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それから朝陽は、お腹をすかせている隼士を待たせないよう、手早く料理を作り上げ、食卓へと並べた。
今日の夕食は、甘辛く煮た鶏肉と根野菜の混ぜご飯と、鰤の照り焼き。そして蛸とキュウリの酢の物に鰹節から取った出汁で作った豆腐とネギの味噌汁だ。一見、三十手前の男には物足りないように見えるが、混ぜご飯は丼いっぱいに用意してあるし、魚も多めで焼いている。それにどれも隼士の好物ばかりだから、文句はでないはずだ。
「隼士ー、ご飯できたぞー」
並べ終わったところで、隼士を呼ぶ。すると、待ってましたと言わんばかりの勢いで、大男がこちらに走ってきた。
「できたかっ? お、凄い豪華じゃないか! しかも俺の好物ばかり……よし、じゃあ温かいうちに早速食べようっ!」
ほら早く朝陽も座れと促される。
「ハイハイ。俺はまだ他にやることがあるから、先に食べてろよ」
並ぶ皿の横に温かい焙じ茶を添えてから、朝陽は再びキッチンへと戻る。と、背後からすぐに「いただきますっ」という元気のいい声が聞こえてきて、思わず子供みたいだと笑ってしまった。
「あ、そうそう食べながらでいいから聞いて欲しいんだけど、残った食材で作れるもの作って、今日の混ぜご飯の残りと一緒に冷凍しておくから、食べる時は電子レンジで解凍しろよ。間違っても、自然解凍とか言って外に出したまま放置とかするんじゃねーぞ」
今日一日を凌いだところで、食事は毎日とらなければいけないもの。このまま帰ってしまったら、また明日から隼士は絶望的な顔でおにぎりを食べることになるだろう。それは可哀想だからと、朝陽は作り置きができる料理を作って行くことにした。
「この材料で作れるのは、きんぴらごぼうにほうれん草のおひたし、ミートボール、豚肉の野菜ロール巻きかな……あと残りものでカレーも作れるか。隼士、こんなもんで……へ?」
いいか、と聞こうとキッチンから振り返った瞬間、朝陽に顔は驚愕に固まった。
何故この男は、ご飯を口に運びながら号泣しているのだ
「……え、は? ちょっ隼士、お前何ボロ泣きしてんのっ?」
「ご飯が……美味しくて……」
「隼、士……」
やっと満足して食べられる食事に出会えたと鼻を啜りながら泣く男の姿に、朝陽は不覚にも胸を高鳴らせてしまった。
別段、隼士の前に並ぶ料理は何の変哲もないものばかりで、驚くべきところなど一つもない。なのに、それらを心から美味しいと泣いて食べてくれている。
作り手として、これほど嬉しいことはない。
嬉しさに鼻の奥がキュッと締まる。その痛みで、朝陽はふと昔の記憶を蘇らせた。
あれは高校時代の文化祭。当時、クラス企画のカフェで調理担当になった朝陽は、いくつか料理を作ってクラスメートに試食して貰ったのだが、その時も隼士はこうして素直な気持ちで美味しいと絶賛してくれた。『朝陽の料理は世界一だ』と大声まで張り上げて。
あの日の言葉と気持ちが、どれほど嬉しかったことか。きっと誰も分かってくれないだろうが、その一件で朝陽は料理の道を志すことと、ずっと隼士のために食事を作り続けることを決めたのは確かだ。
今の朝陽があるのは全て隼士のおかげ。だから例え存在を忘れられようが、これからも求められる限り料理を作り続ける。冗談は言うからもしれないが、決して突き放したりはしない。
「朝陽」
「ん、何、って、うわっ、お前いつの間にっ」
やにわに呼ばれ、昔の思い出から我に戻ると、それまで食卓に着いて食事をしていた隼士が知らぬ間に目前まで来ていて驚かされた。しかも気づかないうちに、大きな手で両手を握りしめられているではないか。
「頼む! これからも俺に料理を作ってくれ。いや、いっそのこと俺のところへ嫁に来い!」
「よ、嫁ぇっ?」
唐突の申し出に、朝陽は素っ頓狂な声を出してしまう。
嫁だなんて、まさか料理を食べたことがきっかけに、全て思い出してしまったとでもいうのだろうか。
慎重に隼士の顔を覗きこみ、真意を探る。
「も、しかして……俺のこと家政婦にしたいとか?」
「別に呼び方は何でもいい。とにかく、俺は金を出してでも毎日朝陽の料理が食べたい!」
ということは、別段嫁でなくてもいいということ。よかった、どうやら思い出したわけではなさそうだ。安堵してから、朝陽はフワッと笑いかける。
「そこまでしなくても、飯ぐらい作りにきてやるよ。記憶なくす前だって、ずっとそうしてたんだしさ」
「ずっと……そうか、朝陽は昔からこうして俺のために作ってくれてたんだな……」
「誰かさんは、すっかり忘れてくれちゃったけどなー」
「それは……本当に悪いと思ってる」
冗談のつもりで言ったのに、怒られた犬のように頭を垂らしてしまった隼士に、朝陽は逆に慌ててしまう。
「ちょっ、冗談なんだから本気で落ちこむなって! 記憶なくしちゃったもんは仕方ないんだし、それにほら、これからまた友達としてやっていけばいいだけの話なんだからさ」
「友達…………あっ、そういえば!」
朝陽が必死に慰める中、唐突に何かを思いだしたのか、隼士が声を上げた。
「確か、俺と朝陽は高校時代からの付き合いなんだよな?」
「へ? ああ、うん。そうだけど?」
「なら、朝陽は俺の恋人が誰か、知ってるか?」
「こ……」
前触れもなくいきなり恋人のことを聞かれると思わなかった朝陽は、不自然なほど動揺してしまった。
「い、いきなりど、うした? 恋人だなんて」
変に何かを隠していると疑われないよう、必死に平静を整えながら質問の真意を問う。すると、握っていた手から片手だけ外した隼士が、着ていたシャツのポケットから銀の指輪を取り出した。
「あ……」
目の前に差し出された真新しい銀に、視線が奪われる。それは何、と聞かなくてもすぐに分かってしまった。
当然だ、自分もこれと全く同じデザインのものを持っているのだから。
「どうやら俺には結婚を約束した恋人がいたみたいなんだが、その人のことも忘れてしまったみたいでな……」
隼士が指輪の存在に気づいたのは、退院の日に荷物を纏めていた時だったそうだ。見覚えのない指輪を不思議に思って看護師に聞いてみると、病院に運ばれた時に嵌めていた物だから隼士の私物に間違いないと言われたという。指から外されていたのは、後に指に腫れが起こると抜けなくなる可能性があったかららしい。
そういえば最初に病室を訪れた時、隼士の指に指輪はなかった。恋人である自分の痕跡を消すために隼士の部屋を片づけた時も、見当たらなかった。だから、てっきり事故の時になくしたものとばかり思っていたのに、こんな形で隼士の手元に残っていたなんて。
朝陽は内心に冷たいものを覚える。この指輪をきっかけに、全てが露見してしまったらどうしよう。
「光太さんや他の同僚にも聞いてみたが、どうも以前の俺に恋人がいることまでは知っていたものの、相手の名前を絶対に言わなかったから誰かは分からないと……」
昔の自分がどうして恋人の名を隠していたのか、その理由すらも分からないといった顔で首を傾げる隼士を前に、朝陽は冷や汗を掻きながらも密かに安堵の息を吐いた。
隼士が事務所の人間に朝陽のことを言わなかったのは、自分がそう頼んだからだ。隼士の方はずっと、同僚達に紹介したいと言っていたのだが、皆が皆、同性愛に寛容な人間であるとは限らないからと頑なに拒絶した。自分のせいで隼士が白い目で見られるのは耐えられない。その思いで首を横に振り続けたあの時の自分を、褒めてやりたい。
「あー……ごめん、俺も光太さん達と同じで、恋人がいることは知ってたけど、誰かまでは知らないんだ」
事務所経由で真実が露見する恐れがないなら今のままで大丈夫だと、朝陽は知らない振りを通す。
「そうか、朝陽なら知ってると思ったんだが」
「役に立てなくてごめんな」
あと、嘘を吐いてごめん。残念そうに眉を垂らす隼士に向かって、心の中だけで謝った。
それからすぐに朝陽は、危険な話題はさっさと変えてしまおうと別の話を振ろうとする。
「でさ隼士、話は変わるんだけど、この手――――」
しかし、目の前にいる男は簡単に諦めてはくれなかった。
「よし、今度、高校のプチ同窓会を開くぞ!」
「…………はいぃ?」