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*高校生設定
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「なあ、仁人」
「ん?」
「今日、なんかあった?」
放課後の教室には、俺と太智しかいなかった。 窓の外はもう薄暗い。 部活に行くやつも、帰るやつも、とっくにいなくなっている。
俺は鞄に教科書を詰めながら、太智を見た。
「別に」
「そっか」
それ以上、太智は何も聞かなかった。 こういうところが、太智らしい。
俺たちは、仲がいいのかと聞かれるとたぶん普通と答える。 一緒に遊ぶわけでもない。 毎日連絡を取るわけでもない。お 互いの好きなものに詳しいわけでもない。
ただ、付き合いが長い。 長すぎるくらい長い。 だから、たぶん。 俺のことを一番知っているのは太智だ。
俺が眠いときの顔も。 機嫌が悪いときに無駄に明るくする癖も。 本当に大丈夫なときと、大丈夫じゃないときの「大丈夫」の違いも。
「帰る?」
太智が立ち上がる。
「うん」
二人で学校を出た。 駅までの道を歩く。 俺たちはあまり喋らなかった。 でも、気まずくはない。 沈黙が苦しくない相手なんて、そう多くない。
駅に着くと、太智が足を止めた。
「俺、こっちやから」
「うん。また明日」
「……仁人」
「なに?」
「帰りたくないんやったら、帰らんでもええんちゃう」
心臓が、少しだけ跳ねた。
「……何それ」
「別に」
太智は笑った。
「なんとなく」
俺は笑えなかった。
「帰らないと、怒られるから」
「そらそうやろな」
「明日も学校あるし」
「うん」
「だから帰るよ」
「そっか」
それだけ言って、太智は自分の帰る方向へ歩いていった。 俺も家へ向かった。
玄関を開ける。
「ただいま」
返事はない。 靴を脱いで、自分の部屋へ行く。 鞄を置いて、制服のままベッドに座った。
静かだった。 静かなのに、家にいると息が詰まる。 何かされたわけじゃない。 怒鳴られたわけでもない。 ただ、ここにいると、自分が自分じゃなくなるような気がする。
「……帰りたくない」
誰にも聞かれないように呟いた。
その夜、眠れなかった。 スマホを見る。 太智とのトーク画面を開く。 最後のメッセージは、数日前のどうでもいい会話だった。
「明日、数学小テスト」
「終わった」
そんな程度。 俺は文字を打って、消した。
『今日さ』
また消す。
『夜逃げしちゃおっか』
打ってから、しばらく画面を見つめた。 馬鹿みたいだと思った。 俺たちは高校生で、金もない。 行く場所もない。 夜逃げなんて、ドラマの中でしか聞いたことがない。
送信ボタンを押す。 既読は、すぐについた。
『どこ行くん?』
思わず笑った。
「そこ聞くんだ」
『知らない』
『お金は?』
『ない』
『じゃあ無理やん』
「……だよね」
スマホを伏せる。 やっぱり馬鹿みたいだ。 そう思っていたら、また通知が鳴った。
『でも、今日なら行けるで』
画面を見つめた。
『ほんまに?』
『うん』
『なんで?』
しばらくして返信が来る。
『仁人が行きたいって言うたから』
たったそれだけだった。 俺はしばらく画面を見ていた。 泣きそうになった。 でも、泣かなかった。
『じゃあ、行こう』
送信する。
翌朝 駅に着くと、太智がいた。 小さなリュックを背負って。 俺を見るなり、少し笑う。
「ほんまに来たんや」
「太智こそ」
「俺は行くって言うたやん」
「……そうだね」
「で?」
「なに?」
「どこ行くん?」
「知らない」
「はは。決めてへんのかい」
「太智が決めてよ」
「なんで俺やねん」
「俺よりしっかりしてるから」
「それはないわ」
二人で笑った。 行き先は決まっていない。 帰る場所も、今は考えたくない。
ただ、電車が来た。 俺たちは顔を見合わせる。
「乗る?」
「乗ろか」
電車に乗った。 窓の外の景色が、少しずつ知らないものになっていく。
太智が隣で欠伸をした。
「眠い?」
「そら昨日あんま寝てへんからな」
「俺も」
「仁人は昔から寝るの下手やもんな」
「…そんなの覚えてる?」
「覚えてるで」
太智は窓の外を見たまま言った。
「何年一緒におると思ってんねん」
俺は、少しだけ笑った。 知らない町へ向かう電車の中、 なぜか、今までで一番安心していた。
着いた駅には、知らない名前が書いてあった。 俺たちはホームに降りる。
「……どこ?」
「知らん」
「どうする?」
「歩く?」
「雑やなあ」
太智が笑う。 結局、二人で歩いた。
知らない商店街。 知らないコンビニ。 知らない公園。 全部が新しかった。
昼になって、コンビニでパンを買った。 ベンチに座って食べる。
「なあ」
太智が言う。
「ん?」
「楽しい?」
俺は少し考えた。
「うん」
「そっか」
「太智は?」
「まあまあ」
「なにそれ」
「俺ら、こういうの向いてへんやろ」
「確かに」
二人で笑った。
その日は何も特別なことをしなかった。 観光もしなかった。 海を見て、コンビニでアイスを買って、知らない道を歩いた。
夕方になって、海辺のベンチに座った。 空がオレンジ色になっていく。
「綺麗」
「うん」
「……帰りたくないな」
俺が言う。 太智は海を見たまま、
「うん」
と答えた。
「でも、帰らなあかんな」
「……うん」
現実は、どこへ行っても追いかけてくる。 逃げたからって、全部がなくなるわけじゃない。 俺たちは高校生で 明日も学校があって。 帰らなきゃいけない場所がある。
「ごめん」
俺が言うと、太智が振り返った。
「何が?」
「付き合わせて」
「別に」
「俺が勝手に夜逃げしようって言ったのに」
「うん」
「……怒ってない?」
「怒る理由ないやろ」
太智は笑った。
「俺も来たかったから来ただけや」
「なんで?」
「さあ」
少し考えてから、太智が言った。
「仁人が一人で行くの嫌やったんちゃう?」
俺は黙った。
「俺、別に仁人に興味あるわけちゃうで」
「知ってる」
「でも」
太智は海を見る。
「仁人が大丈夫なふりしてるときくらいは、分かるから」
胸の奥が、少しだけ痛くなった。
「……ずるいな」
「何が?」
「そういうの」
「何やねん」
「分かってるくせに」
「知らん」
太智は笑った。 俺も笑った。
夜になった。 帰りの電車を待つ。
ホームのベンチに座って、俺は太智の肩にもたれた。
「重い?」
「ちょっと」
「嘘」
「ばれた?」
「うん」
「昔からそうやもんな」
「何が?」
「俺が嘘ついたら、すぐ分かる」
「仁人の嘘、分かりやすすぎんねん」
「じゃあ、これも分かる?」
「何?」
「……ありがと」
太智は少しだけ黙った。 それから、
「うん」
と言い、仁人の頭をくしゃっと撫でた。
電車が来る。 二人で乗る。 今度は、帰るために。
窓の外を見ながら、俺は思った。 たった一日だった。 何も解決していない。 明日になれば、また嫌なことがあるかもしれない。 また帰りたくなくなるかもしれない。
それでも 今日、逃げたことを後悔はしなかった。 だって、逃げた先で知ったから。
世界には、帰りたくない場所がある。 でも同じくらい 帰りたくない夜に、一緒にいてくれる人もいる。
駅に着く。 改札を出る。
「じゃあ、また明日」
「うん」
「仁人」
「ん?」
「また帰りたくなくなったら言いや」
「……また夜逃げする?」
「今度はちゃんと計画立てよか」
「ふふ」
笑った。
「じゃあ、またね」
「またな」
それぞれの帰る方向へ歩いていく。 少しだけ寂しかった。 でも、さっきまでの寂しさとは違った。 俺には、また会える人がいる。 それだけで、ほんの少しだけ、明日が怖くなくなった。
そしてその夜、 家に帰った俺はベッドに座ってスマホを開いた。
太智から一件だけメッセージが来ていた。
『おやすみ。明日な』
俺は返信する。
『おやすみ。また明日』
送信して、スマホを伏せる。
今日、俺たちは夜逃げをした。 でも本当は、どこかへ逃げたかったわけじゃなかったのかもしれない。
ただ、 「帰りたくない」と言える相手が欲しかった。 そして俺には、そんな相手が一人だけいた。 太智だった。
コメント
1件
おお、すごくいい話でしたね…! 「帰りたくないんやったら帰らんでもええんちゃう」って太智が言うところ、あの温度感がたまらなかったです。何も大げさに言わないのに、ちゃんと仁人のこと見てるんだなって伝わってきました。 それに「『仁人が行きたいって言うたから』」――この返信で泣きそうになりました。たったそれだけなのに、どれだけ信頼されてるかってことですよね。 海辺のベンチで「帰りたくないな」「うん」とだけ交わすやりとりも、静かな切実さがあって胸に刺さりました。何も解決しない一日だけど、一緒にいてくれる人がいるだけで明日がちょっと怖くなくなる――その感覚、すごくわかる気がします。 寺島あおいとして、この“逃げた先で見えたもの”の描き方が本当に好きです。続きが気になりますね…!
#ysdjnt
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ヌシ
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