私とジェンは、ホテル最上階での食事を終え、車に向かった。
―何度も訪れ、ジェンはもう、マナーに戸惑うことも、居心地悪そうに辺りを見回すこともなくなっていた。
私が助手席の扉を開けると、ジェンはいつものように、助手席に座る。
そして、スマホを開く。
お馴染みの光景。
―今日のホテルのランチをSNSに載せるのだろうか。
私との思い出を、自慢しているジェン。
私だけがジェンにSNSで自慢したくなるような経験をさせてあげられる。
車をゆっくりと走らせる。
「あ、ねぇ、家まで送ってくれない?」
ジェンはスマホから顔を上げずに言う。
「家?」
驚きに言葉が出なかった。
家に行きたい、ジェンの家族に会いたいと思っていても、言い出せなかった。
鬱陶しい相手と思われたくないもの。
ジェンが、私を家に招待した。
興奮に、ハンドルを握る手に力がこもった。
―家族に会わせたいの?これからは、家族ぐるみでの付き合いができるの?
「うん。待ち合わせ場所に行くの、時間の無駄だし、今度から家に迎えに来てよ」
「わかったわ」
即答する。家に招待された。ジェンの家に!
ジェンに案内され、住宅街にある赤い屋根の家の車回しに車を乗り入れる。
「ここが私の家よ。車、そこに停めて。お茶でも淹れるから、上がっていって」
こじんまりとした玄関をくぐる。
ドライフラワーやレース編みの飾り、たくさんの手作りの品があふれ、暖かい陽だまりのような家だった。足元がふわふわして、雲の上を歩いているみたい。
「こっちよ」というジェンの言葉に従って扉をくぐり、明るく整頓されたリビングに入っていく。
―ジェンの香りがする。
甘くて、爽やかで、天国の香だ。
こじんまりとしたリビングは、三人掛けのソファと、二人掛けのソファが一脚づつ。
テレビとソファの間にはテーブルが置かれていた。
テーブルの上にはリモコンと、黄色の花が一輪。
そしてレース編みの飾り。
「座ってて」
リビングの二人掛けのソファに腰を下ろす。
クッションも手作りのものだった。
―ジェンが作ったのかしら?
優しくクッションに触れる。
「…あ…」
背後から小さな声がして振り向くと、クッションカバーを持ったジェンがいた。
ジェンは、顔を真っ赤にして、目が合うとすぐに俯いてしまった。
「…あの…」
小さな声でぼそぼそと話す。
「ごめんなさい。…お客様がいると知らなくて…」
ジェンは手の中のクッションカバーを握りしめた。
「…ジェン?」
いつもと様子の違う彼女に不安になり、立ち上がり優しく聞こえるようにと願いながら声をかけた。
「…あ、えっと…わたしは、イェン。」
小さな声で、目の前の”ジェン”が呟いた。
その時、扉が開いて、アイスティーを持ったジェンが入ってきた。
―ジェンが、もう一人いた。
驚いて目を丸くしていると、アイスティーを持ったジェンが声を上げて笑った。
「そっちはイェン。あたしたち、双子なの」
ジェンとイェン、二人を交互に見つめる。
瓜二つなその相貌は、どちらも愛らしく美しい。
「…あ、そうだったの。はじめまして、イェン。私はアン」
イェンに手を差し出すと、イェンは顔を真っ赤にして、羽のような優しさで手を握り返してきた。
「…はじめまして。…よ、よろしくお願いします」
ジェンとはまた違う魅力が、イェンにはあった。
「イェンは人見知りなの。仲良くしてあげてね、アン」
ジェンが私の隣に立って微笑んだ。
瓜二つだけど、違う。
明るく屈託なく笑うジェンと、顔を真っ赤にして俯くイェン。
二人の愛らしさに、鼓動が高まっていく。
―ジェンが太陽なら、イェンは月みたい。
「イェンの分もアイスティー入れてきてあげるわ。」そう言うと、ジェンは再び出ていった。
二人きりになった室内に、沈黙が落ちる。
イェンと話をしてみたくてたまらなかった。
—この俯く愛らしいジェンの双子は、どんな子なんだろう。
「それ、イェンが作ったの?」
話題を見つけようと、イェンの手元のクッションカバーを指差すと、イェンは小さく頷いて、クッションカバーを差し出してきた。
広げると、花と鳥の刺繍が丁寧に施されていた。
「素敵ね。イェンは裁縫が得意なのね」
イェンは嬉しそうに笑った。
「…ありがとう」
美しい笑顔が、まっすぐに私に向けられた。
—なんて美しいんだろう…
目を奪われていると、ジェンが「お待たせ!」とグラスを手に戻ってきた。
ジェンが微笑むと、イェンの笑顔に心奪われたことが、ほんの少しの罪悪感を生んだ。
心臓に、小さな棘が刺さる。
ジェンと視線が絡み、ジェンに微笑むと、棘は無くなった。
イェンの笑顔が記憶を刺激したけれど、もう大丈夫。ジェンの笑顔のほうが好きなのよ。私は…ジェンの笑顔が好きなの。
ジェンが戻って、3人での会話を楽しんだ。
初めはぎこちなかったイェンも、ジェンのリードもあって、 日が暮れる頃には、イェンはすっかり私に打ち解けていた。
玄関で振り向くと、ジェンがにこやかに手を振り、イェンは、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに小さく手を振った。
「また、来てね」
そう言ったのはイェンだった。
車に乗り、2人に別れを告げ走り出す。
バックミラーには、いつまでも私を見送るイェンの姿だけが映っていた。