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第43話「エルフの百四十三年分のカルテ」
月曜日。
午前十時。
営業企画部。
森野リリカは。
スマートフォンを耳に当てたまま。
黙っていた。
電話の相手。
医師。
高橋雅人。
以前。
水族館で出会った。
二十二歳の娘が。
細胞の老化に関係する。
珍しい病気を抱えている。
高橋が言う。
『血液も』
『遺伝子提供も』
『今はお願いしません』
「はい」
『まず』
『森野さんの健康状態と』
『これまでの医療歴を』
『聞かせていただけませんか』
森野。
「医療歴……」
『もちろん』
『話したくないことは』
『話さなくて構いません』
森野は。
少し考える。
「分かりました」
相沢直人が。
顔を上げる。
月島セシルも。
見る。
森野。
「お話だけなら」
『ありがとうございます』
電話終了。
相沢。
「受けるの?」
「話だけです」
「大丈夫?」
「分かりません」
耳。
動かない。
本当に。
分からない。
月島が言う。
「百四十三年分ですよね」
森野。
「はい」
「覚えてます?」
「だいたい」
相沢。
「全部?」
「全部ではありません」
「病気したことある?」
森野。
「ありますよ」
「エルフも風邪ひく?」
「ひきます」
「インフルエンザ」
「たぶん何回か」
「虫歯」
森野。
止まる。
相沢。
「ある?」
「ありません」
ぴく。
月島。
「あるんですね」
森野。
「一本だけです!」
田中美咲。
遠くから。
「エルフも虫歯になるんだ!」
森野。
「そこだけ聞かないでください!」
土曜日。
大学病院。
小さな会議室。
高橋。
森野。
相沢。
そして。
森野の希望で。
月島も同席。
高橋。
「ありがとうございます」
森野。
「最初に確認します」
「はい」
「採血しません」
「しません」
「髪も渡しません」
「はい」
「唾液も」
「取りません」
「耳も」
高橋。
「耳?」
「触りませんよね?」
「触りません」
相沢。
笑う。
森野。
「何ですか」
「いや」
「重要です」
高橋。
「今日は」
資料を開く。
「お話だけです」
森野。
少し安心。
質問。
「大きな病気をしたことは?」
森野。
考える。
「肺炎」
高橋。
「いつ?」
「明治四十四年」
高橋のペン。
止まる。
「……西暦では?」
森野。
「一九一一年です」
「なるほど」
相沢。
「普通に百年前が出てくる」
森野。
「百年以上生きてますから」
高橋。
「入院は?」
「しました」
「どちらへ?」
森野。
「病院名」
考える。
「もうありません」
高橋。
「そうですよね」
次。
「骨折は?」
「二回」
「いつ?」
「一回は昭和九年」
「もう一回は?」
「平成十二年」
相沢。
「急に最近」
森野。
「二〇〇〇年ですよ」
「俺には最近」
「私にも最近です」
高橋。
「治る速度は?」
森野。
「人間と同じくらいだと思います」
月島。
「私も同じです」
高橋。
「傷が瞬時に治るようなことは?」
二人。
「ありません」
高橋。
「再生能力が高いわけではない」
森野。
「たぶん」
「では」
高橋が聞く。
「エルフの長寿は」
「はい」
「病気にならないからではない?」
「違います」
森野は答える。
「病気になります」
「怪我も?」
「します」
「では」
「はい」
「老化速度が遅い?」
森野。
少し考える。
「たぶん」
「たぶん?」
「自分では分からないんです」
「なるほど」
「毎日鏡を見て」
「はい」
「今日も老化が遅いな、とは思いません」
相沢。
笑う。
森野。
「笑わないでください」
高橋も。
少し笑う。
「確かに」
次。
「初潮は?」
森野。
停止。
相沢。
「俺」
立つ。
「外出ようか?」
森野。
「お願いします」
月島。
「私も?」
森野。
「月島さんはいてください」
相沢。
「差別」
「必要な配慮です」
廊下。
相沢。
自動販売機。
コーヒー。
二十分後。
扉。
開く。
森野。
「終わりました」
「何聞かれた?」
「言いません」
「はい」
耳。
ぴく。
「絶対言いません」
昼休憩。
病院の食堂。
森野。
月島。
相沢。
高橋。
高橋が言う。
「正直」
「はい」
「想像していたものと違いました」
森野。
「何が?」
「エルフの長寿です」
「どう想像してたんですか」
「もっと」
高橋は。
言葉を選ぶ。
「特殊な身体機能があるのかと」
森野。
「普通です」
「ですね」
「風邪ひきます」
「はい」
「虫歯も」
相沢。
「一本」
森野。
「言わなくていいです!」
高橋。
笑う。
しかし。
すぐ真面目になる。
「娘の病気は」
森野。
表情を変える。
「はい」
「細胞が」
「……」
「通常より早く」
「……」
「老化してしまいます」
森野。
黙る。
「だから」
高橋は言う。
「逆に」
「はい」
「老化が極端に遅い可能性があるエルフの身体を」
「……」
「調べたいと考えました」
森野。
「分かります」
「ただ」
「はい」
「森野さんを」
高橋は。
はっきり言う。
「娘のための材料にするつもりはありません」
森野の耳。
静か。
「ありがとうございます」
「もし」
「はい」
「今後」
「……」
「少しでも嫌だと思ったら」
「はい」
「その場で終わりにしてください」
森野。
高橋を見る。
「先生」
「はい」
「娘さん」
「はい」
「今は?」
高橋。
少し間。
「治療を続けています」
「会えますか?」
高橋が。
驚く。
「娘に?」
「はい」
「どうして?」
森野。
少し考える。
「私」
「はい」
「まだ」
自分の耳に触れる。
「何か提供するとは」
「……」
「言えません」
「もちろんです」
「でも」
「はい」
「私の身体を調べたい人じゃなくて」
高橋を見る。
「その先にいる人を」
「……」
「一度見ておきたいです」
高橋は。
しばらく黙る。
「本人が」
「はい」
「会いたいと言えば」
「お願いします」
午後二時。
病室。
女性。
ベッド。
高橋の娘。
高橋結衣。
二十二歳。
実年齢より。
かなり年上に見える。
結衣が。
森野を見る。
最初。
驚く。
そして。
「本当に」
「はい」
「耳長い」
森野。
「そこですか」
結衣。
笑う。
「ニュースで見ました」
「ありがとうございます」
「百四十三歳?」
「はい」
「私より」
「百二十一歳上です」
「すごい」
森野。
「最近」
椅子に座る。
「年齢差を計算されることに慣れました」
結衣。
「彼氏とも百歳以上違うんですよね」
森野。
固まる。
相沢。
病室の入口。
笑う。
森野。
「そこまでニュースになってるんですか?」
結衣。
「有名ですよ」
「恥ずかしい」
二人。
少し話す。
病気。
ではなく。
仕事。
食べ物。
動画。
恋愛。
結衣。
「会社員なんですよね」
「はい」
「楽しいですか?」
「月曜日は嫌です」
相沢。
「前は月曜日も嫌じゃないって言ってなかった?」
森野。
「最近忙しいんです」
結衣。
笑う。
「普通ですね」
森野。
「普通です」
その言葉。
森野は。
少し嬉しかった。
帰り。
病院。
相沢と森野。
二人。
歩く。
「どうする?」
相沢が聞く。
「何を?」
「研究」
森野。
長く黙る。
「怖いです」
耳。
動かない。
「うん」
「一度提供したものは」
「うん」
「完全には戻せない」
「うん」
「私だけの問題じゃない」
「月島さんとか」
「はい」
「母とか」
「はい」
「他のエルフにも関係する」
「うん」
森野は。
病院を振り返る。
「でも」
「うん」
「結衣さん」
「……」
「二十二歳でした」
「うん」
「私」
「うん」
「百四十三年も」
少し間。
「生きてるんですよ」
相沢は。
何も言わない。
森野。
「不公平ですね」
「……」
「寿命って」
相沢。
「そうだね」
森野は。
歩き出す。
その夜。
エルフ側。
オンライン会議。
榊原。
エリアス。
月島。
アリア。
森野。
森野が。
提案する。
「限定的な協力を」
全員。
見る。
「考えたいです」
榊原。
『血液?』
「まだです」
エリアス。
『遺伝子?』
「それもまだ」
「まず」
森野は言う。
「昔の健康記録」
「それから」
「現在の一般的な健康診断」
「それだけ」
アリア。
『それで何か分かる?』
「分からない」
『なら』
「でも」
森野。
画面を見る。
「何もしなければ」
「絶対に何も分かりません」
沈黙。
エリアスが。
静かに言う。
『条件が必要です』
森野。
「はい」
『研究目的の限定』
「はい」
『第三者提供禁止』
「はい」
『商業利用禁止』
「はい」
『本人の撤回権』
「はい」
『そして』
エリアス。
『エルフ全体の秘密を』
『森野一人が背負わないこと』
森野。
少し黙る。
「はい」
翌週。
高橋へ。
森野は。
条件付きで。
第一段階の協力を伝えた。
採血なし。
遺伝子なし。
細胞採取なし。
問診。
過去の医療記録。
一般健康診断。
そこまで。
高橋は。
受け入れた。
そして。
一か月後。
結果。
大学病院。
高橋。
資料を前に。
森野。
相沢。
月島。
高橋の表情。
少し変だった。
森野。
「何かありました?」
「あります」
「悪いもの?」
「違います」
高橋。
資料を見る。
「森野さん」
「はい」
「あなたの現在の身体状態」
「はい」
「いくつかの指標では」
少し間。
「二十代後半の人間と」
「ほとんど変わりません」
相沢。
「見た目通り?」
「かなり」
森野。
「それは」
「はい」
「予想してました」
「問題は」
高橋が。
別の紙を出す。
「こちらです」
「何ですか?」
「三十年前」
「……」
「森野さんが受けた健康診断の記録が」
「はい」
「残っていました」
森野。
「本当ですか?」
「はい」
「比較しました」
高橋が。
二枚の検査結果を。
並べる。
「三十年前と」
「……」
「現在」
森野。
見る。
相沢も。
見る。
高橋。
「ほとんど」
静かに言う。
「変化がありません」
森野の耳。
動かない。
高橋。
「森野さん」
「はい」
「あなたは」
資料を見る。
「単に長寿なのではなく」
一拍。
「少なくともこの三十年間」
「身体的な老化が」
「ほぼ進んでいない可能性があります」
相沢は。
森野を見る。
森野。
百四十三歳。
見た目。
二十代。
今まで。
なんとなく。
そういうものだと。
思っていた。
だが。
初めて。
数字として。
示された。
そして。
高橋が。
もう一つ。
言った。
「もし」
「この仕組みが」
「娘の病気と」
「正反対の現象だとしたら」
森野は。
資料を見たまま。
動かなかった。
コメント
1件
みぅです🤍🥀 第43話、読み終わりました。 森野さんの「普通」っていう言葉、すごく響きました。百四十三年生きてきて、初めて数字として老化のなさを見せられて、それでも「普通です」って言える強さと脆さが、切なかったです。 結衣さんに「普通ですね」って言われて、嬉しそうだったのも……。彼女にとっての「普通」がどれだけ貴重か、考えさせられました。 高橋先生の娘さんの病気と、森野さんの身体が「正反対」って示唆されるラスト、ゾクッとしました。次が気になります。