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「おい……」
無下に振り払うことも出来ず、戸惑っている伸を抱きしめたまま、彼は、事もなげに言った。
「今夜は、ここに泊まる」
「駄目だよ!」
「どうして?」
「お母さんが帰って来たとき、行、いや、君がいなかったら心配するだろ」
「じゃあ、今からママに電話するよ」
「えっ?」
状況が飲み込めずにいるうちに、彼は、ベッドの下に脱ぎ捨てた服の中から、スマートフォンを拾い上げて、何度かタップした後、耳に当てた。
「おい、ちょっと」
伸を無視して、彼は、裸のままベッドに腰かける。
「……あ、ママ? 急にごめん。今日は、よそに泊まるよ。……うん? 恋人の家だよ。……うん、そう。……うん、わかった。……じゃあね」
電話を切り、体をひねって伸の顔を見た彼は、にっこり笑って言った。
「これでいいでしょう?」
「いいのか? あんなこと言って」
「あんなことって?」
そう言いながら、両足をベッドの上に引き上げて、再び、伸の横にぴたりと寄り添う。
「だから、恋人の家に泊まるなんて……」
「いいんだよ。ママはいつも、恋人が出来たら教えなさいって言っていた。でも僕は、一度も恋をしたことがなかったから、今日、やっと報告することが出来てうれしい」
「だけど、いきなり泊るとか、それに……」
相手は男で、しかも親子と言ってもいいくらい年が離れているのだ。
「ママは、僕のことを信じてくれているし、いつも、あなたが本気で好きになった人なら、ママは何も言わないから、責任を持って付き合いなさいって言っているよ」
「でも、多分こういうことは想定していないんじゃないかな。まさか、かわいい息子の恋人が、おじさんだとは……」
「伸くんは、おじさんじゃないったら。それに、ママのお店にはトランスジェンダーの人もいるし、友達にゲイバーのママもいるし、ママは、そういうことは気にしないよ」
果たしてそうだろうか。他人のことはよくても、自分の息子のことになったら、また別なのではないか。
シングルマザーの伸の母でさえ、近頃では、恋人の存在や結婚について、さりげなく探りを入れて来るのだ。おそらく伸には、普通に結婚をして、子供の親になってほしいと思っているのだろう。
そして、あっけらかんと話す彼を見ているうちに、わかったことがある。彼が、行彦の生まれ変わりであることは間違いないと思うが、それと同時に、彼の中には、当たり前に、有希としての経験や記憶がある。
つまり、行彦としての記憶がよみがえったことによって、一つの体の中に、二つの人格が存在することになったのだ。封印を解いたのは、伸だ。
伸は、動揺を隠して尋ねる。
「お母さんは、なんて言っていた?」
「明日、くわしい話を聞かせてって」
「そうか……。でも、なんて言うつもり?」
まさか、前世で幽霊のときに会ったなどと言うわけにはいかないだろう。たとえ、それが紛れもない事実だとしても。
彼は、伸の腕を取り、肩の上に頭を預けて言った。
「アルバイトの申し込みに行って、緊張して具合が悪くなったときに優しく介抱してくれて、それで好きになったっていうのはどう? あながち嘘でもないでしょう?」
「介抱はしていないけど……」
彼が笑う。
「伸くんは真面目だな。細かいところはいいんだよ。さすがに本当のことは言えないもん」
そのへんは、わきまえているのだなと思う。だが、ふと気がついて言った。
「明日は学校があるんじゃないの?」
「うん」
「じゃあ、早く起きて、学校に間に合うように帰らないと」
「そうだね。こんなことなら、制服を持って来るんだったなぁ。そうすれば、直接学校に行けたのに」
真面目なのか不真面目なのか、よくわからないが、ちゃんと学校に行く気はあるらしい。
伸は、年上らしく言った。
「早くシャワーを浴びておいで。パジャマ代わりに、何か着替えを用意しておくから」
彼が、伸の腕をぎゅっと抱きしめながら、甘えるように言った。
「一緒にシャワー浴びたいな。でも、やっぱり、ちょっと恥ずかしいかな……」
すでにもう、ずいぶんと恥ずかしいことをしているが、一緒にシャワーを浴びるのは、また別の恥ずかしさがあるかもしれない。それは、伸にも、なんとなくわかる気がする。
後からシャワーを浴びて、パジャマに着替えて部屋に入って行くと、伸のTシャツとハーフパンツを身に着けた彼は、寝息を立てて、ぐっすり眠っていた。伸は、そのあどけない寝顔を見下ろしながら、わずか半日ほどの間に起こった怒涛のような出来事を思い返す。
話す相手もいないが、いったい誰が、こんな話を信じるだろう。伸自身も、未だ夢を見ているようで、とても現実に起こったことだとは思えない。
だが、実際に、行彦の生まれ変わりである彼は、こうして目の前にいて、先ほどまで、激しくお互いの体を貪り合っていたのだ。
今日の午前中まで、自分は、従業員に「主任」と呼ばれるだけで、誰からも下の名前で呼ばれることのない、孤独な中年男だったのに……。
灯りを消し、彼の横に、そっと体を滑り込ませたが、なかなか眠りは訪れなかった。
翌朝早く、朝が苦手らしい彼を苦労して起こし、なんとかトーストを食べさせた。タクシーを呼んで乗せ、見送った後、部屋に戻ると、どっと疲れが出た。