テラーノベル
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#溺愛
#ハッピーエンド
「……却下です、佐藤さん。その服装では、街の『視察レベル』に達していません。今すぐボレロを羽織り、さらにこの厚手のストールで首元を厳重にガードしなさい」
休日の朝。
公爵邸の広々とした玄関ホールに、一ノ瀬部長の冷徹な「検品」の声が重々しく響き渡った。
今日のタスクは、異世界の民衆の生活動線を確認し、今後の領地経営……
もとい、ハッピーエンド完遂のためのヒントを得るための『市場調査』。
……平たく言えば、異世界に来て初めての「デート」である。
「ええっ、部長! 今日は雲一つない快晴ですよ!? そんなに厚着したら、市場を歩く前に私の体温がオーバーヒートしてシャットダウンしちゃいますって!」
「……佐藤さん。貴女はまだ、この街の『視察リスク』を著しく過小評価しています。無防備に晒されたうなじや鎖骨は、不埒な輩の視線…オス共を無差別に誘発し、私の作業効率……いえ、私の精神衛生を著しく低下させます」
部長は、自身の休日用カジュアル……とはいえ
寸分の狂いもなく仕立てられた上質な狩衣を完璧に着こなし
銀縁眼鏡の奥の鋭い瞳で、私の外出着を隅々までスキャンするように見つめた。
その視線が、袖口から少しだけ露出した私の手首に留まった瞬間
彼は不機嫌そうに眉間に深い皺を寄せ、自身の予備の手袋を強引に私に押し付けてきた。
「……それに、これは個人的なリスク管理の観点からですが。貴女がその無防備な格好で市場を歩き回れば、無駄なナンパという名の『不当な営業妨害』が発生し、私が物理的に相手を排除・駆除する余計な手間が増えます」
「さっきから何言ってるのか分かりませんし頭痛くなります!」
「……いいから、黙ってこれを巻きなさい」
結局、私は部長によって「雪だるま一歩手前」までガチガチに着込まされた状態で
ようやく城下町の喧騒へと繰り出した。
石畳の道、色鮮やかな野菜や果物の露店、行き交う人々の活気ある喧騒。
本来なら思わずスキップしたくなるようなワクワクする光景だが
隣を歩く一ノ瀬部長の放つオーラは、休日だというのに完全に
「競合他社を視察しに来た冷徹なエリート役員」のそれだった。
「……なるほど。このエリアの物流コストの推移は…あちらの希少果実の利益率は……佐藤さん、メモの準備を。これは市場独占のヒントになります」
「ぶ、部長、今日は仕事ですけど、もう少し楽しそうに、こう……オフ感を出しませんか? ほら、あそこの露店にある、この世界特有のマスコットキーホルダー、可愛くないですか!?」
私は、場を和ませようと、露店に並ぶ不思議な生き物のぬいぐるみを指差した。
現代のオフィスで部長にこんなものを見せたら
「生産性の欠片もないゴミですね」と一蹴されるのがオチだろう。
……そう覚悟して、彼の反応を待った。すると。
「…店主、この棚にあるもの、全て包みなさい。バックヤードの在庫も含めて、私が一括で買い取ります。言い値で構わない」
「ええええええ!? 買い占め!? なんでですか、部長!?」
「…?あなたが興味を示したからです。貴女の視線が他の物体に長時間固定されるのは、私の管理責任に関わります。……全て買い上げれば、物理的に貴女の視線を遮るものはなくなり、再び私の方へと戻ってくる。極めてロジカルな経営判断です」
「全然ロジカルじゃないですよ! ただの極端すぎる買い癖と嫉妬ですよね?!」
パニックになる私を余所に、部長は無表情のまま、ずっしりと重いぬいぐるみの袋を
背後で影のように待機させていた護衛の騎士に預けると、不意に私の前に右手を差し出した。
「……佐藤さん。ここからは人口密度がさらに上昇します。……迷子という名の『面倒なタスク』を発生させないために、手を繋ぎましょう」
「えっ……ぶ、部長と?!」
「……キスまでしといてなにを今更恥ずかしがっているのですか」
「そ、それは仕方なくで……!」
「……いいから、早くしなさい」
部長の声が、心なしか少しだけ震えている。
恐る恐るその大きな手に指を絡めると
厚い手袋越しでも伝わってくる彼の熱い体温が、私の心臓を激しく、暴力的なまでに揺さぶった。
すると部長は、私の指の隙間に
逃がさないように深く、強く…指を絡める「恋人繋ぎ」へと形を変えてきた。
「……よろしい。……では、調査を続行します」
「ただし、佐藤さん。…私以外の男に、たとえ一秒であっても見惚れることは厳禁とします。…もし違反した場合は、帰宅後に密室での『特別残業』を課しますので、そのつもりで」
「ぶ、部長…それ、ただの重すぎる独占欲ですよね……?」
「……いいから、私だけを見て歩きなさい」
賑やかな市場のど真ん中で、部長は私の手を引いて
逃がさないと言わんばかりにぐいぐいと歩き出す。
その広く、逞しい背中は
現代のオフィスにいた時よりもずっと頼もしくて、そして驚くほどに温かかった。
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