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「そうでしたか。ええ、お若いご夫婦にも人気がありまして。ええ。……戸建てはマンションとは違いまして、内装が自由に作れますから。キッチンの位置、ベランダの場所……庭の広さ、等等……。
どうでしょう。こちらの内装は……」
吹き抜けの天井が高く、見る者に開放感を与えている。手前に階段、奥に広がる、アイランドキッチン……天井からぶら下がる照明……全体が茶色い木で統一されたナチュラルな色合い……に好感が持てる。
「確かに……すごいですね」でも、天井が高いと真冬の暖房代がすごいとか聞いたことがある。けれど、それは言わずにおく。「そっかぁ……戸建てだと内装が選び放題なんですね……。そっかぁ……」
「先ずはキッチンへとご案内します」
GW四日目の本日は、住宅展示場を回っている。可能性を絞るために、他も見てから検討する。それは、わたしと課長に共通したやり方で。
「やっぱ……すごかったですね」
三軒ほど見終えたところで、近くのカフェに入り、息を吐く。「ああ……。だよなあ」と課長はカップを傾ける。
「ただ、うちも実家が戸建てだけれど、大変は大変だよ。あそこと違って建売だったからさぁ……。五年か十年に一回、必ずなにかが壊れるんだ。風呂場のタイル、屋根、外壁だのなんだの……。それを、働きながら自分たちで全部メンテしていくのは大変だと思うんだ。出費もでかい。マンションなら、管理費や修繕積立金でやりくりしてくれるし、面倒なことは管理人さんたちがやってくれるから、楽ではあるよ」
「ですよねえ」とわたしは頷く。「確かに……そうなんですよね。いま、いっぱい見てきたから気分が高まっているんですけど、けど、実際、住んでみると……マンションって快適なんですよね。戸建てだと町内会のおつき合い、回覧板……ごみ捨ての当番とか。うちの母もやってましたが……そう、父はそういうのてんで無関心、てか不干渉だったんで……。母が全部全部やっていまして。ものすごく、大変そうでした。子育ても母が大部分を担っていましたし」
「おれ、頑張らないとな……」と課長はそっとわたしの頬に触れ、「きみの、いままで、誰も信じられなかったって気持ちを背負って、ぼくはここにいる。だから……信じられるように。信じられる世界があるんだって……見せたい。
世界は希望に満ちているのだと」
「課長……」
「おれ、きみの笑顔がだーいすき」課長はにっと笑う。「きみの笑顔を守るためなら、なんだって出来る……頑張るよ」
「最初からあんまり無理しないでね」と課長のおでこをやさしく突き、「あの……。課長がわたしを想ってくれているのは嬉しいけれど、無理をして……しんどくならないか心配……」
「大丈夫。おれ、無理なときは無理ってちゃんと言うから。無理はしない。しなーい」
「そっか。なら……分かった」
* * *
「それでは、これで申し込みを承りましたので、事前審査に入らせて頂きます。審査には一週間ほどお時間を頂戴しますので、結果が出ましたら改めてこちらからお電話をさせて頂きますね。ご連絡先は、三田様の携帯電話でよろしいでしょうか」
「はい大丈夫です。仕事中は電話に出られないことがあるかもしれませんが、留守番電話に入れて頂ければ折り返しお電話しますので……」
改めて気に入っていた新築分譲マンションのモデルルームを訪れると、その空気が先ず好きだと思った。華美過ぎない、モデルルーム。ほどよくエレガントで親しみが持てるスタイル。それから、間取りの豊富さ。分譲マンションは間取りが似通ったものが多いが、ここは同じ階でも間取りが全然違うから見ていて面白い。ファミリー向けで、3LDK以上が中心だが。五階建ての200世帯という規模も、ちょうどよいように思える。
再び同じ担当者に話をしたのちに、早速、申し込みの手続きに入った。昨日、あらかじめ必要な書類をほぼ揃えておいたので、申し込み自体はスムーズに進んだ。先着順で部屋が埋まっていき、昨日のうちにいくつか部屋が埋まったらしく、空いているのは一階と五階の部屋で。五階の部屋は100平米もあり、値段も高いから躊躇はしたが。ただ、一階の部屋は3LDK。子どもを二人産むのなら4LDKかな、という感じがある。よって五階の部屋に申し込むことにした。
壁際の建物を描いたホワイトボードにはいくつも薔薇の花が飾られている。……薔薇の花は、契約の証だ。
「ご結婚がこれからとなりますと、いろいろと大変だと思いますけども、体調を大事になさってくださいね。特に奥様は。結婚式の準備などで忙しくなると思いますから……」
「大丈夫です。おれがしっかりと、支えます」
「課長……」
色々と話し合いをし、建物を出る頃には、日がとっぷりと暮れ、夜が訪れていた。帰宅してこれからご飯を作る気にはなれない。
するとわたしの気持ちを読んだかのように、課長は、
「夕飯、コンビニのご飯にしようか」
「……課長がそれでいいなら……」
「たまにさ。カップラーメンとか無性に食べたくなんない? コンビニの家系ラーメンのが、意外と、いや意外と言ったら失礼なんだけどすごい、美味いんだよなあ」
「じゃあわたしもそれにします」
手を繋いで課長のマンションに帰る。……確かに、二重生活もそこそこ大変だ。二週間に一回は自分のマンションに帰って掃除をしたり、空気を入れ替えたり、……と。
マンションが出来上がるのが十一月だから。結婚式はそれ以降がベターかな。式場の空き次第ではあるけれど。その前に、ビッグイベントが迫っている。真夏のわたしの誕生日に入籍……。
「うふふ」
幸せ過ぎて笑えてくる、なんてのも、課長と出会って初めて経験したことだ。こうして幸せな経験がミルフィーユのように積みあがっていく……。
「色々、決めなきゃならないこともあるけれど、ふたりで乗り切ってこうな」
課長の力強い発言に、はい、とわたしは頷いた。
* * *
「へえ。そうなんだ。誕生日に入籍かー。楽しみだねー。で、結婚式は?」
「あ、週末に見学に行きます。……品川近辺で探します。引っ越しが十一月なので、それ以降かなと……」
GW明けに中野さんに打ち明けると、嬉しそうに彼女は反応してくれる。「そっか。結婚式なんて久しぶりかも。なに着て行こうかなー。楽しみー」
その頃には無事に中野さんは出産している。
「でも。……食べ過ぎないようにしないと。あと、産後にドレス、入るかしら……」
「中野さんなら痩せてるから大丈夫ですよ」
「えー。でもあたし、妊娠して8kgも太ったのよ? やばくない?」
「……最近の芸能人って、経産婦に見えない方が多いですよね。ちゃんと体重落としてて……すごいなって見ています……」
「あー篠原涼子とかむっちゃ細いもんねー」
「ですです」
そして昼休みが明けて、仕事に戻る。頭の回線を仕事用のそれに切り替える。……なんだか荒石くんが課長を見つめているように思えるがまあ、気にしないようにしよう。――まさか。
課長に限って、荒石くんと浮気……?
ないないない。そんなはずがない。でも――まさか。
どうしよう。急に不安になってきた。いや、疑うのって課長に失礼だって頭では分かっているんだけど。
ある程度仕事を終えて、廊下に出ると、見覚えのある背中を見かけた。「課長――」
けれど、その言葉を発することはならなかった。彼と向かい合うかたちで喋っているのは――
「三田課長はいいですよね。幸せそのもので。おれは……おれは、あなたに骨抜きにされている。あなたが忘れられなくて……おれは」
わたしは課長の前に回り込んで会話に参加した。「ひょっとしてわたし、修羅場に遭遇している?」
「……莉子」反応したのは課長だった。だが、言葉を探すさまに、わたしの腹の底から言いようのない失望感がこみ上げる。
「なんなの。ふたりそろってこそこそ……こそこそ。忘れられないってどういうこと?
浮気するのなら正々堂々としなさいよ!」
「莉子。いや、話を聞いてくれ。違うんだ。これはその……」
「なによ! はっきり言ってよ!」
「違うんです桐島さん」割って入ったのは荒石くんだった。「三田課長は……桐島さんにしつこくするおれを撃退するために、あるものをくれたんです。……で、それでおれが泥沼に嵌まっちまって……」
「――あるもの?」
「いつしか、思い浮かべるのが三田課長になってしまって。正直に言いますよ? おれ、桐島さんに惚れてました。大好きでした。可憐で、愛くるしいのに、仕事に対する姿勢がシビアで、ストイックで。痺れるくらいにあなたのことが好きでした。
でも、あれを与えられて以来、妄想するのが……三田課長になってしまって。いえ、告白すると、桐島さん、あなたで妄想したことはなかったんです。ひたむきにおれの教育をしてくれたあなたを、想像の世界で汚すのは失礼だと……思って。
ご結婚前に、変な話をしてしまってすみません。おれは……ただ。三田課長が好きで好きで。好きでたまらないんです」
そうなんだ。荒石くんは、課長に好意を抱いている様子が見られたが、それがこんなにも病的なものだとは、思ってもみなかった。これでは真剣に恋をしているようではないか。
「そっか。じゃあ、仕方ないね」
「……嘘でしょ」驚いたのは荒石くんだ。「桐島さん……あなた、おれが三田課長に惚れてるのを……容認するとでも言うんですか」
「だって好きなものは好きなんでしょう? わたしが課長を好きなのと同じように、荒石くんは、課長に惚れている。だったらもう、仕方なくない? 誰の目から見ても、課長って魅力的なひとだし……惚れちゃうのも、無理はないよ。
……あ、3Pとか、浮気とかシェアとか、そういうのは無理だけど。好きでいるのは自由だと思うよ。ただ、適度に自分を守るようにね。荒石くん、結構噂されているから、傷ついていないか、すこし心配……」
「いや、おれはなにを言われても構いませんが。おふたりが……幸せであれば。邪魔はしません」
「じゃあ、課長を好きな者同士、これからもよろしくね」
わたしが手を差し出すと、荒石くんは、しっかりと握り返してくれた。課長は、「きみのそういうところって本当にすごいと思うよ」と褒めてくれた。
*