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看病イベントという名の、あのあまりにも心臓に悪い口移しから数日。
私の熱は、現代の医学も真っ青な一ノ瀬部長のスパルタ看病によって
奇跡的なスピードで下がったけれど
代わりに私のバイタルサインは常におかしな数値を叩き出していた。
鏡を見るたび、あるいは一ノ瀬部長と視線が合うたびに
あの熱い唇の感触と、彼が飲み込ませてきた薬の苦み
そしてそれ以上に甘かった彼の吐息がフラッシュバックする。
おかげで、公爵夫人としてのマナー習得も
領地経営の帳簿チェックという名の「お仕事」も、全く手が止まってしまう始末だった。
そんな私の、社内……ではなく「家庭内」での激しい動揺など露知らず
一ノ瀬部長は今日も今日とて、鉄面皮のまま完璧にタスクを消化していた。
「……佐藤さん。本日の最終タスク、および本プロジェクトの最重要フェーズに移行します。王都の大聖堂にて、我々の婚姻を神に誓う『愛の誓い』の儀式を……いえ、執り行います」
「これは、貴女の没落令嬢としての立場を完全に上書きし、公爵夫人としての地位を盤石にするための、極めて重要な儀式です。心して臨むように」
「儀式……。でも部長、それってつまり、神様の前で盛大なウソをつくってことですよね? さすがにバチというか、天罰が当たりませんか?」
「神への誓い? 社交界という巨大な市場において、我々の婚姻が『揺るぎない真実』であると認知させるための、公式なプレスリリースに過ぎません」
「バチなどという非科学的な概念は、私の辞書には存在しません。……いいから、無駄口を叩かずに準備を」
結局、私は純白のシルクで作られたヴェールを被せられ
部長と共に王都の象徴である荘厳な大聖堂へと連行された。
天を突くような高い天井。
ステンドグラスから差し込む、万華鏡のような七色の光。
パイプオルガンの重厚な音色が、石造りの壁に反響して心臓を震わせる。
現代のどんな高級結婚式場とも比較にならないほどの圧倒的な威圧感の中
私たちは大理石のバージンロードを歩み、祭壇の前へと進み出た。
「……では、新郎新婦。神と、ここに集いし証人たちの前で、永遠の愛を誓いなさい」
年老いた司祭様の、慈愛に満ちた、けれど逃げ場を許さない重みのある声が響く。
隣に立つ部長が、ゆっくりと私の方を振り返った。
仕事の邪魔だと眼鏡を外し
騎士団長の正装である濃紺の軍服に身を包んだ彼は、異世界のどの貴族よりも神々しく
そして怖ろしいほどに美しかった。
「……佐藤さん。…いいえ、ひより」
不意に、部長が私の名前を呼んだ。
看病の時の、あの熱に浮かされたような掠れた声じゃない。
大聖堂の静寂を切り裂き、隅々にまで染み渡るような、深く、震えるほど力強い声だ。
「……貴女を、私の生涯唯一の妻として迎え入れます。…健やかなる時も、病める時も、たとえこの世界であろうと、元の現代であろうと」
「私が、貴女の全てを守り、愛し、生涯、私の最愛として、誰にも渡さないことを、ここに誓います」
「……っ!」
私の心臓が、耳元で鳴っているかのような早鐘を打ち鳴らす。
部長の言葉は、相変わらず無機質なビジネスタームが混じっている。
なのに、その響きに込められた熱量は、あまりにも、あまりにも……
演技とは思えないほど本物の誓いに感じた。
ヴェール越しに見つめてくる彼の瞳は、私の魂の奥底までをも射抜こうとしているみたいで
私はただ、その視線の重さに立ち尽くすことしかできなかった。
「……では、誓いの口付けを」
司祭様の言葉が、遠くの方で聞こえた。
部長の長い指が、私のヴェールをゆっくりと、焦らすように持ち上げる。
露出した私の顔を、彼は大きな両手で
まるで壊れやすい宝石を扱うかのように包み込んだ。
眼鏡のない、少し潤んだ
けれど暴力的なまでの独占欲を秘めた瞳が、至近距離で私を独占する。
看病の時の、あの「生き残るための投薬」とは、明らかに違う。
彼の男としての執着が、剥き出しの愛しさが、その瞳から溢れ出していた。
「ぶ、部長……これ、儀式…ですよね? 演技、なんですよね……?」
消え入りそうな声で問いかけた私の唇は
次の瞬間、吸い寄せられるように重なった部長の唇によって、完全に塞がれた。
「ん……っ、んぅ……!」
深い、あまりにも深いキスだった。
看病の時の、あの「効率重視」の感触とは違う。
彼の舌が、私の口内を熱く
完膚なきまでに支配し、私の呼吸も、思考も、全てを奪い去っていく。
心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃と、部長から伝わってくる「男」としての剥き出しの熱情。
#溺愛
#ハッピーエンド
私の視界は真っ白に染まり、膝から力が抜けて、彼の軍服にしがみつくことしかできなかった。
「……っふぅ……」
ようやく唇が離れたとき
部長の顔は、看病されていた私よりもずっと、耳の付け根まで真っ赤に染まっていた。
彼は動揺を隠すように口元を片手で覆い、視線を斜め下に泳がせながら、掠れた声で吐き捨てた。
「……これは、あくまで『儀式』という名の、対外的な最高精度のパフォーマンスです」
「……部長…それ、演技にしては、……長すぎ、ませんか……?」
「……うるさい。…速やかに撤収しますよ。貴女のその赤い顔が治まるまで、私は一歩も公爵邸から出ませんから」
敬語の中に混じったその響きが、あまりにも不器用で、優しくて。
部長の大きな、熱い手が、私の小さな手を逃がさないようにぎゅっと握りしめる。
その温もりに導かれながら、私は再び、甘い熱の海へと沈んでいった。