明日から寮暮らしか~。
夜、ようやく貴弘がご飯をおごられてくれたので(?)、ホッとしながら、のどかはルーフバルコニーから街を眺めていた。
今日は少し風が強いな~と髪を抑えながら思っていると、後ろから貴弘がワイングラスを差し出してきた。
「あ、ありがとうございます」
と言ったあとで、並んで、夜景を眺める。
「このマンションともお別れかと思うとちょっと寂しいですね」
「……此処に住んでもいいんだぞ」
と貴弘に言われたが。
「いえ、だって、寮には寮母さんが居るじゃないですか」
と笑って答える。
貴弘が何故か、しまった、という顔をしていた。
「どうしたんですか?」
と問うと、
「いや……あそこを寮にするとか言わなきゃよかったなと思って」
と貴弘は言い出した。
「そういえば、そもそもなんで、寮になる話になったんでしたっけ?」
とワインに口をつけながら言うと、
「……俺がお前と住みたかったからだよ」
そう貴弘は言う。
えーと。
なにを言ってるんですかね、この人は。
もうお酒が回ったのですか……?
「俺がお前と暮らしたかったからだ。
だから、あそこを社員寮にして俺も住むと言ったんだ。
だから、別に俺は此処でお前と暮らすのでもいい」
「……此処を社員寮にするんですか?」
となんとなく訊き返して、
「この高さから突き落としたら、原型留めないだろうな」
と冷ややかな目で見て言われる。
……ひい。
そのとき、のどか……、と呼びかけ、貴弘がキスしてこようとした。
「なっ、なにするんですかーっ」
とのどかは貴弘をフェンスに向かって突き飛ばす。
フェンスに背中が当たった貴弘が、後ろの夜景を振り返り、ひい、という番だった。
「俺が原型留めなくなるだろがーっ」
と叫ばれたが、もちろん、フェンスが高いので、落ちるはずもない。
「妻に迫って殺されるとか、意味がわからないんだがっ?
第一、この間、キスしたろっ。
一回したとこまではしていいはずだっ」
「なんですか、そのルールッ」
と叫び合いながら、二人はお互いを牽制しつつ、広いバルコニーの中をぐるぐる回る。
「逃げるなっ、のどかっ。
婚姻届に判を押したお前に、逃げる権利はないっ」
「だから、撤回しようと……っ」
しようと言ったではないですかっ、と言おうと思ったのだが、言葉はそこで止まっていた。
撤回したら、どうなるのかな? と今までちゃんと考えてみなかったことを考えてみたからだ。
撤回したら、あの呪いの家とも泰親さんとも八神さんとも、
……この人ともお別れなんだ。
のどかがそんなことをぼんやり考えていることに、貴弘は気づかず強い言葉で言い返してくる。
「お前っ、今、俺がお前を好きだと言ったら、どうするつもりだっ」
いや……、どうしたらいいんでしょうね?
っていうか、それはなんなのですか?
脅し?
とても告白とは思えない、と思って、のどかは聞いていた。
ほぼ脅しをかけてる口調なんだが……と貴弘の言動を見守るのどかに向かい、貴弘は叫んだ。
「此処は俺の家だっ。
俺のエリアだっ。
此処では、俺が王様だっ」
……社長、もしや、酔ってますか?
のどかは貴弘が、ただ夜景を見ているのどかにワインを差し出す、というだけの行動になかなか踏み切れず。
ひとりキッチンでガブ飲みしてから、此処まで来たことを知らなかった。
「此処に住む人間は、王様の言うことを聞かなきゃ駄目なんだ」
と子どものようなことを貴弘は言い出した。
じゃあ、出て行きますよ……とのどかが苦笑いして思ったとき、貴弘はのどかの両肩に手を置き、言ってきた。
「なんでこうなったかわからないし。
お前の何処がいいのか、今もさっぱりわからない。
でも、今の俺にとって、お前が一番気になる女なんだ。
俺の人生で、お前が一番俺の心近くに居る気がする。
お前のする阿呆な話を聞いていると、すべてが莫迦莫迦しくなって、いつも張り詰めて生きてきた俺の人生に隙ができたっていうか。
穴ができたっていうか」
いや、それはいいことなのですか……と思っていると、貴弘が言う。
「俺はお前を……
お前を……
好き、
かもしれない」
かもしれないか~。
「だから、キスしていいはずだ」
いやいやいや、かもしれない程度の人は駄目ですよね~、と思ったが、その瞬間にはもう口づけられていた。
軽く触れるだけだった前回のキスとは違ったので、
どっ、どうしようっ。
これ、どうしたらっと迷う暇もあった。
ガラスの向こうで猫から猫耳神主に戻った泰親が、表情で、どうする? と訊いてくる。
邪魔しようか?
やめとこうか?
と。
そ、そうですね。
ど、どうしましょうね……と思った瞬間、貴弘の手が胸許にかかったので、どうもこうもない、のどかは貴弘を突き飛ばしていた。
「そこまでですっ」
「お前は、警察かっ」
「いやいやいやっ。
私、まだ社長とは知り合って、間もないですしっ」
「そんなことは関係ないっ。
俺は出会って三日で結婚した奴を知っているっ」
「……いや、それを言うなら、うちは、知り合って、ではないですが。
初めて二人で呑んで、その日のうちにですよね?」
「そうだなっ。
なんだ、俺たち、超ラブラブじゃないかっ」
「違うと思いますっ」
と二人はまた、バルコニーをぐるぐる回り始める。
「私、社長のこと、まだなにも知りませんしっ」
「なにもってことないだろうっ。
それに、俺はお前のこと、いろいろ知ってるぞっ。
考えなしで、金遣いが荒くて。
その癖、こうと決めたら、曲げなくて。
そして、巨乳の姉が居るっ」
「やっぱり、巨乳、好きなんじゃないですかっ」
「莫迦を言え。
巨乳好きなら、お前を選んではいないっ」
と高らかに貴弘は宣言する。
……選ばれたんですか、私。
巨乳でない、という理由で?
「巨乳美女なんて、騙されそうだし。
第一、俺は牛みたいだから、巨乳は、あまり好きじゃない」
と言う貴弘に、
「可愛いじゃないですか、巨乳。
女でもぽにょぽにょ触りたくなりますよっ」
とのどかは何故か、巨乳でもないのに、巨乳様をかばってしまう。
そして、かばっておいて、のどかは沈黙した。
「……私、今、何故、巨乳様をかばったんでしょうね。
常日頃うらやましいと思っている巨乳様をかばったのは、常日頃うらやましいと思っている自分をかばったんですかね?」
「なにややこしいこと言い出した」
と言ったあとで、貴弘が少し真面目な顔になって言う。
「お互いのことを知らないのなら、これから知ればいいじゃないか。
……そうだ。
まず、生年月日を教えろ」
いや、そこからですか、と思いながら、のどかは言った。
「じゃあ、社長は、血液型を教えてください。
ちなみに、私の電話番号はですね」
「それは知ってる。
お前、生年月日言いたくないのか」
「女に年を訊くとか最低の行為ですよ」
と、くだらぬやり取りをしているうちに、血液型占いの話になり、星座の話になり。
気がついたら、バルコニーの冷たい床の上に座り込み、貴弘がのどかの手相を見ていた。
「お前、頭脳がないぞっ」
「せめて、頭脳線がないと言ってください……。
短いんですよ、単に。
ありますよ、ほら」
とくだらぬことをやっていて、ふと窓ガラスの向こうを見ると、泰親はもう猫に戻って寝ていた。
莫迦莫迦しくなったようだ……。
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