僕は家族を知らない。
生まれた家族も分からず、親の顔も分からない。自分が何者かすら分からない。
生まれてかれこれ17年、僕はずっとこの真っ白な病棟の中で過ごしている。
……本当は逃げ出したい。
毎日寝てばかり、歳の近い子供も折らず、時折けたたましく鳴り響くナースコールの音。
いつも眠りから覚めるのは、あっちやこっいの病室に看護師が慌ただしく出入りする朝方。
ちょうどさっきも、僕のいる病室に専属担当医が入ってきた音で目覚めた。
「おはよう、理乃くん。」
彼がその担当医で、名前は黒井浩明(くろい ひろあき)。天然パーマまと言えよう黒のモジャモジャ頭に細い角縁のメガネ。
背は高い方なのだろう、病室の入口の囲いに頭を時折ぶつけて入ってくる。
「体調はどう?朝の検温をしようか。」
いつもの声の調子で僕にそう話しかけてきた浩明は、珍しく厚着をしている。
「浩明先生、寒いの?」
「ああ…、やっと新しく上着が買えた」
そうだったのか、と内心理解した。
彼はいつも同じ服(白衣の下に黒のスクラブ)ばかり着ていたから、久々に白衣の下に現れた私服姿に久しぶりに新鮮さを感じた。
「ほら。」
体温計を彼が手渡してくれる。いつも持ってきてケースから出してくれるまでを彼が一律でやってくれる。
「朝起きて、体がだるいとかはあるかな?」
「いえ、無いです」
「そうか、元気そうでよかった」
とりあえず熱は無いみたいで、体温計は平熱である36.7度を示していた。
ここ最近熱が出たことはないが、こうして先生はいつも体温計を持ってこの病室に朝7時に現れる。
「浩明先生…、どうしていつも体温計を持ってくるの?」
「患者さんの体調の些細な変化を、お医者さんはいつも見ているんだよ」
…… いつもの返答だ。
「じゃあ、僕が寝るのが遅かったり早かったりしたら、見ただけでわかるの?」
「うん。わかる」
本当に、医者というものはなんでも分かるらしい。まぁ… “心臓外科医の神” とも言われている黒井浩明が言っているんだから、嘘ではないのだろう。
僕の担当医、25歳心臓外科医・黒井浩明。
彼がこれから一体僕に何をするのかは、僕にも彼にも分からないらしい。
1話(序)心臓外科医【完】
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