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静かすぎる放課後。空が茜色を過ぎて、紫の気配を落としはじめたころ、昇降口の影で、おれはまた“それ”に出会った。
「よォ、遥。……なんだよ、その顔」
蓮司だった。
軽く笑ってるくせに、目が死ぬほど冷たい。
口調はふわふわしてるのに、声の端が妙に肌に刺さる。
「別に。おれの顔なんて、いつも通りだろ」
「ふーん……そっか。じゃあ、“調子”悪いのかもな?」
蓮司の手が、まるで煙のようにおれの髪に触れた。
ぞっとする。嫌悪じゃなくて、反射的な──体が覚えてる何かが、背骨を這い上がる。
「なぁ、日下部とは、うまくやってるの?」
わざとらしく抑えた声で耳元に囁かれたとき、
世界が少しだけ、ノイズで揺れた。
(ああ──まただ)
触れられた髪の毛一本一本が、過去に引き戻す。
背中に押し当てられた冷たい床。
押し殺した声と、止まない吐き気。
もう慣れたはずだったのに。
「やめろよ、蓮司」
自分でも驚くくらい、声がかすれていた。
「あれ? 拒否んの? おまえが?」
蓮司は笑う。すごく軽く。
まるでそれが、おれの一番深い傷の真上に座ってることなんて、まるで気づいてないみたいに。
(気づいてるくせに)
それでも、体は動かなかった。
足がすくんだみたいに、反射が追いつかない。
あの頃のおれが、首の後ろから這い出してくる。
(助けてくれよ──誰か)
そんな声を飲み込んでしまったとき、
視界の端から、誰かが駆けてくる気配がした。
「──やめろって言ってんだろ、蓮司!」
振り返る前に、日下部の声が鼓膜を貫いた。
次の瞬間、蓮司の手がおれの髪から離れ、
その温度が消えた途端、息が吸えた。
「うわ、マジで、正義感すごいなぁ。……じゃ、俺、行くわ」
まるで空気が抜けるように、蓮司は背を向ける。
足取りは軽く、無関心に見えた。
でも──おれの中では、全部まだそこにあった。
あの手も、声も、匂いも、終わらない記憶も。
「……遥、大丈夫か?」
日下部が、そっとおれに近づいてきた。
その目を、見られなかった。
見たら崩れてしまいそうで。
「なんで、おまえ、こんなにやさしいんだよ……」
ぽつりと出た声は、おれの意思じゃなかった。
でも、今だけは止められなかった。
日下部の腕に触れた自分の指が、震えていた。