壱花は可愛い狐が藤の前にいる札を見ながら、小首を傾げていた。
そのとき、札が震えて、慌てて手を離す。
「あっ、すみませんっ」
と壱花は思わず謝り、それを拾った。
落としてしまったその札の中に、噂の高尾がいるような気がしたからだ。
札を手のひらにのせると、ほんのり温かい。
側に来た倫太郎がその狐の札を覗き込んで言う。
「その高尾とかいう化け狐、もしかして、この怪しい百鬼夜行花札とやらに吸い込まれたのか?」
「それで、みんなの記憶から消えかけていたんですかね?」
と呟く冨樫に、壱花は、
「完全に忘れていたら危ないところでしたね。
冨樫さん、すごいですね」
と言ったのだが、
「いや……」
と言ったあとで、冨樫は黙る。
何故、自分は忘れなかったのかについて、考えているようだった。
「こうしていると、高尾さんの記憶が流れ込んでくる気がします」
と札を手に、微笑みながら言った壱花だったが。
いろいろ思い出したあとで言う。
「……何故ですかね。
チャラい言動しか蘇ってこないんですが」
「いや、恐らく、それがすべての記憶では」
と記憶をなくしていない冨樫が言う。
チャラい言動が彼のすべてだったようだ。
そんな壱花の横で、ふうん、と言いながら、斑目が他の札を手に眺めていた。
「見たことない札がいっぱいあるな。
大百足みたいなのとか、あずき洗いみたいなのとか」
ん? と思った壱花は斑目の手にあるその札を覗き込む。
「ああっ。
いつもあずき買いに来てくれるおじいさんっ」
あのおじいさんが大雨の中、あずきを洗っていた。
「……これは大変なことだな。
お得意様が吸い込まれるとは」
と倫太郎が呟く。
いや……、高尾さんは?
「まだ予備の札があるが」
と言いながら、斑目が白い札を見ていると、どれ、とキヨ花が横から一枚取った。
すると、キヨ花の姿が消える。
ええっ!? とみんなが見たとき、ぱたりと床に一枚の札が落ちた。
その札の中、艶やかな蝶の柄の着物を着た女狐が牡丹の前で、妖艶に微笑んでいる。
「キ、キヨ花さん……」
「人間は手にしても吸い込まれないんだな」
と倫太郎が言い、
「百鬼夜行花札だから、札になれるのはあやかしだけなのでは」
と冨樫が言ったとき、
「やあ、どうしたんだい?
今日は人数多いじゃないか。
おや、斑目くんまで」
と声がした。
シュッとしたグレーのスーツ姿。
倫太郎のお目付役、浪岡常務だ。
孫のために駄菓子を買いに来たらしい。
内田建設の会長の孫である斑目とは面識があるようだった。
「なんだね? それは。
花札かね。
いやあ、私はこう見えて、花札は強くてね」
と言いながら、浪岡は斑目の手から白い札を一枚とった。
すると、浪岡が消え、ぱたり、とみんなの真ん中に札が落ちる。
「浪岡常務ーっ」
と壱花と冨樫は叫んでいた。
落ちた札の中。
赤い空に浮かぶ白い満月の前で、浪岡常務がいつものように微笑んでいる。
「何故……」
「あやかししか吸い込まれないはずなのに」
と壱花と冨樫は呟いたが。
倫太郎は、
「小うるさい古狸だからだろう。
札があやかしだと勘違いしたんじゃないか?
月も出てるし。
腹鼓を打つのに、ちょうどいいだろう」
といつも自分をやり込めるお目付役が封じられた札を見ながら楽しそうだ。
もしや、このまま出てこない方がいいとか思ってるんじゃないだろうな……。
壱花は、そんな倫太郎を苦笑いしながら眺めていた。
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