テラーノベル
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かつて「最強」の名を欲しいままにした滉斗の心は、皮肉にも平和が訪れたことで、深く静かな闇に沈んでいた。
窓の外では、元貴が咲かせた色とりどりの花が風に揺れている。しかし、薄暗い寝室で横たわる滉斗の瞳には、その色彩さえも灰色に映っていた。
「……また、夢を見たの?」
傍らに座り、冷えたタオルを替える元貴の問いに、滉斗は短く、掠れた吐息を漏らす。
戦火の中では、生きるために心を殺すことができた。だが、静寂が戻った今、かつて自分が手にかけた者たちの断末魔や、凍てついた戦場の光景が、鋭い氷柱となって彼の胸を突き刺す。
「俺は……この手で多くの命を奪った。その俺が、なぜ今、お前の隣で笑っていられるのか、わからなくなるんだ」
滉斗の声は、氷が割れるように脆い。
軍人として「正解」だと教え込まれてきた殺戮が、愛を知った今の彼には、耐えがたい「罪」としてのしかかっていた。自分の存在そのものが、元貴の作る美しい世界を汚しているのではないか――その強迫観念が、彼の四肢から力を奪い、底なしの泥の中に引きずり込んでいく。
元貴は、何も言わずに滉斗の大きな手を、自身の両手で包み込んだ。
かつて戦場で血に染まり、人々を凍えさせたその手は、今、子供のように震えている。元貴は優しく指を絡め、自らの術式を介して、春の陽だまりのような温もりを流し込んだ。
「ひろぱ。君が奪ったものの重さを、僕は肩代わりしてあげることはできない。……でも、君がその罪に凍えそうなら、僕が君を温める火になるよ」
元貴は滉斗の額に、慈しむように自分の額を重ねた。
「君の剣がなければ、今のこの平和な風は吹いていない。君が傷つけた世界を、僕が一生かけて花で埋めていくから。だから、自分を責めるのに飽きたら、僕を見て」
「元貴……」
「君は、僕だけの騎士じゃない。僕の愛する、たった一人の夫なんだよ」
元貴は不意に、枕元に置かれていた水差しに手をかざした。
淡い光が弾けると、透明な水の中から、季節外れの小さな蓮の花がふわりと姿を現す。それは泥の中から気高く咲く、再生の象徴だった。
「見て、ひろぱ。泥がなければ、この花は咲けない。君の苦しみも、いつか誰かを守るための優しさに変わる日が来る」
滉斗は、差し出されたその小さな命を見つめ、ゆっくりと身体を起こした。元貴の胸に顔を埋めると、氷の仮面が完全に溶け落ちたかのように、静かに肩を震わせる。
元貴はその背中を、赤子をあやすように何度も、何度も撫で続けた。
数時間後。
窓から差し込む月光が、寄り添って眠る二人を照らしていた。
滉斗の呼吸は、数日ぶりに深く、穏やかなものへと変わっている。その指先には、元貴が術で咲かせた蓮の花びらが、一ひらだけ大切そうに残されていた。
夜の静寂は、もう彼を責める刃ではない。
隣にいる愛する人の体温が、過去の影を少しずつ塗り替えていく。
最恐の剣士を救ったのは、強大な魔力ではなく、ただ隣にいて離れない、一輪の花のような慈愛だった。
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