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戦えない
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この日、非番だった有一郎は1人で街に出掛けていた。吐き気止めの薬を手に入れる為だった。蝶屋敷ではなくわざわざ街の薬屋に向かったのは、蟲柱や蝶屋敷で働く娘を通して柊依たちにこの話が行かないようにだ。
薬は高い。でも鬼殺隊に入ってお給金ももらってるし、きっと大丈夫。念の為、貯まったお金全額持ってきたし、ちゃんと買える筈だ。
ドキドキしながら薬屋の暖簾をくぐる。
「ご、ごめんください!」
「はーい、ただいま」
有一郎が声を掛けると、すぐに店の奥から返事があり、年老いた男性が出てきた。
「おや珍しい。可愛いお客様だね」
「こっ、こんにちは。…あの、吐き気を抑える薬が欲しいんですけど…」
「吐き気を抑える…?」
穏やかな表情の薬屋の店主が訝しげに、白くなった眉を寄せた。
「君が使うのかい?」
「……はい…」
「お医者さんの処方箋はあるかな?」
「いえ、ないです…」
「…自己判断で薬を飲むのはよくないよ。一度ちゃんとお医者さんに診せて、処方箋を書いてもらって、それからまたおいで」
優しく諭す店主。しかし有一郎は引かなかった。
「お金はあります。用法もちゃんと守ります。どうしても今すぐ欲しいんです…!」
「しかし……」
「お願いします!」
深々と頭を下げる有一郎。
「……分かった。ただしちゃんと用法を守るんだよ。あと、必ずお医者さんに診せるんだ。吐き気が胃腸障害から来てるのか精神的なものなのか分かりかねるからね。…それと、合わないと思ったらすぐに服用をやめること。いいね?」
「はいっ…!」
薬は所持金で充分買える額だった。
明日はまた仕事だ。吐き気止めは任務への出動要請が出たら飲んでみることにした。
翌日。鎹鴉からの伝達で隣町ヘ任務に出ることになった有一郎。
飲んだ薬の効果が現れるまで、一般的に1〜3時間と言われている。それを考えて任務に出掛ける時間から逆算して服用しなければならない。
1回1錠。それが自分の年齢でこの薬を服用する場合に定められた量だった。
初めて医者の指示なしに飲む薬。ドキドキと大きく脈打つ心臓を落ち着かせ、有一郎は多めの水で吐き気止めの薬を胃に流し込んだ。
そろそろ任務に出る時間だ。普段なら厠に駆け込んで嘔吐していた筈なのに、今は吐き気がない。ちゃんと薬の効果が現れていることに、有一郎は嬉しくなった。
その日の任務は久し振りに、空腹や悪心を感じることなく刀を振ることができた。思うように身体を動かせて気分がいい。薬のことを知らない幸陽は、最近調子が悪そうだった主が急に活気づいたので驚いていたが、その理由を深く考えることはなかった。
心強いお守りを手に入れた有一郎だったが、安心したのも束の間、吐き気止めの薬は毎回必ず効いてくれるわけではなかった。
「げほげほっ…!うっ…、ごほっ!」
薬を飲んだ筈なのに、この日もなかなか効果が現れず、任務の前にまた吐いてしまった。
なんで…?ちゃんと時間も逆算して飲んだのに。遅くてももう効果が現れてる筈の時間なのに。なんで効いてくれないんだよ!困るよ!
焦った有一郎は、1回1錠と定められた薬を、決められた時間の間隔を開けずもう1錠水で流し込んだ。
それから30分と少し経ってから、ようやく吐き気がおさまった。どうにか鬼と遭遇する前に吐き気を鎮めることができたのだ。
しかし、任務が終わって帰宅する途中で異変が起きた。
頭が痛い。心臓もバクバクと音を立てて暴れている。心なしか、手足が少し震えている気もする。
「…?」
疲れたせいだろうか。そう思い有一郎は花柱邸に着いてから、軽く身を清めて早々に布団に潜り込んだ。
「…う……」
目を閉じて眠ろうとするが、こんな時に限ってなかなか寝つけない。
口の中が渇く。一旦台所へ水を飲みに行ったが、飲んでも飲んでも潤った感じがしない。
かなりの量の水を飲み、ようやく満足した。また欲しくなった時の為に、有一郎は大きめの湯呑みにたっぷりの水を入れたものを3つお盆に乗せて部屋に戻った。
わざわざ街まで足を運んで手に入れた吐き気止めの薬は、段々効かなくなっていった。焦りと苛立ちに、決められた量を超えて服用するようになった有一郎。そんなことをすると頭痛や手足の震えや口渇に悩まされる。
もう…!どうすればいいんだよ…!!
今の状況を誰にも相談できず、時間ばかりが過ぎていった。
『有一郎くん』
任務から帰って湯浴みを済ませた俺を、柊依さんが呼び止めた。
『おかえり。お疲れ様。…少しお話できる?』
どくんと心臓が大きく跳ねた。真っ直ぐにこちらを見つめてくる柊依さんに、全てを見透かされているような気がした。
「…あ…、えっと……。…………うん……」
しどろもどろに返事をする俺の背中にそっと手を当てて、柊依さんが俺を彼女の部屋に連れて行く。
すすめられた座布団に腰を下ろした。足を崩すように言ってくれたけれど、俺は正座のままでいた。
柊依さんと出会って初めて、彼女といるこの空間が気まずいと感じた。
「……あの、柊依さん……。話って…?」
何を言われるか、どんなことを聞かれるか、心当たりが色々ありすぎて。俺のほうから口を開いた。
柊依さんの喉から小さく息を吸う音が聞こえた。
『…単刀直入に言うわね。有一郎くん、あなた、鬼と戦うのがつらいでしょう』
「!!」
どくん、どくん……
心臓が早鐘を打つ。胸を内側から強く叩いてくる。
『鬼と戦うの、怖い?』
「…ぁ…、えっと……その…」
何て言ったらいいか分からなくて口ごもる。
『…正直な気持ちを教えて欲しいの』
「………」
『お願い』
真っ直ぐに俺を見つめる柊依さん。静かな眼差しに、喉の奥がつかえるような感覚になった。
気を抜くと泣いてしまいそうで。俺は黙ったまま俯いた。
「……ふぅーーーっ………」
言葉を紡ごうとすると本当に涙が出そうになる。必死にそれを抑えつけて、できるだけ小さな音で細く長く深呼吸をしながら、膝の上で握った拳をぎゅっと強く強く握り締めた。
『ひとりで抱え込むの、きついでしょ?有一郎くんの力になりたいの。私でよければ話してくれない?』
やめてよ。そんな優しい言葉、投げ掛けないでよ……。堪えられなくなってしまう。
「…っ……、なんともない…よ」
やっとの思いで答える。けれど、瞬きをした拍子に零れないように努めていた涙が瞼の淵から外に出て行ってしまった。
まずい。気付かれたかな。泣くな。泣くな。泣くな…!
『……有一郎くん』
衣擦れの音が聞こえて、向かい合わせに座っていた柊依さんが俺の目の前まで来た。華奢な手で両頬を挟まれて、そっと顔を持ち上げられる。
『…本当に、“なんともない”の?』
「………」
柊依さんは多分、全部分かっているんだ。俺が鬼と遭遇するのが怖いと感じているのも、任務が苦痛なのも、体調が悪いのも。
でも、嫌われたくない。呆れられたくない。命を助けてもらって、保護してくれて、たくさんの愛情をかけてもらって。そんな柊依さんに恩返しがしたいと思っていたのにこの体たらく。彼女をがっかりさせたくない。
……それに、心の奥底に閉じ込めた自分の正直な気持ちを認めてしまったら…、もうおしまいな気がするんだ。
『……自分の気持ちに嘘をつくの、きついでしょ?』
「…!」
『私では頼りない?力になれない?』
「…っ、そんなことないっ…!」
あ、だめだ。視界がぼやける。鼻の奥が痛い。喉がきゅっと狭まる。
「だって…!…俺は鬼殺隊員なのにっ……。鬼が怖いなんて…っ…、うぅっ…。ひよりさ、んにも…嫌われたくなくて…!…ひぐっ……」
一度涙が出てしまってはもう止められない。後から後から溢れてきて、ぼろぼろと頬を転がり落ちていく。
『嫌いになんかなるわけないでしょ』
柊依さんは眉をハの字に下げて俺の頭を優しく撫でた。
『鬼が怖いのは誰だってそうよ。みんな命懸けで戦ってるんだし。おかしいことじゃない』
「うっ……」
『…あのね。屋敷の隠の人たちから聞いたの。有一郎くんが任務に出る前に厠に駆け込んでるって。多分、戻しちゃってるんじゃないかって。幸陽からも相談されたわ。任務に向かう途中、あなたが草むらに吐いてるって』
ばれてた。いつか誰かに指摘されるかもって思ってはいたけれど。
『いつから?』
「……1ヶ月…ちょっと前から…」
『そう…』
「…ぅ…、柊依さん、ごめんなさい…!嘘ついて…っ…。俺…、自分が情けなくて……。ほんとはつらかった…!身体は震えるし足もすくむし、…刀も思うように振れなくて…っ…、でもそんなの自分の弱さとか甘えだって思って…!言えなかったんだ…」
ずっと抑え込んでいたものがどんどん外に出て行ってしまう。
「…ごめんなさい…!ひっく……、気付いてくれたのに誤魔化して。…嘘ついてごめんなさい!…嫌われたくなくて…っ…。うっ…、自分で何とかしようと思ったんたけど上手くいかなくて…」
顔を着物の袖に押しつける。涙は全然止まらないし息は苦しいし。喉がつかえて思うように喋れない。
『このこと、誰かに相談は?』
黙って首を横に振る。
「…心配掛けたくなくて…、こんな自分が情けなくて許せなくて…!……どんなふうに思われるだろうって、怖かった…」
『そう……』
「任務の前に必ず吐いちゃって……。それも苦しくて…。薬飲んでも効かない時もあるし…」
『薬?』
柊依さんが驚いたような声をあげた。
しまった。薬を飲んでいることは幸陽も知らなかったんだ。でももう話してしまおう。
『何の薬?』
「…吐き気止めの……」
『それはお医者さんから処方されたもの?しのぶちゃんがくれたの?』
「ううん……。蝶屋敷には行ってなくて。…街の薬屋さんに行って買ってきたんだ…」
自己判断で薬を買って服用したこと、叱られたって仕方ない。
『副作用は?』
「副作用かは分かんないけど…、頭が痛くなったり手が震えたり、口の中がカラカラに渇いたりしてた…。あと、心臓がすごいバクバクしたり…」
『それ、副作用ね。吐き気もつらいだろうけど副作用も相当しんどかったんじゃない?』
「…うん……」
『もう…!』
叱責されるのを覚悟した。けれど、俺を包み込んだのはお咎めの言葉ではなく、柊依さんの腕の温もりだった。
『…有一郎くんがそんなにしてまで堪えてたの、知らなかった。もっと早くに気付いてあげられたらよかったのに…ごめんね…』
「…っ…!」
再び涙が溢れて止まらなくなった。
違うよ、柊依さんはなんにも悪くない!俺が勝手にやっていたことなのに。柊依さんが謝るなんておかしい!
『薬を使うくらいきつかったのね。誰にも言えずに…つらかったね……』
「ぅ…っ…、ひぐっ…!ひよりさんっ…!ごめんなさい…!」
柊依さんの身体にしがみつく。彼女の着物を力いっぱい握り締めて。柊依さんも俺をぎゅっと抱き締めて、背中をとん、とん、と優しく叩いてくれた。
『…もう一度聞くわね。有一郎くん、あなたは今、鬼と戦うのがつらい?』
「……うん…、つらい…」
今度こそ正直に柊依さんの言葉を肯定した。
ずっとずっと、自分の気持ちに見て見ぬふりをして過ごしていた。鬼殺隊なのに鬼が怖い?花柱直々に弟子にしてもらったのに戦えない?弟にどんどん差を拡げられて惨めな気持ち?全部、情けなくて悔しくて、認めたくなかったんだ。
「柊依さん、どうしよ…っ…。俺っ、こんなんじゃ戦えない…!きっとみんなの足を引っ張っちゃう。迷惑掛けちゃう……!」
こめかみが軋む。息が乱れる。熱い雫が頬を伝って流れて、柊依さんの着物に吸い込まれていく。
『そうね……。このまま無理しても何もいいことない。有一郎くん自身も余計に命が危うくなると思う…』
静かで優しい、柊依さんの声。
『薬を無闇に服用するのはやめなさい。それで、ちゃんとお医者さんの診察を受けるの。吐き気の原因がどこから来てるのかはっきりさせないとね。…私としては、精神的な負担からだと思うけど、ちゃんと専門家の指示を仰ぎましょう』
「うっ…、ううっ…」
『食べたものを戻しちゃう程に鬼殺の任務がつらいなら、しばらく前線から離れてもいいと思うのよ。鬼を狩る以外にもできることはたくさんあるんだから』
柊依さんが俺を抱き締めたまま頭を撫でてくれる。優しく、優しく。
「…でも…、無一郎とどんどん差が出ちゃうし…!何より、もっと強くなって俺があいつを守らなきゃいけないのにっ…!」
『大丈夫。私も彼を守るし、銀子ちゃんっていう優秀な相棒もいる。…有一郎くんは今でも充分強い子よ』
「強くなん、か…ない…っ…!現にこんなことになっちゃってるし。……情けないよ…!悔しいよお…!」
小さな子どもみたいに泣きじゃくる俺を、柊依さんがそれまでより少し強く抱き締める。
『うん、うん。悔しいね。他人からどれだけ何て言われたって、自分のことを責める気持ちはなかなか消えないよね。…でもね、今こうやって悩んできつい思いをしたこと、有一郎くんにとって、きっといつか大きな力になるから。大丈夫。大丈夫よ』
「ふ…、ううっ…」
『それにね、剣士でもそうでなくても、あなたは私の一番弟子で、大事な家族で、可愛い弟なことには何の変わりもないの。…有一郎くん、大好きよ』
「ぅっ…、わあああぁぁぁぁ……っ! 」
堤防が壊れたみたいに勢いよく涙が溢れる。堪えきれずにとうとう声をあげて泣いてしまった。
嫌われたくなかった。がっかりさせたくなかった。せっかく柊依さんが剣を教えてくれたのに、お守りも作ってくれたのに、こんなふうになってしまって。情けなくて悔しくて、腹立たしくて。弱い自分が許せなかった。
柊依さんは俺が泣き止むまで、その後落ち着いてからも、しばらく静かに俺を抱き締めてくれていた。背中をさすったり、頭を撫でてくれるこの手の温もりを、俺はきっと一生忘れない。
『お館様には私から事情を説明しておくわね。…無一郎くんにはどうする?』
「俺が自分で話すよ。……でも泣いて上手く喋れなくなっちゃうかもしれないから…、柊依さんも一緒にいてくれると嬉しいな…」
『分かった。じゃあ、そうしようね』
「うん。ありがとう」
柊依さんが優しく微笑んで、俺の頬に残った涙をそっと拭ってくれた。
「…戦えない鬼殺隊員なんておかしいよね……」
『ううん。そんなことない。剣士になっても戦えなくなって前線から離れる人はたくさんいる。でもそんな人たちも、何らかの形で鬼殺隊に貢献してくれてるのよ。有一郎くんだって、これからずっと戦えないって決まったわけじゃないんだし。もちろんつらかったらやめていい。大丈夫そうかなって思ったらまた刀を握ればいいの』
「うん……」
『今はゆっくり休んで。ちゃんと自分の心の声を聞いてあげて。しっかり自分を見つめ直してね』
「うん…」
柊依さんがまた俺を抱き締めてくれた。あったかくて安心する、大好きな人の腕の中。
俺も黙って彼女の身体に腕を回す。さっきあんなに泣いたのに、また涙が込み上げてきた。でも今は堪えずに流れるままにした。零れた涙は柊依さんの着物に吸い込まれていく。
『有一郎くん。つらい時はつらいって言っていいんだからね。処方箋のない薬に頼るのも無し。もう、ひとりで抱え込まないで。分かった?』
「はい…っ…」
胸がいっぱいで返事をするのがやっとだった。俺は柊依さんの肩に顔をうずめて、その後もしばらく泣いていた。
続く
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