「ついに秘密を知られてしまいましたね……」
珈琲を手にのぞみは重々しくそう言った。
この時間はあまり人気のない広い社食。
祐人が、サボっていると思われないよう、テーブルに書類を広げており。
二人は、時折、それをチェックをするフリをしていた。
秘書室だと、誰が聞いているかわからないからだ。
そんな中、のぞみはテレビでモザイクをかけられ、音声を変えられて、告白する人のような深刻さで話を始めた。
「実は――
専務は、私の高校のときの担任の先生だったんです」
沈黙があった。
まだ、なにか続きがあると、祐人は思ったようだった。
ちょっとの間のあと、
「待て」
と言われる。
「それは、どの程度の秘密だ」
全然、たいした秘密じゃないじゃないか、と祐人は文句を言ってくる。
いや、貴方、話を聞いてたんですよね? と思いながら、のぞみは言った。
「いえ、私もたいした秘密じゃないと思ってるんですけどね。
小心者の――
あっ、失礼。
小賢しい専務が隠そうとするもんで」
「お前……、なんにもフォローになってないぞ」
上司を敬う気はあるのかと言われてしまうが。
まあ、本当に、たいした秘密ではない。
見栄っ張りな京平が、昔、教師ってのは、一度も学校から出たことのない人間だから、他の職種では使えない、と言われたことを気にして、その事実をひた隠しにしているだけだ。
京平は立派にこの会社で働いていることだし、教員が他では使えないなんてこと、ないと思うのだが。
まあ、祐人がそのような思想の持ち主であった場合を考慮し、のぞみは、一応、京平をかばうように言ってみた。
「でも、なかなか情熱のある、いい先生だったんですよ?
一時間、勝海舟について語っているような」
「いやそれ、単に、勝海舟に情熱があるだけなんじゃないのか……?」
そう呟いたあとで、祐人は言う。
「しかし、知らなかったな。
専務が、日本史の教師だったとは。
理系っぽいのに、意外だな」
「いえ、地学でしたよ」
と言って、
「待て。
なんで、地学で勝海舟が出てくる」
と言われてしまう。
そういえば、何故、勝海舟の話になったのか……。
確か、引力がどうの、海面がどうのという話から、勝海舟がアメリカに渡った咸臨丸の話に何故かなった気がするんだが……。
よく考えたら、なんの脈絡もない。
今思えば、ただ、勝海舟について語りたかっただけなのだろう。
祐人は、
「まあ、ともかく、お前が当時から専務を気に入ってたのはよくわかった。
それで、此処で再会して、付き合うようになったのか」
と言ってきた。
「いえ、別に。
当時も特に好きだったわけではありません」
みんなにつられて、うっかりチョコを渡してしまったり。
……いや、みんなは渡してなかったんだが。
月を見上げて語る姿を見て、うっかり、ちょっと格好いいな、と思ってしまったりしただけだ。
だが、この辺から、のぞみは、おかしいな、と思い始めていた。
なんで、私が専務を好きで付き合っていることになっている? と思ったのだ。
「あのー、御堂さん、ほんとに話、聞いてました?」
すると、祐人はまだ湯気の上がる珈琲を前に腕を組み、言ってくる。
「専務室の扉も壁も厚いのに、聞こえるわけないだろう」
罠だったーっ! とのぞみは頭を抱える。
鋭い祐人のことだ。
二人の言葉の端々や、目線からなにかを感じ取り、カマをかけてみただけだったのだろう。
のぞみは立ち上がると、広いテーブル越しに祐人の組んだ腕をつかみ、懇願する。
「御堂さん、このことはご内密にーっ」
「わか――」
わかってる、と言いかけたらしい祐人だったが、
「専務が教員だったことは、どうか、みんなには黙っててくださいーっ」
殺されますっ、と拝みながら言うと、
「……そっちか」
と何故か、呆れたように言われてしまった。
朝は用事もないのに、無理やり用事を作って専務室に行ったのだが、今は、用事があるのに行きたくないな。
そう思いながら、とぼとぼと専務室に向かい、
「失礼します」
とのぞみが中に入ると、京平がこちらを見た。
「どうだった?」
と訊いてくる。
先程、専務室を出たあと、祐人と揉めていたのを気配で察していたらしい。
「あ、えーと。
すみません。
いろいろとバレてはしまいましたが、なにも話さないでいてくれるそうです」
と自分が乗せられてしゃべってしまったところは微妙に誤魔化しながら言うと、
「そうか。
なら、よかった」
と京平は言ってきた。
「まあ、御堂だからな。
ペラペラ人にしゃべったりはしないとは思ったんだが。
御堂に知れたのなら、いろいろ協力してもらえることもあるかもしれないから、かえってよかったかな」
京平はそう言ったあと、もうその話には興味がなくなったかのように、手にしていた封書に視線を落とす。
うーむ。
なにか、必死に御堂さんを口止めした私が莫迦みたいなんだが……。
考えてみれば、御堂さん、専務の秘密をバラして歩くような人じゃないよなー。
まあ、何処が秘密なんだと言われてしまったが……。
『秘密なのは、お前と専務のことじゃないのか』
と祐人には言われたが。
まあ、なんだか、まだ付き合ってる実感ないからな、とのぞみは思う。
私のあずかり知らないところで、専務の謎の計画だけが、結婚に向かって、ガンガン進んでいってしまっているようだが――。
ホッとしたところで、のぞみは人事から頼まれた旅費日当の紙をデスクに置きながら、訊いてみた。
「そういえば、御堂さんが言ってたんですけど。
専務は、あれだけ勝海舟がお好きなのに、何故、理系の道に進まれたんですか?」
京平はその紙を見たあとで、片目で睨むように、のぞみを見ると、
「日本史、全部、勝海舟じゃないだろうが」
と言ってくる。
はあまあ、そうですね。
そのあと、財布から領収書を取り出す京平を黙って見ていると、忘れた頃に、京平が言ってきた。
「……格好いいからだよ」
「え?」
「なんか理系の方が格好いい感じがしたからだよ」
ええーっ? とのぞみは声を上げてしまう。
「先生もモテたいとか思ってたりしてたんですか?」
莫迦、と京平は言ってくる。
「格好よくありたいと思うのは、モテたいからだけじゃないだろうが。
理系クラスって、なんか賢そうに見えていいなと子どもの頃、近所のおにいちゃん見ながら、ぼんやり思ってたせいで、なんとなく理系に行ってしまっただけだ。
これ、領収な。
あと、お前書けよ」
と紙の束を渡される。
そこで、のぞみの顔を見た京平は、ちょっとムッとしたような顔をし、
「ほら、早く行け」
と鼻をつまんできた。
いてて……。
鼻を押さえながら、のぞみは思う。
どうやらバレてしまったようだ、と。
専務も可愛いところあるじゃないかと思ってしまったことが。
「失礼しましたーっ」
と頭を下げ、のぞみは、そそくさと逃げ帰った。
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