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ゆうき あきや
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#心理描写重視
第86話:疲れた大人たちの聖域(サンクチュアリ)〜神獣の寝息と、春の夜のフリートーク〜
「……はい、本日のご相談はこれにて終了とさせていただきます。明日もまた、あなたのペースで歩んでみてください。お電話、ありがとうございました」
時計の針が、深夜零時を回った頃。
俺、アキヤは黒いヘッドセットをそっと外し、居間のローデスクの上に置いた。
限界集落の夜は、都会のそれとは全く違う。
遠くを走る車の音も、絶え間なく明滅するネオンの光も、酔っ払いの喧騒も、ここには一切存在しない。
聞こえるのは、春を告げる微かな虫の音と、裏山の木々を揺らす優しい風の音だけだ。
「ふぅ……。今日も色々な人がいたな」
俺は小さく伸びをして、ジンバルに固定されたスマホの画面に目を向けた。
『アキヤ先生、今日もお疲れ様でした』
『今日も最高の相談室だった……心が洗われたよ』
『声聞いてるだけで安眠できる』
『まだ配信切らないで……もう少しだけこの空間にいたい』
お悩み相談の受電枠は終了したというのに、同接数は減るどころか、三百万人を超えたまま静かに推移していた。
画面の向こうにいるのは、仕事に疲れ、人間関係に悩み、明日の朝が来ることに怯えている、世界中の「疲れた大人たち」だ。
彼らは皆、この限界集落から発信される静寂と温もりを求めて、夜の闇の中でじっと息を潜めている。
「……そうだな。今日は週末だし、もう少しだけ配信を回したままにしようか。ただのフリートーク……いや、もはやトークすらしないかもしれないが」
俺は立ち上がり、台所へ向かって鉄瓶でお湯を沸かし始めた。
シュンシュンと湯気が上がる音。急須に茶葉を入れる、カサッという音。そして、お湯を注ぐトクトクという静かな音。
それらすべての生活音が、高性能なマイクを通して、極上のASMRとして世界中に配信されていく。
温かいほうじ茶の入った湯呑みを持って居間に戻ると、そこには言葉を失うほどの「平和の象徴」が広がっていた。
俺の座布団の真ん中では、神獣シロが完全に液状化して、真っ白な大福餅のような姿で眠りこけている。
『スゥ……スゥ……』と、微かに聞こえる規則的な寝息。
そのすぐ隣では、キタキツネの兄弟、コン吉とコン次郎が、互いの黄金色の尻尾を抱き枕にするようにして、丸くなって眠っていた。
そして、部屋の隅の長座布団では、相談室の助手として夕方からずっとメモを取ってくれていた小春ちゃんが、ペンを握ったままスヤスヤと寝息を立てている。
「……見事に、全滅だな」
俺は足音を忍ばせ、彼らを起こさないようにそっと定位置に座り、ほうじ茶を啜った。
ジンバルのカメラを、眠りこけるもふもふ達と小春ちゃんへと向ける。
途端に、チャット欄のコメントの流れる速度が、まるで深夜の雪が降り積もるように、ゆっくりと、そして優しく変化した。
『(小声)ああ……天使たちが寝ている……』
『なんだこの圧倒的な癒やし空間は……』
『画面からマイナスイオンが出てるぞ絶対』
『シロ様のお腹が上下してるの見てるだけで、涙出てきた』
『明日も仕事だけど、なんか頑張れそうな気がしてきた』
Y旧ツイッタラーたちの間でも、「世界で一番静かで、世界で一番贅沢な深夜配信」として拡散され始め、世界中の人々がこの小さな画面に集い、ただ動物たちの寝顔を見つめている。
そんな静寂の中、画面に極彩色のMeTubeギフトが浮かび上がった。
しかし、いつものような派手な通知音は鳴らない。シロの放つ絶対的なオーラが、電子音すらも「心地よい微音」へと自動的に減衰させているのだ。
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)=”Shhh… I am sending this quietly so as not to wake the holy creatures. Good night, Master.“(シーッ……神聖な生き物たちを起こさないよう、静かに送るぞ。おやすみ、主よ)』
『(スイスの銀行家からの¥50,000MeTubeギフト)=”This silence is the ultimate luxury. My stressed portfolio is sleeping peacefully.“(この静寂こそ究極の贅沢だ。私のストレスに満ちたポートフォリオも安らかに眠っているよ)』
『(ハリウッド女優シャーロットからの$500MeTubeギフト)=”Sweet dreams, Koharu. Sweet dreams, Shiro. I will sleep with you from across the ocean.“(いい夢を、小春。いい夢を、シロ。海の向こうから、私も一緒に眠るわ)』
いつもは世界経済を揺るがすような額を乱れ撃ちするVIPたちも、今夜ばかりはまるで寝室の扉をそっと閉める親のように、優しい言葉だけを静かに置いていった。
俺は湯呑みを両手で包み込み、その温もりを感じながら、ポツリと口を開いた。
声を張る必要はない。ただ、独り言のように呟くだけでいい。
「……ブラック企業で働いていた頃。終電を逃して、深夜の誰もいないオフィスで、一人でパソコンの画面を睨み続けていた夜がありました」
俺の静かな声に、三百万人のリスナーが耳を傾ける。
「暖房は切られ、外は凍えるように寒くて。コンビニの冷めた弁当を食べながら、『俺はなんでこんなことをしているんだろう』って、何度も思いました。明日が来るのが、恐ろしくて仕方がなかった」
当時の、底なし沼のような絶望感。
自分の命を削って、誰かの作った数字(ノルマ)を追いかけるだけの、空っぽの日々。
「でも、今は違います。俺が全財産を投じて買ったこの山に、帰る場所がある。足元には、無防備に腹を見せて眠る動物たちがいて、隣には、誰かのために一緒に泣いてくれる優しい女の子がいる。……そして、画面の向こうには、こうして静かな夜を共有してくれる、世界中の皆さんがいる」
俺は、シロの純白の毛並みを、そっと人差し指で撫でた。
シロは眠ったまま『クルル……』と小さく喉を鳴らし、俺の指に頭を擦り付けた。
「……最高の夜ですね」
『主……(号泣)』
『ダメだ、アキヤの言葉で涙腺崩壊した』
『俺も今、夜勤の休憩中だ。主の配信見てたら、少しだけ心が軽くなったよ』
『ブラック企業時代の話、痛いほどわかるわ……生きててよかったな、主』
『この限界集落は、俺たち疲れた大人の「聖域」だよ』
チャット欄は、世界中の大人たちの共感と、静かな涙で溢れかえっていた。
これ以上の感動的な言葉は、今の俺のキャラには似合わない。
俺は少しだけ照れ隠しをするように、静かに咳払いをし、いつもの『限界言い訳タイム・深夜のASMR編』を発動した。
「……皆さま。心が洗われたような気になっているかもしれませんが、これはただの物理的な音響効果に過ぎません。シロやキツネたちの寝息は『1/fゆらぎ』と呼ばれる、自然界に存在する規則的かつ不規則なリズムを刻んでいます。さらに、古民家の木材が吸収する微小な反響音が『ピンクノイズ』を発生させ、皆さまの副交感神経を強制的に優位にしているだけです。ええ、これは感動でも魔法でもなく、極めて科学的な『自律神経のハッキング』ですね」
俺が理不尽な音響工学の言い訳を静かに語り終えると。
「むにゃ……。お兄さん……」
部屋の隅で寝ていたはずの小春ちゃんが、目を閉じたまま、寝言のようにポツリと呟いた。
「もう……理屈っぽいですよぉ……。素直に、シロちゃんの癒やし魔法だって……認めればいいのに……すぅ……」
『小春ちゃんの寝言ツッコミきたああああ!!www』
『寝てても主の言い訳を許さないスタイルww』
『自律神経のハッキング(魔法)』
『適応力バグおじさん、ついに寝ている少女にまで論破されるww』
『最高すぎるだろこの空間www』
俺の理屈っぽい言い訳と、小春ちゃんの無防備すぎる「寝言ツッコミ」に、リスナーたちは声を殺して笑い転げた。
「……ふっ。寝ている人間にまでツッコまれるとはな」
俺は苦笑いしながら、小春ちゃんに薄手の毛布を掛け直してやった。
「さて、そろそろ配信を切ります。世界中の皆さま、今日一日、本当にお疲れ様でした。明日が、今日よりも少しだけ良い日になりますように」
俺はカメラに向かって静かに微笑みかけ、配信の終了ボタンをタップした。
プツン、と画面が暗転し、古民家は完全な静寂と、心地よい寝息だけの空間に戻る。
俺もまた、座布団の上でそのまま横になり、シロとキツネたちの温もりに挟まれながら、静かに目を閉じた。
どれほど世界が過酷でも、どれほど社会が理不尽でも。
この限界集落の古民家だけは、疲れた大人たちの魂を癒やす、世界で一番優しくてバグった聖域(サンクチュアリ)として、明日も変わらずに存在し続けるのだった。
コメント
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いやあ……めっちゃ沁みたわこれ。深夜の古民家でシロ液状化して寝てるとことか、コン兄弟が尻尾抱き枕にして寝てるのも、全員無防備すぎて可愛すぎる。小春ちゃんの寝言ツッコミ「素直に認めればいいのに」で草生えたww。ブラック企業時代の話からの「最高の夜」って締め方、ガチでグッときた。仕事終わりにこの空気吸いたくなる気持ち、めっちゃわかる。癒やしってより、もはや聖域だわこれ。ゆうきさん、今日もお疲れ様でした。