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下に下りると、京平はのぞみの父、信雄に食卓テーブルで職務質問を受けていた。
いや、うちの父親は、警察官ではないのだが……。
「先生、今の職業はなにかね?」
「せ、専務です」
専務って職業だっけな?
……職業なのかな?
会社名とかも入れた方がいいんじゃ。
ああ、私と同じ会社か、と思っていると、信雄は
「独身かね?」
と京平に訊く。
……独身じゃなかったら、結婚の申し込みに来ません、お父さん。
「恋人は居るのかね?」
居たら、大問題ですよ。
っていうか、それは一応、私なのではないでしょうか?
いや、なった覚えはないのですが――。
その後も信雄の職務質問は続き、おかげで、知らなかった京平の家族構成や住所や、家の固定電話の番号などが聞けた。
まあ、特に知らなくてもよかったのだが……。
しかし、家庭訪問に来た先生が、モンスターペアレンツに質問攻めにあっているようだ、と思いながら、のぞみはその光景を眺めていた。
「まあ、また来なさい」
と父に言われ、
「はい、では、失礼します」
と深々と頭を下げ、京平は玄関を出る。
……お疲れ様です、と思ったのぞみは外まで送って出ることにした。
一歩出た京平は言う。
「今日は、お前を迎えに来ただけのつもりだったから、お前とお母さんにお菓子を持ってきただけだったが」
――そういや、珈琲、私が奢る話でしたね、これ。
「次回は、お父さんにお酒を持ってこよう」
まだ青ざめている京平に笑い、のぞみは言った。
「専務にも怖いものあったんですね」
「当たり前だ。
お前のような娘を此処まで大事に育ててくださった親御さんだぞ。
ちゃんとしないとと思うと、緊張するだろ」
だからその、お前のようなはどういう意味でおっしゃってるんでしょうか……と思っていたが、
「お父さんが本当にお前を大切に思っていることがよく伝わってきたよ」
と言われて、父の愛情を感じ、ほろっと来そうになった。
今から死ぬ気か? というくらい、幼い頃からの思い出が走馬灯のように過ぎる。
ありがとう、お父さん。
専務の魔の手から守ってくれ……
……たのかはよくわからないが。
京平は決意を込めて語ってきた。
「俺もお前のことも大事にしなければなと思わされたよ」
……いや、ずーっと疑問だったのだが。
「あのー、専務は私のことが好きなんですか?」
そう問うと、京平は少し考え、
「……わからない」
と言ってきた。
わからない!?
あそこまでやっといて?
いや、手を握り、キスするぞと宣告しただけだが。
京平は駐車場にあるおのれの車を見つめ、
「お前を好きかは、正直なところ、まだわからない。
だが、なんでだかわからないけど。
俺はお前と結婚する気がするんだ」
理屈じゃないんだ、と京平は言う。
「今日はお父さんとお話しさせていただいて。
お父さんのためにもお前を幸せにしなければと思ったよ」
いや、私のためには……?
と思うのぞみに手を振り、じゃ、と京平は去っていった。
走り去る濃紺の大きな車を見送りながら、
なんか……今日はどっと疲れたな、と思っていた。
のぞみが家の中に戻ると、信雄が言い出した。
「あんな男前で金持ちで、しっかりした男が、のぞみと結婚したいなんておかしいじゃないか。
のぞみは遊ばれているのに決まっているっ」
いえ、まだ、なにも、もてあそばれてません、というか――
とさっき手を握ったまま、止まっていた京平をのぞみは思い出していた。
意外と口ほどにもないような、と京平に後ろから飛び蹴りを食らわされそうなことを思う。
「あんないい男がのぞみをなんて、結婚詐欺とかなんじゃないのか!?」
……お父さん、うちより、専務のおうちの方が遥かにお金持ちです。
そして、専務、めっちゃ高評価ですね~。
今、走馬灯のように可愛がられた思い出がよぎったのだが、その娘を、のぞみなんてと言ってしまうぐらい専務の評価は高いようだ、とのぞみは思う。
意外に気が合いそうだな、この二人。
京平の言葉ではないが、理屈ではなく、そう感じていた。
何をやってるんだ、俺は、と京平は赤信号で、ハンドルを握って止まっていた。
キスなんて挨拶じゃないか、挨拶っ、とのぞみに訊かれたら、ハンマーで殴ってきそうなことを思う。
何故、坂下にはできない?
元生徒だからか?
使えないが、今、部下だからか?
……まあいい。
結局、珈琲飲みには行かなかったから、また誘えるな、と思いながら、今日はおとなしく自宅へ帰ることにした。
「おはようございますーっ」
少しは仕事、慣れてきた気がする。
いや……たぶん、全然気のせいだが、と思いながら、のぞみは朝、廊下で出会った祐人に挨拶した。
すると、祐人がすれ違いざま、
「珈琲は美味かったか?」
と訊いてくる。
「の、飲んでません」
いや、珈琲なら、さっき、飲んだのだが、なんだか祐人が違うことを言っている気がして、青ざめたままそう言うと、もう通り過ぎている祐人は振り返りもせずに、
「そうか」
と言ってきた。
気のせいかもしれませんが。
気のせいかもしれませんが。
……気のせいかもしれませんがっ!
やっぱり、昨日の会話、御堂さんに聞かれていたのではっ? と思いながら、のぞみは無理やりなにかの用事を作ってでも、早く専務室に行こうと心に決めた。
「御堂に聞かれてた?
別にいいじゃないか」
京平は仕事をしながら、そう流してきた。
専務室は、専務用の小さな秘書室とつながっている。
来客はまず、此処に来るのだが、のぞみは全体で使っている秘書室から、この小さな秘書室まで行くのが、まだ、ほとんどで、専務室の中に入ることはあまりなかった。
なんとか用事を作り、専務室に入ったのだが、京平は、祐人にバレたかもしれないことには、然程、興味を示さなかった。
「よく考えたら、お前との結婚話はもれていいよな。
お前が俺とどう出会ったのかさえ、しゃべらなければ」
いやいや、ちっともよくありませんよ、と思っていると、
「まあ、お前が、入社早々男を捕まえた、結婚までの腰掛けOLと思われるだけだし」
と京平は言う。
いやいや、貴方は、自分の妻がそのような評価でいいのですか、と思っていると、京平は、
「そんなことより、俺には今、もっと重大な関心事があるんだよ」
と椅子を回して、窓の方を向き、溜息をつく。
……嫁になるかもしれない女の困りごとより関心があることってなんですかね?
とのぞみは恨みがましく京平のその後ろ姿を見つめてみた。
だが、見ているうちに、のぞみも違うことが気になってくる。
「専務」
「なんだ?」
「あのー、そこから下見て、ぞわぞわっと来ないんですか?」
とのぞみが訊くと、京平は、また、阿呆なこと訊くなあ、という顔をしたあとで、
「いや、俺も高すぎることころは苦手だ」
と言ってくる。
「だが、こういう役職につくと、高いところに上がることが多いから、慣れようと思って」
と言ったあとで、京平は小首を傾げながら言ってきた。
「なんで、重役室とか社長室とか、最上階近くにあるんだろうな?
火事や地震のとき、逃げにくいじゃないか」
職員室は一階なのに、と言う京平に、いや、あんた、生徒置いて我先に逃げる気だったのか……と思う。
「そうですね~。
ヘリに近いからじゃないんですかね~?」
と天井を見上げながら、適当なことを言うと、
「そういえば」
と京平が思い出したように言ってきた。
「お前、高所恐怖症だったな。
授業中、屋上上がったときも、ぎゃあぎゃあ言ってたし」
京平が担当している地学の授業のとき、昼間の月を見に、みんなで屋上に上がった。
意外にはっきりと見える、丸く白い月を指差しながら、京平は月の話や惑星の話を語っていた。
あのときは格好良く見えたんだがな……。
いや、今の方が落ち着きを増して、格好良くなっているのだが。
教師時代より、更に言うことが横暴になってるからな、と思っていると、
「そういえば、何故、お前が採用されたのかわかったぞ」
と京平が言ってきた。
いや、何故、採用されたのかと疑問に思ってた時点で、貴方は、私がこの会社や職種に向いてない、と思ってたわけですよね~とのぞみは思う。
「昨今、日本人も押しが強くなってな。
重役連中は、昔の人間ばかりだから、その間に挟まるように面接したお前のまったく押しのない、ぼんやり加減にホッとしたらしいぞ。
ひとりはこういうのも居るだろうって」
そ、そうだったのか……。
「ちなみに、俺に選択権があったら、お前は取らん」
……ですよね、と思いながら、失礼しましたーと部屋を出ると、また、祐人が居た。
いや、此処に居て当たり前の人なのだが、さっきのこともあり、つい、ビクビクしてしまう。
「し、失礼しま~す」
と言い、逃げるように専務用の秘書室から出ようとしたとき、後ろで、ぼそりと祐人が言うのが聞こえてきた。
「なるほどねー……」
なっ、なにがなるほどなんですかっ、とのぞみは固まり、その表情のまま振り向く。
なにもかも見透かすような祐人の瞳に、のぞみは、なにも言われてはいないのに、もう駄目だと思った。
視線がデスクの上にあった、会社の創立記念の重そうな文鎮を見る。
祐人の視線もそれを追った。
「……殺人はよせ。
誰にも話さないから」
と青ざめた祐人が言ってきた。