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「……お待たせしました」
急いで着替えを終わらせた柚は、ゆっくりとキッチンへ繋がるドアを開け遠慮がちに声を出した。
先ほどの妙な圧がなんとなく恐ろしかったせいなのだが。
「ああ、柚、急いで着替えてくれたんだ? 髪の毛ほどけかけちゃってる」
思いのほか、優しい声が聞こえてきた。
航平がレジまわりを整頓しているのをチラリと確認しながら、カウンター席に座り、柚を手招く優陽のもとへ急ぐ。
「うん、昨日みたいにおろしてるのも可愛らしいけど、まとめてるのも大人っぽくていいね」
朝から手直しをしていない少し緩んだポニーテールに優陽が撫でるよう、触れた。
何をどうしたって誤魔化せない癖っ毛には、うんざりの毎日だ。特に今日みたいに天気が悪い日は湿気でどうしようもない。
「……あ、ありがとうござ……」
『ゆずの髪の毛は、ふわふわで可愛いなぁ』
瞬間、重なった声に、柚は驚き黙り込んだ。
自分の記憶だろうに、なぜここで重なったのか。
夢で見るだけの遠い記憶の中の、その声と。
顔も思い出せないほどに朧げな初恋の想い出と。
「柚?」
不自然に黙り込んだであろう柚へと、優陽が呼びかけた。
不審がられているのか、はたまた待たせている身分で何をボケッと呆けているのか。
どちらの表情なのかと視線を送れば。
彼は柚の様子など我関せずニコニコと、昨夜と同じく胡散臭い笑顔を見せるばかりであった。
(読めなさすぎる……)
別に内心を知りたい、というわけではないのだけれど。
「じゃあ、帰ろうか」
優陽はずらしていたマスクで再び目から下を覆い、さらにはサングラスまでもを装備して声をかけてきた。
(顔が、似てるとかなのかな?)
すぐ隣まで駆け寄り、柚よりも随分と背の高い優陽を見上げてみる。
しかし。昔の記憶を辿ろうと思うけれど、うまくはいかない。夢の中でも、今も、まるで湿気で曇ったガラスのように靄のかかる想い出のひと。