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「今日も暑いわね。気をつけて、いってらっしゃい」


いつもと同じ朝がやって来た。

慌ただしさの中、家族と朝食を済ませた沙羅は、政志と美幸を玄関で見送った。

やっと、ひとりの時間だ。


「さあ、やりますか」


エアコンを消して、風通しのために家中の窓を開け放つ。

蝉の鳴き声が、いっそう大きく聞こえ、思わず顔をしかめた。


「蝉の声で、余計に暑いわね」


首からタオルを掛けた沙羅は、作り付けのクローゼットを開ける。

むわっと籠った空気が動き、汗が吹き出す。それを肩に掛けたタオルで汗を拭う。


「ふぅ~、暑い、暑い」


湿気取りのパックを新しい物に取り替えてから、お目当てのボストンバッグを探し始めた。


「あれ⁉ 何の箱だっけ?」

枕棚の上にある小さな箱を見つけ、少しワクワクしながら蓋を開ける。箱の中身は、以前使っていた携帯電話だ。


「あー、この箱に入れたんだ。この機種、気に入っていたのよ。美幸が幼稚園通っていた頃で写真もいっぱい撮ったのよね」


カメラメーカーから発売された機種だけあって、写真が綺麗に写るのだ。それに辞書機能やレコーダーとしての機能も優秀だったのを思い出した。懐かしい気持ちも相まって、取り敢えず、携帯電話の充電を始めた。


直ぐに違うことを始めてしまうのは、探し物をしている時の悪いクセだ。

もしも、小説の単行本が出て来たら、目的も忘れて読みふけってしまうだろう。

「これだから、主婦はお気楽って、言われるのよね」


自虐的につぶやいて取り出したのは、帰省のための荷物を詰め込むボストンバッグだ。


「まあ、帰省も家族のお勤めだと思って、がんばろう」


埃を払うようにバッグをポンポンと叩いて、ふと視線を上げた。

政志の背広が目に入り、クリーニングに出そうと思い立つ。ボタンやシミをチェックして、右のポケットに手を入れた。案の定、ハンカチが残っている。


「もう、いつも使ったら出してって、言っているのに」


文句を言いながら左のポケットに手を入れた。すると、出て来たのは、2枚のレシートだ。


そのレシートの明細を見た瞬間、沙羅は大きく目を見開いた。

心臓が早い脈動を繰り返し、胸が詰まるようで、酷く息苦しい。


「何よ……これ……」


1枚目は、シティホテルのレストランで、チャージ2名にコース料理とワイン、金額は3万6千円。


2枚目のレシートは、ブランドショップのロゴと支店名が印刷されている。そして、品番のアルファベットと数字、金額は12万3千円。

日付はどちらも2週間前だ。


すぐさまスマートフォンをポケットから取り出した。けれど、画面が小刻みに震えている。それは、沙羅の手が震えているからだ。

情けなさが胸を埋め、じわりと涙が浮かんでくる。

奥歯を食いしばり、やっとの思いで、ブランド名と品番を打ち込む。


検索結果は、女性向けのショルダーバッグ。


政志は仕事が忙しいと言って、毎晩遅く帰っていた。でも、実は高価なプレゼントを贈るような女と会っていたのだ。


「私の誕生日にさえ、こんなに高価な贈り物をしてくれた事などなかったのに……」


我慢していた涙がこぼれ、乾いた笑いが浮かぶ。


「あははっ、バカみたい。私って、お金の掛からない家政婦よね」


そう口にすると、悲しさ、悔しさ、あらゆる負の言葉が心の中でグチャグチャにかき混ぜられて、心が悲鳴を上げる。

胸の奥が絞られるように痛み、堰を切ったように涙が溢れ出した。


「何で……私、毎日頑張っていたじゃない」


結婚して13年、コツコツと積み重ねて来た信頼や愛情が、あっけないほど簡単に崩れて行く。

夫である政志にさんざん尽くして来たのに、軽んじられた自分があまりにみじめだった。


八つ当たりとばかりにボストンバッグを壁に投げつける。


「もう、いい。政志なんて勝手にすればいい」


沙羅は顔をあげ、鼻をすすりながら、手の甲で雑に涙を拭った。

窓をピシャリと閉め、エアコンのスイッチを押すと、エアコンの吹き出し口から流れる冷たい風が、紗羅を冷やし始める。


窓の向こうで、短い命を惜しむように蝉が鳴いていた。


ザーザーと洗面台の蛇口から勢いよく水を流し、沙羅は顔を洗い始める。

自分の何がいけなかったのか、これからどうすればいいのか、答えが分からない問い掛けを鏡に向かって繰り返し、涙を洗い流す。

鏡に映る自分の顔は、酷く疲れていた。


廊下の向こうでピンポーンと、インターフォンが鳴りだした。

昨日、真里に頼んだ荷物を宅配業者が持って来たのだと思いつく。沙羅はタオルで顔を拭いながら、インターフォンのモニタースイッチを押した。「はーい」と返事をして見たものの、モニターは宅配業者ではなく、若い女性を映し出していた。


「あの、何かウチにご用ですか?」

突然の来訪者に、沙羅は訝し気に眉をひそめる。

モニターの向こうの女性は、にらむような目つきで、口を開いた。


「片桐と申します。奥さまにお話ししたいことがあります」


それだけで、片桐と名乗った女の正体に察しがつき、沙羅の心臓はドクンと大きく跳ねた。

きわめて冷静を取り繕い、低めの声を出す。


「私、あなたと面識がございませんが」


「それでも、聞いて頂きたいお話しなんです」


「じゃあ、今お聞きします。話してください」


「モニター越しで、お話し出来る内容ではありません」


片桐の頑な態度に、紗羅はいらだち始め、それを抑え込むように息を吐く。


「じゃあ、この道を真っ直ぐ行った突き当りの国道沿いにあるファミレスで、話しを聞くわ。支度するから先に行ってください」


片桐を大切な家に招き入れるのには抵抗がある。それに、万が一トラブルになった場合を考えて人目がある方がいい。


「……わかりました。お待ちしています」


プッとモニターが切れると、沙羅は、あきらめに似た細い息を吐き出し、インターフォンのSDカードを抜き取った。


「これも証拠……よね」

蝉時雨 ~不倫のち不貞~

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