「レムリアちゃーん! ご飯にしまちゅか~? おっぱいにしまちゅか~? それとも古代樹にしまちゅか~?」
美人すぎる女性が満面の笑みで意味不明なことを言ってくる。
やはり嬉しすぎるシチュエーションではあるが、どうにも人妻の胸を無断で吸うというのは抵抗がある。背徳感がある。いや、これはこれでいい気も……いやいやよくないぞ!
しっかりするんだ!
「レムリアよ。なぜそこまでママの乳房を拒むのだ? 豊満かつ柔らかな双丘は天にも昇る夢見心地ぞ? まあ何を選ぶかはレムリアの自由だが」
では、と美男の方が近くにそびえ立った大樹を指し示す。
「であるならば繋げてみよ」
何を? と思えば、その大樹の何かが俺の中で優しく触れた気がした。
その瞬間から、ここはどこで俺が何者で……目の前の美男美女が何者なのかを理解させられる。
いや、正確には教えてもらった?
『星渡りの古森——』
ここは【星渡りの古森】。
強く生命力に溢れた古代樹が点在しており、昼でさえ森は背の高い木々に覆われて暗闇が支配する。【星虫】と呼ばれる羽虫が漂い、昼も夜も星空に包まれたかのような美しき古森だ。
しかし一度、人が足を踏み入れたが最後。
エルフの張った結界に惑わされ、迷いに迷って【帰らずの闇森】とも恐れられている。ただ、星虫たちが示す森の中の星座を読み取り、星々を渡れる者のみが結界をすり抜けられる仕組みになっている。
その先はエルフの楽園であり、陽光が差し込む温かな古森となっている。
『エルフ——』『ハイエルフ——』『エンシェントエルフ——』
エルフは森の共生者であり、人族からは【森の麗人】と呼ばれている。
長寿であり、数百年は生きるのが常だ。
そしてハイエルフは、エルフよりも植物や木々との意思を繋ぎやすい。寿命は千年を超える者もおり、エルフ族の中では非常に尊ばれている。
そしてさらにその上位種がエンシェントエルフであり俺の両親……というかレムリアたんのご両親だったってわけだ。
この美男美女は一見して二十代前半にしか見えないのに、その実年齢は4000歳を超えるらしい。
『——永劫に星明りを導く王。リュエル・エテルノ・ゼトワール』
へえ、このおっぱい大好き美男はリュエルさんって名前なのか。
『——永遠に咲き誇る花園の女王。フローラ・エテルノ・ハルディナ』
それでおっぱいで迫ってくるナイスバディ清楚ビッチ美女がフローラさん。
『レムリア・エテルナ・ノービス』
そして俺は、推しのフルネームを初めて知った。
推しもまたエンシェントエルフの特性上、【古代樹】から色々と教えてもらえるし栄養も補給できるようだ。
まさに【古代樹】は天然の教科書みたいだな。
「おっぎゃあ……」
推しがエルフであることも知っていたし、【星渡りの古森】も『クロノ・クロニクル』のシーズン4で推しの隠しルートをこなす際に行ったこともあった。本来であれば物凄く複雑な条件をクリアした者しか入れない領域である。
そこまではわかる。
でもまさか推しが、エルフ族の姫だったなんて知らなかった。
◇
赤ちゃんになって1週間が経った。
俺は何をしていたかというと、特に何もしていなかった。
というか赤ちゃんなので何もできなかった。ただただ起きた現実とどう向き合うか、感情の整理を続けている。
日本に未練が一切ない、と言えば嘘になる。
あっちに残してきた両親は悲しむだろうし、まだ親孝行だってできちゃいない。ただ、歳の離れた妹たちがいるからその辺はあまり心配していない。俺よりよっぽどできた妹たちだからな。
そうやって納得できはしないけど、どうにか割り切るようにしている。
でないと涙が……。
「ほぎゃあああああっ」
ああ……やってしまった。
どうやら赤子というのは感情が大きく動く=泣くに直結してしまうようで、どうにも自分の体なのにコントロールできないのだ。
俺が泣いてしまえば、当然こっちのママンが駆けつけてきてしまう。
「あらあらレムリアちゃんどうしたのかしら?」
「空腹でもなく、便でもなさそうだな。レムリアよ、元気なことはよいことだ!」
どうやらパパンも来てくれたようだ。
「どれどれ——緑よ、我が愛娘に安寧を。花よ、我が愛娘に慈愛を示しておくれ————【花船の揺り籠】」
パパンが何やら呟くと聞き覚えのある魔法名が口にされた。
そしてパパンの要望に応えるように花々が俺を包みこむ。それはまるで赤子を眠らせる揺りかごのように、植物の生命力と再生力が込められた小舟となった。さらに草々は波打つ水面のごとく生い茂り、俺を乗せた花と緑の小舟を優しく揺らす。
これは……魔法、魔法だ。
しかも俺はこの魔法を知っている。
習得条件やどんな効果なのかも、その全ては俺が夢中になっていたVRゲーム『クロノ・クロニクル』にあった。
ぽかぽかと体が温まり、心が落ち着いてゆく。
傷を癒し、精神異常を回復する魔法に揺られながら、子供が泣いただけでこのような上位魔法を使うパパンは少し過保護だとも思う。
それでも不安の尽きない俺に、確かな愛が注がれたのを感じた。
やはりここは『クロノ・クロニクル』の世界なのだろうか?
推しの言っていた台詞も気になるし……。
とにかく今は様子見を続けるしかない。なにせ赤ちゃんなので何もできないのだ。
「……ばあぶ」
ちょっとだけ空しく、だけど温かい陽だまりの時間だった。
◇
赤ちゃんになってさらに半年が過ぎた。
ハイハイができるようになった。
「推しの赤ちゃん姿から見れるとか最高かよおおおお……!」
俺は両親の目を盗んでは、【森の麗人の宿り木】を抜け出すのが日課になっていた。
なぜなら隙あらばおっぱいを飲ませてこようとするママンには複雑な気持ちになるし、この世界が本当にクロクロと同じものなのか確認するためでもある。
「てぇっちゃぃぃぃ……!」
そして俺は近くに生えていた【古代樹】へと意識をつなぐ。
すると俺の脳裏に【古代樹】が数千年蓄えた知識や感覚が共有されてゆく。
さらに魔法を発動するための信仰や色力が流れ込んでくるのを全身に感じる。
ちなみに古代樹から栄養をもらうと髪の毛がものすごく伸びる。エルフにとっては髪の伸びが成長の証らしい。
俺の髪の毛は地面につくほどの長さで、パパンとママンは『こんなに早く伸びるのは前代未聞だ』と驚いていたっけ。
さすが推しだ。
とにかくこの半年で、赤ちゃんなりにできることを模索し続けた結果でもある。
そして今日はさらに一歩踏み込んでみようと思う。
俺は目の前の空に、『浮遊』の文字を指先で描く。
すると文字は空中で淡く発光し、その効力が健在であると示す。
この文字は【神象文字】という。一言で表すなら神々の力が宿り、神々が引き起こす事象を発生させる魔法の言葉みたいなものだ。
本来はクロクロのシーズン6で実装されるコンテンツだが、どうやらこの世界でも存在するらしい。
そっと『浮遊』の文字に触れると、俺の体はふわりと宙に浮く。
「あっきゃっきゃ!」
大成功だ。
ゲーム通りの現象に少しだけ興奮してしまう。
単語が発動するのはわかったから、次は『説』を試してみよう。
まずは中空に一節一節と『神象文字』を指先で刻んでゆく。
それらをさらに言の葉に乗せてゆく。
「木々の戴冠を——見守りし者が願う——」
『神象文字』は一節一節にも意味があり、それらを収集して解明してゆく。そして転生人がより良い組み合わせを発見できれば、神の奇跡を起こせる『説』となる。
ひらたく言えば文字で伝説を再現できる。
『神象文字』は神代遺跡などに眠る【秘跡】や【石板】、聖古都などに封じられた【禁史書】や【禁忌黙録】などから手に入り、俺も夢中になってコレクションした。
基本的には魔法職特化のコンテンツだったし、多用する転生人は『文字使い』などと呼ばれていた。
そして俺は発動するための信仰や色力が足りなかったので、あくまでPvP対策にと、楽しみながら収集していた。
『文字使い』と戦闘の際は文字を目にした瞬間、相手がどのような魔法を放ってくるのか、既知と無知では対応力に雲泥の差がでるのだ。
さて、今ではエンシェントエルフという特性上、たっぷりと信仰も色力もあるはず。
「樹海の刃、枝葉を研ぎ澄ませ、愚者にその根を張り巡らせよ——」
そして『神象文字』の正確な意味や組み合わせはしっかりと覚えている。
これはクロクロにおいて『神象文字』を発動するための条件だ。
もし、この条件がこの世界でもまかり通るのなら————
「——【大樹の千剣】……!」
『神象文字』を結ぶと、すぐそばの大樹が大きくしなった。
というかグニョリと曲がって急速に伸び始めた。
そして俺が狙った空間にそのまましなだれ込み、枝や葉が鋭い剣となって地面にドスドスと突き刺さってゆく。
まさに天上から降り注ぐ千の剣となって、もしそこに敵がいたら穴だらけになっていただろう。
「あきゃきゃっ」
わあー成功だ。
『説』まで発動したってことは……クロクロで発見した【神象文字】は有効ってことか。
そうなると少しだけ楽しくなってくる。
もうちょっと変わりダネや大技とかも試したくなる。
「美しき花姫、手折る者には、毒と茨で身を守らん」
——【毒舌の薔薇玉座】。
今度は短縮詠唱で試してみるとこれまた成功した。
俺の周囲には力強い薔薇と棘が無数に生え、巨大な玉座と化す。
「きゃっきゃっ」
うわ、たかいたかーい。
ってやってる場合じゃない。さすがに降りないとまずいか。
俺は高速ハイハイでどうにか刺々しい玉座から這い出るも、やはり棘などが体に掠ってしまった。
そして強烈な頭痛や吐き気、そして眩暈や幻覚などが見え始める。
頭痛と吐き気以外はクロクロで知る【毒舌の薔薇玉座】の状態異常だ。
そ、それなら次は無詠唱でやってみよう。
素早く中空に『神象文字』を書きながら、同時に心の中で詠唱も済ましておく。
『緑と風の聖歌、陽光に祝福されし祈り、花園を守護する三騎士の誓い、聖剣を立てよ』
——【花園を歌う聖域剣】。
ぽふっと草の上に座る俺を囲むように、三本の芽がニョキニョキと成長する。それらは美しい剣となり、その刀身には可憐な白い花とツタが絡み咲く。
剣と剣が結ぶ三角地帯、その中央に俺がいれば傷や吐き気などがみるみる治っていく。
状態異常と傷を治癒してくれる効果はクロクロと同じだった。
「ばぁぶ!」
満足。大満足!
もしかしてエンシェントエルフって森にこもっていれば最強なんじゃ?
木々から無限に信仰や色力を供給できるし、次はもっとド派手なやつを発動してみよう!
『大地の巨神、幾星霜の時が過ぎ、枯れず、朽ちず、折れず、振りかざすは炎を砕く大剣』
——【巨神の岩剣】。
ズドンっと地面が揺れ、俺は軽く宙に浮いてしまった。
しかしコロリンと見事に着地しては音の発生源へと目をこらす。
土煙がもうもうと吹き荒れ、その奥には分厚い影がそびえ立っている。ようやく視界が回復したところ、影の正体がわかった。
それはどの巨木よりも大きな岩の巨剣だった。ビルと同等ぐらいのバカでかい剣が周囲を盛大に巻き込んで派手に着地、というか突き刺さっていた。
「あきゃー……」
こ、これはさすがにやりすぎたか?
だいぶテンション上がって連発しちゃったけど、もし誰かいたら大惨事になってたんじゃ? よくよく冷静になって考えると、今まで発動してきた魔法はどれも危険すぎる。
そんな俺の不安が的中したかのようにママンの声が轟いた。
「レムリアちゃんは、大っ、大っ、大天才よ! これはもう全ての森に感謝よ!」
しかしママンは俺を注意するどころか大歓喜していた。
「リュエール! ちょっとこちらに来てください! 木陰からレムリアちゃんを見守っていたら、この娘ったら! こんな素晴らしい緑の数々を行使していたのよ!」
「どうしたフローラ!? む、これらすべてをレムリア一人で行使したのか!? 生後九ヵ月の我が愛娘が!?」
パパンもやってきたようで、そこら中に剣が突き刺さっている現状に唖然としていた。
というかママンはずっと俺を見守ってくれていたのか。
「自由! 自由だああー! レムリアから壮大な自由を感じるぞおおお! しかし、なぜ剣ばかりなんだ?」
「ばっぶ」
パパンよ、どうして剣ばかりかって?
それは推しも俺も、剣が好きだったからさ。
「レムリアちゃんはやっぱり祝福されるべきよ! エルフたちを招いて生誕祭を開きましょう!」
「すごい、すごいぞレムリア! さすがは私とフローラの娘だ! よぉーっし、レムリアの生誕祭を盛大に開くぞおおおお!」
えっ、ちょ、ま……。
古代樹に教えてもらったけど、エルフってばたとえ王族でも質素に暮らしてるというか、そういうパーティーみたいなのは滅多に開かないはずだよね?
生誕祭なんてしたら、色々な人と顔を合わせなきゃいけなくなるよね?
それに——
無駄に権力にすり寄ってくる生ゴミがいたら、ぜーんぶお掃除したくなります……。
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