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冬の朝は風がとても静かだった。 空気が澄みきっていて、空が遠くに感じる。
そんな中、一人の少年が重たそうな息を吐きながら、山の石段を登っていた。
白い息がふわっと舞う。
小さな足取り。けれどまっすぐな目。
生神紫苑(いくかみしおん)六歳。
紫苑は病院を抜け出して出雲大社の奥、誰も近づかない古びた社を目指していた。
「はぁっ…はぁっ…もうっちょっと…っ」
病弱な体には石段はきつかった。けれど、紫苑は途中で一度も休まなかった。
「この中にいるんでしょ?」
社の前に立つと、紫苑はそう言って静かに目を閉じた。
あたりには誰の気配もない。
でも、紫苑には『確かに』感じられた。
風のような、けれど温かい『何か』が自分を見つめていることを…
「あのね、僕病気なんだ、あと半年しか生きられないって先生が言ってた。……でも死にたくない。」
ポケットから小さな絵馬を取り出す。
そこには、幼い字で願いが書いてあった。
『びょうきがなおりますように』
「神様って願いを叶えてくれるんでしょ?だったらお願いだよ…僕を助けて。」
その時だった。冬の風がふわりと吹いた。
絵馬が宙を舞い、紫苑の手からふわりと離れていく。
それを追いかけるように彼の目が開いた。
「……あ」
そこに、彼女が経っていた。
白い着物の少女。透き通るような肌に風のように揺れる髪。
その姿は現実味がなく、でも確かにそこに存在していた。
彼女――いや神様は困ったような顔をして言った。
「どうして君には見えるの?」
「なんとなく…そんな気がした。そしたら本当にいた。神様…なんでしょ?」
神様はそっと頷いた。
本来なら、人に見られることも、声をかけられることもない存在。
けれど、この少年だけはなんの抵抗もなく彼女の姿を見て声をかけてきた。
不思議だった。けれど、それ以上に嬉しかった。
「ねぇ、直してくれる?僕の病気」
「ごめんなさい。私は願いを叶える力は持ってないの。」
紫苑はしばらく黙っていた。
でもやがて顔を上げ、少しだけ笑った。
「そっか、でもいてくれるだけでもいいよ。一人じゃないって思えるから。」
その言葉に神様の心がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
初めて、人の言葉に心を揺さぶられた。
神様は名前のない存在だった。
形を持たず、ただ願いの気配に寄り添う風のようなものだった。
でも、この瞬間――
風のような彼女の中に一人の少女として命が生まれたようか気がした。
「君の名前は?」
紫苑が訪ねると神様は少し考えたあと、首を横にふった。
「ないの、神様には名前はないから」
「そっか、でも神様って呼ぶのはなんか変だよね。」
「じゃあさ今度一緒に考えよう?」
神様はそっと笑った。
それは、百年間もの間一度も浮かべたことのない笑顔だった。
その日から、神様は彼のそばを離れなかった。
白くて柔らかい風、声なき風。
それは誰にも見えない神様の姿だった。