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「月見里さん、相当自分大好きですよね?」
「そんなことないよ。毎朝起きるたびに落胆してる。今朝は寝ぐせを直すのに苦労したよ。跳ねてない?」
わざわざ頭を傾けてそんな自虐を放つ彼に私は思わず笑いが洩れた。
「そういえばちょっとここだけ盛り上がってる気がする」
「失敗した。許してくれる?」
「なんで私の許しが必要なんですか? おかしーもう!」
「女性の前では完璧にしておきたいんだ」
「あら、それは残念でしたねー。私に失敗したとこ見せちゃって」
「ああ、君にしか見せていない」
エレベーターが停止階で止まったので、彼は扉を開けて「どうぞ」と言ってくれた。
なんか今の彼の言葉が妙に気になったけど、面白かったからまあいっか。
案内された部屋は10階の端っこ。
1LDKの16畳で全室フローリングの対面キッチン。
風呂場もトイレも一度も使われた形跡がない新築のまま。
バルコニーから景色が一望できるし解放感抜群だ。
どうしよう、こんな物件見ちゃったらよそに行けない。
「気に入った?」
「このレベルで気に入らない人がいたら見てみたいです」
「じゃあ、決まりだね」
「でもひとり暮らしでこの広さはちょっと落ち着かないかも」
「大丈夫、慣れるから」
彼はにっこり微笑んでそう言った。
まあ、たしかに住めば都と言うけれど、気になるのはお値段だ。
「家賃はおいくらですか?」
「10万くらいでどうだろう?」
「あなた私のことバカだと思ってますか? さすがにそれはないでしょ」
「高い? 交渉次第でもっと安くしてもらうことはできるけど」
「逆ですよ!」
都内+駅近+新築+階数+端っこ+広さ。
この条件を考えたら10万はありえない。
「安さに何か理由があるんですか? この部屋で何かよからぬことが起こったとか」
「違う違う。俺の従姉が購入した部屋なんだけど、すぐに結婚して別に新居を構えてしまったんだ。手放すのも惜しいということだから、もし君が住んでくれるなら、格安で貸していいと言ってる」
「えっ……」
新居があるのに別にマンションを持つことができるなんてどんなお金持ちですか?
「あの、こんな好条件ならいくらでも借りたい人がいると思うんですけど……」
「見ず知らずの人には貸したくないと言っている。だから、気にしなくていい」
「私も見ず知らずの人だと思うんですが……」
「大丈夫。俺の彼女だと伝えているから」
「……はい?」
今、なんて……!?
「嘘も方便と言うだろ」
「どうしても理解できません。なぜ、私にそこまでしてくれるのか」
「同じ会社で素性が知れてる。君に会うのはこれで3回目。君が引っ越し先に困っている。一夜を過ごした仲。これで十分だろう」
「たぶん最後の理由が一番大きいですよね?」
すかさず訊いてみたら彼は驚いた顔で答えた。
「そうだよ」
「失礼します」
「待て待て」
くるりと向きを変えて帰ろうとしたら彼に肩を掴まれた。
「堂々とそんなことを口にするなんてあまり賢明とは言えないですね」
「隠すよりマシだろ。だいたい女を騙すような野郎は表では見せないからね」
「たしかに」
優斗もその前の彼も付き合う前は聖人のように優しかった。
月見里さんが絶対的に信用できる人物かは半信半疑だが、とりあえず仮住まいをしてこれからゆっくり私にふさわしい物件を探していくのも悪くない。
ここよりいいところなんてほぼないけど。
「ひとつ懸念があります。あなたの彼女だなんて言って、従姉さんに嘘ついてバレたらどうするんですか?」
「他人に興味なんてないよ。みんな自分の生活が精一杯だから」
「そうですか」
深く関わることはないだろうから、まあいいかな。
せっかくのご縁だし(家の)
「では、よろしくお願いします」
そう言うと、彼は満面の笑みになった。
その表情はかっこいいというよりも、可愛いなと思った。
引っ越し先が決まったら、あとはあの家を出ていくだけだ。
荷作りもそうだが、他にも書類上やっておかなければならないことが山ほどある。
それよりも何よりも、まず優斗に別れることを告げなければならない。
そして実家の親にも報告しなければならない。
正直、気が重い。
そううまくいかないだろうことは容易に想像できる。
「何かあればいつでも連絡して。あの店で愚痴聞きくらいはできるだろう」
「ありがとうございます。本当に」
強がっているけど、正直不安だらけだった。
もし彼に出会えていなければ、私は今でも現状を維持するために我慢し続けているだろう。
逃げる場所があるというのはこんなに安心できるものなんだ。
そんなことを考えている時点で、優斗のいるところは私にとって心休まる場所ではないのだ。
結婚に妥協は必要というけれど、どちらかが我慢する関係は成り立たない。
そのことに気づくことができただけでよかった。
そして翌週――。