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突然現れた二代目と、岩崎の睨み合いに、男爵は、二人の間に何かあったのだろうと読み取ったようで、思案顔になった。
「二人で、良く話し合いなさい……とは、いかない様だねぇ」
うーんと、唸りながら、男爵は、二代目と岩崎を交互に見る。
「じゃあ!バイオリンでも!チェロでもいいわ!京介さん!」
芳子が、呑気に入り込んで来た。
曰く、ぱっと、やりましょう。ということらしいが、そんな芳子へ向かって岩崎が、ピシャリと言う。
「あのですね、ここでは、ご近所迷惑になるので、楽器は、演奏しません!ということで、本宅へ楽器は置いており、練習の度に、そちらへ足を運んでいるというのは、義姉上《あねうえ》も、御存じのはずですが?」
「えー!でも、このままじゃあ……」
芳子も、何かを感じ取ったようで、どうにかまとめたいと思っているようだった。
「……岩崎の旦那、この唐変木は、月子ちゃんのことをマリーって、呼んだんですよ」
すかさず、我慢ならんとばかりに二代目は言い、その一言で、場は、凍りついた。
「……京介……お前!」
男爵が、岩崎を怒鳴り付ける寸前で、踏みとどまる。
月子が、怯えきった顔をして、
「申し訳ありません!何事もございません!ですから、どうか!」
叫びながら、男爵へ、必死に頭を下げたからだ。
「……京介、月子さんと話しをしたのか?」
月子の様子に、男爵は、驚きつつも、なんとか平静を装っている。
「旦那!何も話なんぞ、しちゃーいませんよ!俺が、月子ちゃんを連れ出しましたから!そしたら、唐変木は、ザル持って現れて、挙げ句、出兵騒ぎだ!どうなってんです?!岩崎の旦那?!」
二代目は、苛つきながら男爵へ言い、頭を下げている月子の姿に顔を歪めきり、そして、
「月子ちゃん、あんたが、あんまりにも、良い子だから、この、唐変木は、調子に乗ってんだっ!見合いなんざぁ、さっさと、やめちまいなっ!あんたが、あんたが、頭下げてどうすんだよっ!!」
月子へ捲し立てる。
これは、叱られている訳ではないとわかっている。しかし、月子は二代目に言われた事へ返す言葉もなく、何故か、心が辛くなるばかりで、じんわりと涙が溢れて来ていた。
どうして、泣いているのかも、月子はわからなくなり、男爵へ頭を下げ続ける事しかできないでいた。
「……京介、月子さんと、良く話しなさい。いや、お前自身の気持ちを、月子さんへちゃんと説明しなさい」
男爵も、どうすべきかわからないようで、とにかく、話し合えとだけ言うと、悩ましげに、ふうと息を吐き、二代目へ、西条家の火事の様子を教えてくれと、問いかける。
話を切り替えた男爵の様子に、岩崎も深刻な面持ちで、月子に頭を上げるように言うと、自分の部屋へ誘った。
今は、二人だけにならなければならない。そう岩崎も思ったようで、月子へ、立てるかと、声をかけ、居間を後にした。
背後から、二代目が、聞き集めて来た西条家の様子を語っている声がしている。
ちらほら、漏れ聞こえるそれから判断しても、かれこれの事だったようだ。
やはり、西条家へ見舞いに行かなければと、岩崎は思いつつ、自分の部屋の襖を開け、着いて来た月子を招き入れると、俯き立ちすくんでいる月子をしっかりと見た。
「やりすぎだよ。君は。私の為に、あんなことをして……」
岩崎は、言葉に詰まり、月子も、黙りこくっている。
「……すまなかった。私が名前を呼び違えたから……君に、余計な気をまわさせてしまった……」
しゅんとしながら、呟く岩崎の姿は、兄である男爵に意見されたからではなく、心から、月子の事を思っていると感じられるものだった。
少なくとも、月子には、そう見えた。
「で、では!私の、私の、名前を呼んでくださいっ!!」
わっと、泣きながら、月子は、岩崎の胸元にしがみつく。
大胆な事をしている、どうして、こんなことをしているのかと、月子も十分わかっていたが、体が勝手に動いていた。
そんな月子の姿に岩崎は、目を細め、転がりこんで来た月子の体をしっかり抱きしめると、
「わかった。呼ぶよ。何度でも君の名前を。月子……」
言って、幾度も幾度も、月子の名前を囁いたのだった。