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アオイ
960
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とある社員寮に足を踏み入れる。扉を開け、とある一室に入る。
その部屋には明かり一つなく、カーテンを閉め、日差しすらも遮っているのがよくわかる。
それさえ気にならぬ様子で俺は一目散に中にある扉を開き、見えたその様子に呆れた。
「おい、太宰」
布団に寝そべった長身の男に声をかける。死んだ魚のような目をした男はその声に、壊れかけの機械のようなぎこちなさでこちらに顔を向けた。
「ぁ、中也……」
今にも消えそうな声に俺はため息をつく。その様すら心底鬱陶しいと感じる。
「いつからそんな怠惰になっちまったんだか」
手に持った食材を冷蔵庫に詰め込む。男はある時から完全に生気を失っている。買い物すらまともに行けない奴になってしまった。
男は元々、俺の働くポートマフィアというところの最年少幹部として働いていた。
あの頃はまだところどころに欠点があり、人間味のある奴だったが、今や死んだ魚の方が生気を感じるほどだ。
希死念慮を持つなと言うわけではないが、立ち上がれば自殺を考え、入水に至るのは控えた方が良いと俺は考える。それも死にきれない自殺ばかりを行うのだから、少し恐ろしいものである。
その様は理性を失った人ならざるものでしかない。
「……ごめん」
「ごめんじゃなくて、他に言う事があんだろ」
テメェの謝罪なんざ聞きたくねえわ。
思わず悪態をつきそうになる。
どうしても、諦めきれない気持ちが俺を刺激している。我慢の効かない我儘で邪な気持ちが俺の中に住み着いている。
男は今にも死にそうな顔色で、俺を見つめている。その様は何かを考えているようにも見える。
「……死にたい」
「色々考えてそれかよ」
言いながら机の上に置かれたカレンダーに手を伸ばし、眺めてみる。
律儀に予定が書かれている。現在の男の近くにいる何者かが男の部屋に上がり込み、書いたのだろうか。
答えは否だ。そのようなことはあり得ないと言える。
男は俺以外にはその面を見せたくないと言った筈である。故に、誰かを家にあげるなどもってのほかである。
「これ、お前が書いたのか?」
カレンダーを手に言うと、男は虚な目でそれを見て、小さく頷いた。
男は自分で予定を書き、それを遂行しようとはしていたようだ。
しかし、実際にはまともに仕事も行かず、食事も取らず、自殺未遂ばかりを繰り返しているのだ。
「ふーん、やれば出来んじゃん。ま、遂行出来ればの話だが」
俺が言おうが、男は首を一つ振ることもしない。ただひたすら、俺の問いにも答えず、時間が流れるのを待っているようである。
「お前、仕事くらい行ったらどうだ? 今日は仕事らしいぞ」
男の携帯電話から鳴り響いた通知を俺は確認して、口を開く。国木田独歩。中島敦。仕事に来いという通知が響いている。
男は頷きながらふらりと立ち上がり、風呂場に向かっていった。
「溺死すんじゃねえぞ」
俺が釘を刺すと、そのつもりだったと言わんばかりに一瞬止まって、また頷いて歩き出した。
「何なんだよ、彼奴」
思わず独り言が漏れる。
元を言えば、男をこのように生気のない男にしてしまったのは俺である。
昔、男がポートマフィアだった頃。俺と男は普段から喧嘩ばかりしていた。お互いを馬鹿にし、貶し、悪戯に手を焼いた。しかし、どれをとっても本気の喧嘩には発展しなかった。
ある日の事。仕事終わりの俺は命に関わる悪戯を食らった。男は気安く避けていたので男が仕掛けたものだと思った。男は俺を見て何も言わなかった。
俺が怒鳴ると男は首を横に振り、違うと言った。
きっかけはこれほどまでに些細だった。お互いにビルの廊下で怒鳴り、終いには手が出るほどの大喧嘩をした。
首領が来て、他の部下たちも現れて俺たちの喧嘩を収めたらしい。
俺自身があまりに苛ついていて、あの喧嘩が何故収まったのかあまり覚えていない。
その後のことだ。
何故か男は俺の前でだけ、弱く、余裕がなくなった。首領や部下たちの前ではいつものように余裕を振り撒き、俺の前では生気のない、おどおどした男になってしまったのだ。
「中也、今は何時?」
よそ行きな男の声が俺の耳に届く。
風呂に入ったことにより、電源が入ったのだろう。
「十三時」
男のそっかあ、という間延びした声が俺の方にも届いてきた。
「今日は良い入水日和だねえ」
男はカーテンを開いて笑う。 作り笑いだと分かるのが、俺の調子を狂わせる。否定すると何もかも崩れ落ちてしまいそうで、否定出来ない。
「そうかもな」
「え、中也が納得した……? え、何中也、今日死ぬの?」
「納得しちゃ悪いのかよ」
毎日この調子で、俺を揶揄ってくるのならばどれだけ楽なことだろう。そう、あの日から何度も考えた。
今思えば、俺が悪戯を食らった時の男の顔は異様なまでに警戒していた。俺ではない何かを見据えていた。
悪いのは男が仕掛けたものだと勘違いをした俺だけで、男は巻き込まれた側であったのだ。
その上、俺はあの時、仕掛けられた悪戯で殺されかけたので男を半殺しにしてしまったのである。
今もその後遺症が男の身体にはくっきりと残っている。
「……悪いな、あん時のこと」
俺が出来るのは、懺悔に謝ることのみだ。
本当は頭すら下げたくないが、この件は俺の落ち度でしかない。
男は俺に首を傾げた後、嘲るように俺を笑った。
「いつの話か分からないけど、中也が私に謝るなんてね。写真撮っとけば良かったよ」
「撮んなくていーわ」
電源を入れた男は、俺との大喧嘩の記憶を失っている。
否。男の身体が拒否しているのだろう。
覚えているが、脳裏に焼けついた大喧嘩を考え出すと、電源を入れた状態を保っていられないのだ。故に、忘れている状態を保っているのだ。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ああ行け。早く行け」
酷いなあ、と笑いながらいつもの薄茶色の外套を来て、男は部屋を出て行った。
巻かれた包帯の下にある、自傷や大喧嘩の傷跡は俺すらもよく分からない。知っているのは男が働く探偵社で、現在は働いている与謝野晶子程度だろう。
無論、俺は知りたいとも思わない。他人の傷跡などを見たところで徳はない。その下にある傷が自分のせいかもしれないと思うと、尚更である。
それに対するエゴを何者かから突きつけられたとしても、可能な限りそれを知り得ぬまま懺悔をしていきたいと思うのである。
男が忘れて生きると言うのならば、俺はこの記憶を忘れずに生きるべきであると、そう思う。
しかし、この記憶が俺と男の中から完全に消し去ることが出来るのならば、可能な限りはそうしたいと、思わずにはいられないのである。
コメント
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え、ちょっと待って待って待って!! これ、太宰と中也の関係性が深すぎて胸が苦しくなったんだけど😭💦 中也が「元はと言えば俺のせい」って後悔抱えてるのと、太宰が中也の前だけ弱さ見せるの、そのギャップがもう…! しかも太宰が「忘れてる」ふりしてるんじゃないかって匂わせもエモすぎるよ…。二人の過去、もっと知りたいし、この重い空気がどう変わっていくのか気になって仕方ない!続きめっちゃ楽しみにしてるよ🌸