テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「柚? 起きてる? 大丈夫?」
ハッと我にかえる。
考えたところで、二十年近くも昔のことだ。覚えていなくても仕方がない。
それだけ、柚にとってこの癖っ毛はコンプレックスで、それを褒められ慣れていないという。悲しい事実の証拠であるだけなのだろうから。
「すみませんボーってして! じゃあ店長、お先に失礼しますね」
小さく頭を下げれば「おう、お疲れ」と、笑ってくれた。
航平の、胡散臭さのカケラもない笑顔にやっぱり安心しまう。
……なんて、決して声には出さないけれど。
それでも。遠い昔の恋よりも、半年前の裏切りよりも。
今の柚には大切な笑顔だ。
やがて、その笑顔を消して、航平の視線は優陽へと移ってしまった。
そうして、柚に向けた時よりも幾分か声を低くして言った。
「優陽、お前仕事抜けてきてんだったらさっさと戻れよ。 わかってるな」
「はいはい、わかってるよ〜」なんて、軽い返答。温度差の酷いことだ。
少し呆れ気味に眺めていると。
ひらひらと航平に振った優陽の手が、次はそのまま柚の肩に触れて抱き寄せてきたではないか。
「わっ!? ちょっと、優陽さん!」
「はいはい、暴れないで」
恐らく真っ赤になって、勢いよく離れようとしているのだろう柚の、その身体を更にきつく抱き寄せ、宥めるような言葉。
そして、横目でちらりと柚を見て小さく笑みを浮かべた。
「航平。 ちなみにね。俺、女の子が好きなんじゃなくて、女の子で暇を潰すのが好きだっただけ」
「……あ? 違いがわからん」
何を言い出すのかと、そんな顔で。
売り上げを金庫に移す準備をしていた航平が、形の良い凛々しい眉を寄せ、こちらを見る。
「でも、もうしないよ」
「そうだな、そうしてやってくれ」
「うん、だから」
そこで言葉が途切れた後、僅かに彼の喉が動くのを見上げてた。
一呼吸の後、抑揚のなくなった優陽の声が響く。
「勝手にあれこれ、彼女に吹き込むの今後一切やめて」
口角が片方だけ、あがる。
けれど涼しいままの目元。
ああ、また。 胡散臭い笑顔だ。
柚は瞬時にそう思ったのだった。
一方で眉間のシワが弱まってくかわりに、盛大なため息が航平から漏れ出る。
ガシガシと短い黒髪をかきむしり、心底ダルそうな声で呟いた。
「……お前今日やけに機嫌悪いなあ」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!