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先ほどまでとはうって変わって、胸中がもやもやとした陰りに埋め尽くされていく。
「……ルキウス様は」
落とした言葉に、遠かったルキウスの瞳が「ん?」と私を向く。
「ルキウス様は、全て許してくださるとおっしゃるのですね。たとえ私がアベル様と秘密裏に会っていようと、たとえ私が、婚約者であるルキウス様を差し置いて、アベル様との仲を深めていようと」
「……まあ、そうなるかな。マリエッタがそれを望むのなら、僕に止める権利はないよ」
「訊ねているのは、権利の有無ではありませんわ!」
私は思わず声を荒げ、
「勝手に心移りした私が言えた立場ではありませんが、それではなぜ、ルキウス様は私との婚約を必死に守っているのです? 私を好いてくださっているからではありませんの? 私なら、ルキウス様のように寛容ではいられません。婚約者という立場である間は、たとえ想い人が他にあろうと、”婚約者”への礼儀を欠いてはならないと思いますの」
どうして私はこんなにも、腹を立てているのだろう。
アベル様に恋をしたのは私なのに。ルキウスを傷つけているのは、私なのに。
(でも、止まらない)
「っ、ルキウス様が納得されるまで付き合うと決めたのは、私です。ルキウス様の婚約者である間は、不誠実な行動は慎みますわ。もしもアベル様とお会いする機会があるのなら、ルキウス様にきちんとお話いたします」
「……あっ、はは! 本当に、マリエッタは芯が強いというか、まっすぐすぎるよね。僕がいいと言っているのだから、先にアベル様と”既成事実”を作ってしまうことだってできるのに」
「きっ……!? いくらなんでも、そんなふしだらなことはしませんわ!」
「わかっているよ。それが出来ないのがマリエッタだもの。……あー、でも」
ルキウスが片手を伸ばして、私の髪をするりと撫でる。
「逃げられないように既成事実を作ってしまうってのは、悪くない案かもしれないね」
「な……っ!? ルキウス様、まさか……っ」
「ふふ、しないよ。……僕はいつだって、マリエッタに幸せになってほしいんだ。キミの身体だけ手に入れたって、心が伴わないのなら、意味がないもの」
あっさりと手を引いたルキウスは、初めから本気ではなかったのだろう。
「……意地悪ですのね、ルキウス様。私をからかって遊ばないでくださいませ」
「ごめんごめん。マリエッタが許してくれるもんだから、ついね」
クツクツと喉を鳴らして、ルキウスがなんてことのないようにして切り出す。
「昨夜はアベル様の夢をみれたかい?」
「……ルキウス様にどう事情をお伝えするかと頭がいっぱいで、夢を見る暇などありませんでしたわ」
「ふふ、それは良かった」
不意に、ルキウスがなにか考え込むようにして口を噤んだ。
「ルキウス様?」
不思議に思い首を傾げると、ルキウスはチラリとだけ私を見てから、顔を隠すようにして視線を落とし、
「情けないよね。マリエッタがアベル様の夢を見なかったと聞いて、こんなに安心しているなんてさ」
「っ」
薄く息をのんだ私に、ルキウスが顔を上げる。
苦々しい、自嘲交じりの笑みを携えながら、
「寛容なんかではないよ。そうでも言っておかないと、自分が制御しきれないんだ。本当は、マリエッタとアベル様が二人で会っているなんて、想像するだけでその間を切り裂きたくなる。言葉を交わすと言うのなら口を塞いでしまいたいし、あの人を見つめるというのなら、その目を覆ってしまいたい。ね? ちっとも寛容なんかじゃないでしょ。僕のこの腹の奥は、ドロドロで醜い嫉妬と欲望ばかりだよ」
「ルキウス様が、嫉妬を……? そのようなご様子、一度だって見たことがありませんわ」
「そりゃあ、マリエッタにはカッコいい僕だけを見せたいもの。……カッコいい僕を、貫くつもりだったんだけどね。マリエッタがこうもまっすぐに僕と向き合ってくれるのだから、僕だけ偽っているのは、違うかなって」
ルキウスがそっと身体を傾け、その顔を私に近づけた。
金の瞳は湖畔から反射する陽光を写して、きらきらと明かりを躍らせる。
その瞬きに目を奪われているうちに、唇に、掠めるようにしてルキウスの指先が這う。
「愛とは醜いものだね、マリエッタ。ううん、醜いのは、僕だけなのかもしれない。けれど僕は理性のない獣ではないから、きちんと”待て”が出来るんだ」
私の手を掬い上げたルキウスが、指先に柔い口づけを落とす。
「早く僕のところに飛びこんでおいで、マリエッタ。この手に聖女の加護が宿らなくたって、僕にとってキミは唯一無二の乙女だよ」
「ルキウス様……」
「どう? 幻滅した? キミの好む”王子様”とは、似ても似つかないね、僕は」
ルキウスが身体を引く。
私の答えなんて聞かずともわかっているとでも言いたげに、「ほら、見てごらんマリエッタ。湖に雲が映っているよ」と話題を断ち切ってしまう。
(ルキウスはきっと、怖いのね)
強気な態度で微笑んで、甘い言葉で翻弄してみせるくせに、私に拒絶されるのが、怖いのだわ。
だから愛情も、優しさも。一方的に投げつけて、私からは求めない。
始めから”貰えないもの”としていれば、たとえ得られずとも、悲しまずに済むから。
(臆病な人)
けれども嫌だとは感じない。
喉の先の、心臓に近い部分がくっと締め付けられているような。
それでいてうっすらと、甘さを感じるような。
「ルキウス様は、王子様ではありませんわ。もちろん、アベル様とも違います」
「……うん、まあ、そうだよね」
「ルキウス様は、ルキウス様です。強さも弱さも、優しさも醜さも。無いものとせずに受け止め、私に見せてくださる、とても人間味に溢れた方。……簡単に出来ることではありませんわ。私はそんなルキウス様を、心より尊敬しております」
「マリエッタ……」
この、湧き上がる温かな感情の名前は、まだよくわからない。
だから私は正直に口にするまでだ。ルキウスならばきっと、正しく受け取ってくれるから。
刹那、どこからか吹き降りてきた柔い風が、私達の間を駆け抜けた。
銀の髪が踊る。途端、私は気づいてしまった。
(――ルキウスの耳、真っ赤だわ)
数秒遅れて、彼の頬までもが朱に染まる。
(え、これはもしかして、照れて……?)
「ああ、そうだね」
ルキウスが天を仰ぐようにして顔を覆い、息を吐き出す。
それから私へと顔を向け、心底愛おし気な微笑みを浮かべた。
「僕は、僕だ。ありがとう、マリエッタ」
「――っ!」
(ど、どうして……!)
どうして私はこんなにも、胸がドキドキしているのだろう?
私が一番に恋焦がれているのは。婚約を願っているのは、アベル様のはずなのに。
「聖女祭、今年もエスコートさせてくれるよね?」
「しっ、しかたありませんわねっ! 聖女祭までに婚約を破棄してくださらないのでしたら、ルキウスにお願いするしかありませんもの」
「ふふ、楽しみだねえ」
私は戸惑いを押し込めるようにして、バスケットからサンドイッチをもうひとつ手に取る。
口に含んだ木苺のジャムは慣れたそれよりも少しばかり甘くて、冷めた紅茶の渋みを優しく癒してくれた。