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そうしてユカリはネドマリアに、迷宮のようなワーズメーズの街を連れまわされる。今度はできるだけ、どういう呪いを除けたり踏んだりしているのか見極め、可能ならば会得しよう、とユカリは考えた。
闇夜のように美しい野良猫から隠れたり、ユカリの頭を撫でたりしたことにどういう意味があるのか、見極めようとする。もしかしたらあの黒猫が呪いそのものだったのかもしれない。ある呪いを退ける魔法の手順として頭を撫でられたのかもしれない。でも結局のところ分からない。一々意味を聞いていたら目的地には永遠につかないだろう。その陽気な案内人はそれでも構わなさそうだが。ネドマリアは時々誰かを探しているような視線をあちらこちらに投げかけることがあった。そのような細かい仕草まで会得する必要があるのだとすれば諦めざるを得ない、とユカリは思った。
最初にユカリたちがやってきたのは、子孫に忘れられた墓場のように閑散とした広場だった。陽気な楽の音が聞こえることも、楽し気な噂話が花を咲かせることもない。
そこは、この街の功労者を称える静かな広場だった。死刑囚を見下ろす衛兵のような無骨な柱に周りを囲まれ、子供嫌いの男の掌のように無関心で無愛想な円蓋が空を覆っている。そして人々の影を象って塗り固めたような青銅像がいくつも置かれていた。
「大抵の魔法使いは関心を払わないものだよ、魔法でも不思議でも神秘でもないものには」というのはネドマリアの言。
しかしその一つ一つの青銅像の横に置かれた碑の物語にユカリは惹きつけられた。
新天地を求めて迷わずの森を切り開いた情熱に溢れる初期の開拓者たちの冒険譚。
ここに魔法使いの街を築くことに決めたワーズメーズ運営委員会の前身の人々の回顧録。
迷わずの魔導書を見つけるよりも、迷わずの魔導書の力に打ち勝とうとして、ありとあらゆる迷いの呪いをかけてきた魔法使いたちの騒動。そのためにこの街は今のような状況になったのだ。
所属を嫌い、迷宮派と揶揄される魔法使いがこの街の住人のほとんどを占め、今やワーズメーズに所属しているという笑い話。
今の運営委員長である曙光の渋っ面した青銅像もある。彼は幾度の戦争を回避し、幾度の戦争を勝利に導いたそうだ。
「どうやら楽しんでいるみたいだね、迷子のお嬢さん」とネドマリアが悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「はい。とても面白いです。色々な時代の数々の人々の様々な営みがこうやって残っているだなんて、とても素晴らしいことだと思います。この街は長い歴史を積み重ねてきたんですね。建物だけじゃなくて」
ユカリが視線を向けた先、広場の外にはどのように均衡を保っているのか分からない継ぎ接ぎだらけの建物があった。河原で拾った石を積み上げてももっとましな見た目になるだろう。善的価値も美的価値も気にすることなく、昔の建物の上にそのまま今の建物を積み上げている。地層のような建物だ。梯子のような階段があちこちにくっついており、どこにもたどり着かない階段が添えられている。
「ああいう山積み建築が一番多い建物ね。このワーズメーズの主流だよ。魔法の柱や梁を使って誤魔化してる。実際の所、ワーズメーズだけだよ、これを建物と称するのは」
ユカリはくすくすと笑い、しかし首を横に振る。
「でも私は好きです。魔法使いっぽくて」
ユカリの中の魔法使いとは義母のジニであり、不思議なものを不思議なままに扱う人たちのことだ。
「少し不名誉な気がするなあ、ユカリの中の魔法使い像は」
「そんなことないです。私の考えの及ばないような魔法が沢山あって、とっても素敵だと思います」ユカリは出来る限り真剣みが伝わるようにしっかりはっきり言った。
ネドマリアが優しい微笑みを浮かべて答える。「まあ、でも大事にしてね、そういう気持ち。特にこの街ではね。心ときめくものを積極的に見出すことが大切なんだ。そうすれば迷うことはない。さあ、次に行こう。袋小路にも素敵なものは沢山あるんだよ」
そう行ってネドマリアとユカリはさらに街の奥へと分け入った。
不思議に満ちて、奇妙が溢れ、驚異の零れた家並みを進む。ある街角で何かを待っているかと思うと、突然ネドマリアがユカリの手を引っ張って、道の向こうからやってくる二人組の間に突っ込んだ。気が付くとどこかの建物の屋上にいる。建物同士の屋上が連なって道となり、橋となっている。向こう岸もまた塔だ。中々見晴らしの良い景色で、艶やかな羽根模様の鵲がグリュエーに跨って飛んでいた。
「色々な呪いがあるんですね」とユカリは感心して言った。
「よくぞ気付いてくれました」とネドマリアは目を輝かせて言った。「迷いの呪いと一口に称されてはいるけど、全てが別ものなんだよね。幻覚を見せる呪い、嘘を聞かされる呪い、空間を出鱈目に繋ぐ呪い。結果として迷わせる魔法ってだけなんだよ、一まとめに語られてはいるけれど。じゃあ何が迷いの呪いなんだっていうのはこの街で生まれた新たな謎だね。迷わずの魔導書に効かないのが迷いの呪いだ、なんて主客転倒なことまで言われちゃって」
「ネドマリアさんはどうして魔導書に頼らずに歩き回れるんですか? 要するにワーズメーズに張り巡らされている数多の呪いを避けているってことですよね? でもそれって簡単なことではないですよね?」
それを受けてのネドマリアの快活な笑いは正直なものだった。
「まあね。長年の調査の賜物だね。どこそこにこういう呪いがあって、こっちの呪いのせいであっちの呪いがどうのこうのってね。一つ一つ調べたんだ、地道にね」
途方もない作業だということはユカリにも分かった。
「だからそんなに詳しいんですね。迷うのが好きなのに、迷わないのも誰より得意ってことですね」
「そうなるね。それに仕事でもあるんだよ。迷いの呪いの調査がね。長年放ったらかしにされてきた迷いの呪いだけど、公共施設や大通りなんかに存在する呪いは出来る限り解呪することが委員会で決まったんだ。中にはこの街の歴史だってんで保存すべきって人もいるけど、呪いによる不幸がないわけでもないからね」
「その仕事に任命されたってことですか? ネドマリアさんってすごい魔法使いだったんですね」
「ふっふっふ」とネドマリアはわざとらしく笑う。「そうだぞ。もっと褒めていいんだぞ。まあ仕事を与えられる前からやっていたことの延長線なんだけど。この一年は本当に深く迷ったよ。少し危険な域まで行ったよ。まあ、いざという時は魔導書を使えばいつでも目的地に着くんだけど」
蜘蛛の糸に覆われた迷宮で冒険するネドマリアの姿をユカリは想像した。
「でも、いざという時って? ネドマリアさんでもやっぱり危険があるんですか?」
「なんて言うのかな。迷いに迷っているといつしかね。古い魔法に幾重にも絡めとられて『深み』にはまってしまうんだ。私もまだ、行き着く所までは行っていないけど」
「『深み』ですか」
「うん。誰も知らない迷わずしてはたどり着けない場所があるんだって、まことしやかに噂されているね」
「でもあくまで都市の中のどこか、なんですよね?」
「諸説あるけど、どれも噂の域は出ない。閉鎖された地下街だとか、全く別の土地だとか、魔法で造られた存在しない空間だとか、宇宙の『深奥』だとか、あとはショーダリー委員長の寝台の下だとか」
にやりと笑みを浮かべるネドマリアにユカリは呆れてしまう。
「噂は噂ってことですか。そもそも『深み』なんて存在しないとか?」
ユカリは自分の中に生まれた恐怖の萌芽を摘み取るべく、自分に言い聞かせるように言った。
「うん。本当のところは分からない」そう言うと、ネドマリアは感情の読めない表情になった。「幽霊や悪鬼、古の巨人、楽しいことを考えられない怪物たちが迷い込んで、今もすぐそばを彷徨っているなんて話もあるね。何より恐ろしいのはその行き着いた先の最も深い場所『深み』には何もないらしいんだ。人間にとって楽しいことが何も。だから魔導書の力も使えず、二度と浮き上がって来られなくなる」
ユカリが身震いしたのを見計らったようにネドマリアが作っていた無表情を崩した。
「なんてね。この街に生まれた子供が幼い頃から聞かされるお話だよ。家に帰って来られないぞ、いつも楽しくしてないとってね」
「もう!」と言ってユカリはネドマリアの脇をつつく。「今ので楽しさがどこかに行っちゃいましたよ!」
「そしてあれが伝説の巨人」と言ってネドマリアがユカリの後ろを指さす。振り返ると、巨人が立っていた。
一瞬、ユカリは何のことか分からず、小さな悲鳴をあげて退く。ネドマリアの後ろに隠れようとしたが、しかしよく見ると、それは石像だった。見上げるほどの巨像が獣が二つ足で威嚇するような格好で、そびえている。
大きさの割には細身で女性の体つきのようにも思える。しかしそんなことなど気にならないほどに異形には違いない。眼窩から二本の角が生えて天を突き立てており、不揃いな牙は戦場に置き去りにされた剣のようだ。神々にせよ、怪物にせよ、英雄にせよ、只人にせよ、古い時代の者どもほど巨大で複雑な肉体だったという。不釣り合いな宝飾品を身につけてはいるが、襤褸布を纏うその姿は荒れ野を体に巻き付けているかのようだ。微妙な皴や毛穴まで精緻に彫り刻まれ、巨人の力強さと恐ろしさを表そうという彫刻家の強い意志が込められている。足元には巨人に立ち向かっているのであろう英雄の石像が、剣と松明を掲げている。今にも巨人に躍りかかりそうな迫力だが、ユカリには巨人の添え物のように感じられた。
その像の見た目に反して、ここも公共の広場のようだった。今は小さな市場が開かれているようで、活気というほどのものではないが熱意を感じられる。行き交う魔法使いたちは声を潜め、何やら怪しげな物品を取引していた。
「あれが、この土地を切り開く時に跋扈していたんですか?」とユカリはおそるおそる尋ねる。
「まさかね。もっともっと昔、千の丘陵地方に一つの丘もない頃の話だよ。でも遺跡なんかは見つかってるんだよ。彼ら巨人の墓所と目されてる。行ってみる?」
「そう、ですね。いや、でも。ううん。行きましょう!」
ネドマリアは肩を揺らして笑った。
「葛藤したね。そして勇気を出した。じゃあ行こうか。心配しなくてもいいよ。巨人なんて見つかってないからさ」
その時、ユカリに聞こえたのは間違いなく口笛の音だった。寂しげで透き通るような音。音の聞こえた方を振り向く。ユーアの姿はどこにもない。