「あっ、もしかして彼氏とデート?」
 その表情を見て、そう思われてしまったみたい。
 至極もっともな足利くんの問いかけに、私は咄嗟、照れ隠しも手伝って「かっ、彼氏なんて居ないですっ」と答えてしまっていた。
 宗親さんは私の夫(偽装だけど)であって、彼氏ではない。……だから間違いじゃない、よ、ね?
 そんなことを思って、さっきより遠ざかってしまった宗親さんの後ろ姿を見つめる私に、足利くんが「そっか、彼氏いないんだ」と嬉しそうにつぶやいた。
 でも意識ここに在らずの私は、それには気付けなかった――。
 
 ***
 
 足利くんとなかなか離れられないままに歩き続けているこの状況で、部下の私が上司の織田課長の車に乗り込むのはまずいんじゃないの?と思い始めてソワソワする。
 (な、なんとか足利くんとさよならしなければっ)
 色々考えた私は、
 「……あっ、もしもしっ?」
 電話がかかってきた体を装って、それに応答する振りをしながら、足利くんにごめんなさい、お先にどうぞ、とジェスチャーをする。
お願い、どうかこのまま!……と祈る様な気持ちでの演技だったんだけど、足利くんは私の目論見通り、あっさり手を振って離れてくれた。
 (よかった!)
 
 
 ***
 
 私と宗親さん、婚姻はしたはずだけれど、宗親さんがそのことを社に公表する必要はないとおっしゃったから、きっと足利くんが駐車場までずっと一緒だったらよろしくなかったと思うの。
 宗親さん曰く、婚姻の件を公にしたら仕事がやりづらくなるし、何より同じ部署で働けなくなる可能性が高いから、というのが理由で。
私も宗親さんと離れるのは嫌だから、「内緒にする」という提案にうなずいたんだけど。
 
 何より、宗親さんは、程なくこの社を去る身。
「私が織田春凪になったことはその時に公表したらいいですよ」って言われて……きっとそんなに長いこと黙っているわけではないんだよね、と漠然と納得して。
 だけど「お給料とか銀行振込なんですけど名義変更とかしてなくて大丈夫なんですかねっ?」とソワソワした私に、宗親さんは「すぐにどうこうしなくても振り込む際に口座名義人と口座番号さえ相違がなければ入金は滞らないから大丈夫ですよ」と言って安心させて下さった。
 私はそれをお聞きして心底ホッとしたの。
だってほら。少しずつ増えているとはいえ、一時は三桁を記録した通帳ですものっ。収入大事でしょ!?
 「あ。ところで春凪。キミはクレジットカードを持っていたりしますか」
 通帳の名義の絡みかな。
 私を安堵させた直後、ふと思い出したようにそう聞かれて、「そんなものを持っていたら緊急時にアテにしてしまいそうで怖いから持っていません」と答えたら、「でしたら尚の事、しばらくは旧姓のままでも問題ないと思いますよ」とニッコリ微笑まれた。
 「良かった! それなら安心ですね」
 そう返しながら見上げた宗親さんの笑顔に、何だか含みがあるように感じてしまった私だけど、宗親さんが含蓄ある腹黒スマイルを浮かべるのはある意味いつものことか、と思い直したの。
 
 ***
 
 (どうしよう。足利くんとはうまくさよなら出来たけど、人、多過ぎだよ)
 いつも残業ばかりしている私は、定時を迎えると共に、こんなに沢山の人が退社しているだなんて思いもしなかった。
 宗親さんとの同棲も婚姻も周りには内緒にしている身としては、こんな風に会社の人がたくさん行き来している現状はちょっぴり厄介なわけで。
 少し考えて、私はさっきダミー電話のために手にしたままだったスマートフォンに、宗親さん宛のメッセージを打ち込むことにした。
 『人が多すぎるので私、このまま駐車場は通り過ぎて家に向かおうと思います』
 ――さっき、同期にも捕まってしまいましたしね。
 心の中でそんな付け加えをしつつのメッセージ送信。
 
 元々宗親さんの所に越してきてからは私、基本的には歩いて通勤しているの。
通帳残高を三桁に減らすまでして買った愛車は、通勤用としては今、使っていない感じ。
 考えてみたら、今日も徒歩で家まで帰り着いたところで何ら問題はないわけで。
 そう思っていたのだけれど。
 『一緒に食事でもと思っているので【Red Roof】でカフェラテでも買って、テラス席で飲みながら待っていてもらえますか? 拾いに行きます』
 そう返信があっては『分かりました』と返すしかない。
 一緒に食事ってことは、まるでデートみたい!って思ったら、自然と顔がほころんでしまった。
 
 ***
 
 「ひゃー、お腹いっぱいですね。やばーい。ちょっと苦しぃ〜かもぉ〜」
 今日は私、宗親さんと二人で、久々にお寿司をたらふく食べました。
つい美味しくて、私、胃袋の許容量をかなりオーバーしてしまったみたい。
 大きな声では言えないけれど……確実にお腹がぽっこりしていて、ちょっとどころかめっちゃ苦しいです。
 「春凪があんなに寿司が好きだなんて意外でした」
 宗親さんが、お腹をさする私を見てクスッと笑って……。
 その視線に慌ててぽこっと膨らんだ胃の辺りから手を外した私は、「だっ、だって! 一皿いくらって分かるから安心して食べられたんですよぅっ」と庶民的な返しをしてしまう。
 というのも、宗親さんは最初「時価いくら」みたいな回らないお寿司屋さんに私を連れて行こうとなさって。
 私は「そんなお寿司、いくらなの?って思ったら怖くて喉を通りません!」ってゴネたの。
 いつもなら、そんな私をするりと丸め込んでしまう宗親さんなのに、何故か今日は私のわがまま?をすんなり通してくださって。
 
 「春凪が安心して食べられたのなら良かったです」
 ニッコリ笑ってそう言ってくださったから、私、ますます調子に乗っちゃった。
 「回るお寿司も案外バカにならなかったでしょう? 安くても美味しいものはたっくさんあるんですっ!」
 得意げに言ったら「ですね。結構美味しくて驚きました」って微笑んで、「じゃあ、僕はとりあえずお風呂のスイッチを入れてきますね」って何の脈絡もなく話を変えちゃうの。
 私はその言葉に、ピクッと身体が跳ねてしまった。
 お風呂っ。
そうだ――。
 今日はご飯、めちゃくちゃ早く済んでしまった。
 作る時間要らなかったし、家で作ってないから片付けも不要。
何より、今日はふたりして残業を回避してるからっ。
 
 「あ、あのっ」
 ソワソワしながら宗親さんを呼び止めたら「春凪は恥ずかしがり屋さんですし、お風呂が先の方がいいですよね?」って……。
 やっぱりその「先」の比較対象は、朝の続きのことです、よ、ね?
 私はコクコクとうなずいて。
それでもこう言わずにはいられなかった。
 「宗親さん、先に入ってください」
 って。
 それは、前に宗親さんとの初夜を拒んだ日のリベンジだったから。
 あの日、宗親さんは珍しく私より先にお風呂に入って……それから――。








