を持つ胡一族。
中書令の要職に就く家長をはじめとして、娘の内一人は淑妃であるし、息子や親戚も中央官として働く者が幾人もいる。そして当然の如く、官女にも。
常に注意を怠らないようにしている皇后も、胡淑妃のことは比較的信頼している様子だった。
だからこそ暁明皇太子は胡一族からの贈り物を快く受け取っていたし、好意的に見ていたのだが……。
「母上が聞いたら、さぞ悲しまれるだろうな。お前の言う通り、もっと警戒するべき相手だった」
あからさまに敵意を剥き出しにしてくる者はまだいい。敵か味方かはっきりとしているので、警戒しやすい。
胡淑妃のように、味方に見える者が一番危険だ。気付かないうちに毒を盛られ、じわじわと内側から壊されていくのだから。
胡淑妃の息子で異母兄弟の志勇皇子も、いかにも暁明皇太子を慕っているかのように振舞っていたが、煜峰はどうにも胡散臭いと思わずにはいられなかった。
自分が暁明皇太子を慕う気持ちと、志勇皇子の気持ちとが同じだとは到底思えなかったから。
もしかしたら自分は妬いているのかと考えたりしたが、やはり煜峰の勘は当たっていた。
「私が幼い頃毒を盛られそうになった際、胡淑妃に助けられたことがある。母上も私もその一件以来、胡氏を信頼していたというのに」
暁明が皇太子になるよりもずっと以前、煜峰が生まれる前の話。
幼い子を持つ妃同士、子育ての悩みでも気軽に話したらどうかと、今は亡き皇太后の提案で茶会が開かれた。
その時暁明の飲もうとした茶に毒が入っており、そのことに気付いたのが胡淑妃だったと言う。
「その話ならわたくしも、皇后様にお聞きしました。暁明様の隣に座っていらした胡淑妃が、自分の茶と暁明様に渡された茶の色が僅かに違う事に気が付いたことから、難を逃れたと」
皇太子妃の話に同意するように、暁明皇太子が頷いた。
「茶を入れて渡した宝林は、それで極刑に処されたのだ」
「自作自演だった可能性もあるでしょう」
「自作自演でなんの落ち度もない者を殺したと言うのか?!」
宝林という位は後宮の中でも低い身分。彼女も皇女を産んでいたので茶会に呼ばれていた内の一人だったが、他の位の高い妃嬪と同じように茶を飲むことははばかり、茶くみを申し出たという。
「今でこそ刑部の実権を握っておられるのは暁明兄上ですが、当時の刑部の長官は胡中書令の奥方の兄です。処罰を下したのは皇太后様でも、刑が執行される所を見て確認されたわけではないはず。せいぜい、刑が執行されたと報告を受けたくらいでしょう」
「その宝林をこっそり逃がしたと?」
「後で必ず逃がすからと大金を握らせて、二度と皇宮へ戻って来れない程遠くへ……そうですね、国外にでも送ったと考えるのが妥当でしょうか。皇女を産んだとはいえその宝林は、相当生き辛かったかと思われますし」
あるいは確実な口封じの為に、逃がした後で殺されたかもしれないが……。
権力をものにしたい輩は、人の道を踏み外すことを全く厭わない。そうやって亡くなっていった人が、どれほどこの皇宮にいるだろう。
宝林はもともと九嬪の内の充媛付きの侍女だったが、皇帝の子を身篭り宝林の位を授かった。
充媛には子は居なかったのに、先に子を授かってしまった事で彼女は嫉妬の対象になり、相当な虐めにあっていたことは想像にかたくない。
一生、辛い後宮から出られないと思っていたところに大金を積まれ、外に出られると持ち掛けられたら……。
どの道生き地獄だった彼女は、計画に手を貸したとしてもおかしくはない。
宝林の産んだ娘も皇族の身分を剥奪され、流刑に処されたと記録されているが、実際のところはどうなのか分からない。
そもそも犯行に及んだ理由も曖昧で、皇子を産んだ皇后が恨めしかったからと記録されているが、皇子を産んだ妃嬪なら他にもいるし、皇后と宝林はこの時初めて、まともに顔を合わせた仲だという。
何故皇后の子を狙ったのか判然としないまま、事件は解決済みとされてしまっている。
コメント
1件
いやあ、めちゃくちゃ面白かったです……!呪符の話から胡一族の暗躍まで、じわじわと雲行きが怪しくなる展開がたまらないですね。特に、過去の毒茶事件が「実は自作自演で、宝林は逃がされたかも」って考察、ゾッとしました。煜峰の冷静な推理と、それにショックを受けつつも受け止める皇太子夫妻の空気感がすごくリアルで、読んでるこっちまで息が詰まりそうでした。次が気になりすぎます!
#異世界転移
花月夜れん
2,559
設楽理沙
880
耀聖(ようせい)
269
耀聖(ようせい)
855