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ねぇ、天国ってあると思う?
聴き慣れた、でもどこか懐かしさを感じる声。
あれは、お母さんの声。
ふと気がつくとハッと目が覚めた。
見覚えのない天井、消毒液や薬の病院独特の匂い。
所々身体が痛む。ギプスで固定された足と腕。
動けない。なんでここにいるのかわからない。
でも1番わからないのは、なぜか涙が止まらないこと。
息がしづらくなるくらいに寂しさ孤独、虚無感に襲われ泣きじゃくる。
その鳴き声を聞いて看護師が担当医を呼ぶ。
看護師と担当医がこちらに来て聞きたくなかった状況説明を聞かされる。
「四ノ宮さん、自分の名前覚えていらっしゃいますか?
あなたは四ノ宮 満(しのみや みちる)さんで間違いありませんか?」
「は…い…うっ…グスッ…」渇いた声でなんとか返事をする。
「四ノ宮さん、落ち着いて聞いてくださいね。
あなたは一昨日、交通事故に遭ってここに運び込まれて来たんです。
失礼ながら助かる見込みはないと諦めながらも全力で手術を致しました。
ですがよかったです。目が覚めて。あなただけでも助かって本当によかった。」
「え…?」
あなただけでも?きっと担当医はわざとこの言葉を置いたのだ。
心構えをさせる為に。ちゃんと受け入れやすくする為にワンクッション置いたんだ。
「…交通事故のことを思い出せますか?誰とご一緒に車に乗っていたか、覚えていらっしゃいますか?」
医者の問いかけに、頭がズキズキと疼いた。
そして1人の人物が思い浮かんだ。
「おかあ…さん」
そう呟いた瞬間、また呼吸をするのが難しいほど息が上がってきた。
「…はい」
医者は多く頷いた。伝えることを躊躇うように、でも伝えねばという真剣な眼差しでこちらを見る。
「お母さんの方からバスが衝突して、1番状態が悪く運び込まれて来ました。
ほとんど意識がないままでしたが、最後にあなたの名前を呼んで探しているような様子でしたよ。
でも、程なくして損傷がひどかった事もあって…お亡くなりに、なられました。」
もう、息をしているのかさえわからなかった。涙が止まらず、看護師さんが肩を摩ってくれているが、ただ悲しみのまま声を出して泣いた。
だが、一つ疑問があった。母が私の名を呼んで探していた様子だったと聞いたことが引っ掛かった。
なぜなら母は私のことを覚えていなかったからだ。
病気だ。アルツハイマー型認知症だった。最後の間際に思い出してくれたのかな。
母は心配性な人だったから、最後のその瞬間も私を心配していたのだろう。
病気になる前、母はずっと私にとって最高の母だった。
母子家庭で貧しくても、母は明るかった。厳しくもあったがおかげで人並みの女性になれた。
私は母が大好きだった。ママっ子、マザコン。きっとどれにも当てはまるほどに。
私は結婚して、子供を産むことができた。そして子供からたくさん知らされることになる。
母がどれだけ私を苦労して育ててくれたのか。
これはきっと母親にならないとわからない。1人産んでなんとなくわかった。
子供が2人、あるいはもっといたらまた違う苦労が絶対にある。
ただ経済面の問題だけじゃないのだろう。本当に母を尊敬したし、孫が可愛くて仕方ないと言ったおばあちゃんにもなった。
嬉しかったし、本当に幸せだった。でも、予兆はあった。
少しずつ母の記憶が抜けていくようになった。
例えば土曜参観が最近あったことを忘れて、子供の参観日にと学校に二度も訪れた。
また違う日には大切にしていたネックレスがないと騒いだこともあった。
そしてついには子供の名前、私の夫の存在、私の事を母の友人の誰かだと言い始めたりもした。
だんだんと母の中で私が消えていった。
大好きな母がまるで知らない人のように見えた。
私の中の母は私に笑いかけて、心配して、怒ったりもして、抱きしめてくれた母が居るのに。
辛かった。大好きな母が可哀想にも思えて心が折れそうだった。
でも、離れようとは思わない。
私のことを忘れた次の日。私は母を車に乗せてドライブに行くことにした。
「ねぇ、天国ってあると思う?」
母が尋ねてきた。友人と会話しているつもりだ。
「わからないよ、生きてるからね」
「行けたらいいなぁ」
「きっと行けるよ、自信ないの?悪いことした?」
「そうじゃないの、ただね、私…」
その時だった、バスが母の方から突っ込んできたのは。
気がつくと、病院のベットの上にいて、母が死んだことを聞かされたんだ。
「もうすぐご家族が来ますからね、目が覚めたことを連絡したので」
看護師がさっきよりは落ち着いた私に優しく声をかけた。
お母さん。事故の瞬間は思い出せた。でも一つだけ頭のどこかで引っ掛かったままの何かがある気がした。
思い出せない。忘れたくない夢を忘れてしまったかのように。
頭では必死に思い出そうとするが、やはり思い出せない。
「眠くなって来ましたか?大丈夫ですよ、ご家族がいらしたら呼びかけますので、今はゆっくり休んでくださいね」
また違う看護師が優しい声をかけてくれた。
そのおかげか落ちるように眠りについた。
ここは、夢の中だろうか。
真っ白な明るい空間が続いている。ドラマや映画でよく見る演出の場のようだ。
「ここ、どこ?誰かいますかー?」
声をかけるが誰もいない。そういえば私は大怪我をしていたはずだが怪我がない。
歩けているし、服も真白なワンピースだ。
不思議に思っていると声をかけられた。
「ごきげんよう」
振り向くと、紫のメイド服を着た可愛い女の子が立っていた。
紫がかった目に肩下まで伸びた美しい黒髪。
メイド服も丈が長く上品な色の暗めの紫だ。
「あ、あのここは…」
私が聞くと女の子は涼しい顔で言った。
「あの世」
「え!?私、死んだの!?」
女の子はクスッと笑って言い直した。
「ううん、あの世とこの世の狭間。死者と生者が会える場所。」
女の子はニコリと笑うと手をこまねいた。
「ついて来てください、あなたに会いたいという方が待っています。」
女の子は先が見えないまっすぐ続く白い空間を歩き始めた。
私は黙ってついていった。