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「…え、だって…イグニス…怒ってるでしょ…っ?」
「俺が怒っているのは自分自身にだ。君を守れなかった俺にだ。謝るのは俺の方だろう…本当にすまない」
彼の言葉は低く響く。
けれどそこに含まれているのは、紛れもない自責と、深い、深すぎる後悔の念。
「でも……私っ…あなたの妻なのに……っ! あんな人に、あんなことされて……っ」
「……」
喉が詰まり言葉が途切れてしまう。それでも伝えなければならないと思った。
「もしこれであなたの評判が……っ…落ちたら…あらぬ噂が立って、離縁なんてことになったら……っ」
想像しただけで体がガタガタと震える。
この温もりを失うことなど耐えられない。
「…あ…あなたは……っ…こんなことされた私を……まだっ…愛して……くれる…の…?」
息も絶え絶えに吐き出した本音に、イグニスの指先が、私の肌に食い込むほど力を増した。
「離縁なんて……そんなことは、天地がひっくり返ってもありえない」
彼の声が、地鳴りのように一段と低くなる。
「君を傷つけたあの男に対する怒りで、狂いそうなんだ。今すぐあの男を、この手で、一族ごと八つ裂きにしてやりたいと思っているほどに……だが」
その言葉に込められた凄まじい殺気に、私は思わず身を硬くした。
けれど、続く彼の言葉は痛いほどの執着と情愛を孕んでいた。
「君に対して、そんなふうに思うはずがないだろう。むしろ、君は自分が辛いのに、こんなにも俺を想ってくれているのに…」
イグニスの顔がゆっくりと近づいてくる。
「……せめて、俺の熱で上書きさせてくれ」
次の瞬間、彼は私を強く引き寄せると、熱を帯びた唇を重ねてきた。
それは、慰めでも消毒でもない。
文字通り、不快な記憶をすべて焼き尽くし
俺のものに塗り替えるという「上書き」の意味を持った、激しい口づけ。
その熱さは、男爵の残した冷たく湿った感触など、跡形もなく消し飛ばしていく。
彼の舌は、私の口内の隅々まで所有権を示すかのように
何度も、何度も、執拗に蹂躙し続けた。
「……イグニス…っ」
名前を呼ぶ声が掠れる。
涙で潤んだ目で見上げると、彼はようやく少しだけ微笑んだ。
再び腕の中に閉じ込められる。
今度は優しく包み込むような抱擁。
「君は誰よりも大切で特別な存在なんだ…」
長い口づけの後、少し離れた彼の瞳は、情欲と独占欲で妖しく光っている。
恐怖も羞恥も、すべてがイグニスの強い愛情という名の熱に溶かされていった。
◆◇◆◇
馬車が屋敷に到着し───
玄関のドアが閉まった途端、張り詰めていた糸が完全にぷつりと切れた。
「イグニス……っ…」
私は彼の腕の中から身を乗り出すようにして、彼の首筋に力一杯抱きついた。
紫陽花