テラーノベル
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「……よし、これで全部ね。忘れ物はないはず」
深夜、月明かりだけが頼りの自室で、私は手元のリストに最後の一線を引いた。
乙女ゲーム『王冠と乙女の円舞曲』の世界。
その悪役令嬢、セシリー・ド・ラ・ヴァリエールに転生して数ヶ月。
私は今日まで、断罪という名の破滅へ向かうレッドカーペットを全力で逆走してきた。
ヒロインへの嫌がらせ?
そんな暇があるなら筋トレでもしたほうがマシ。
婚約者である王子への執着?
どうぞどうぞ、ヒロインと末長くお幸せに。
私は社交界の隅っこで「背景のバラ」の一部になりきり、徹底して存在感を消してきたのだ。
すべては、今夜のため。
パーティの喧騒に紛れて国を脱出し、隣国で「しがない平民の隠居生活」を手に入れる。
トランクには、血の滲むような思いで貯めた路銀と、裏ルートで手に入れた精巧な偽造身分証。
あとは、会場の隅からネズミのようにこっそり抜け出すだけ。
そう、完璧な計画だった。
神様だって見逃してくれるはずの、ささやかな逃亡劇のはずだった。
◆◇◆◇
パーティ会場は、熱気と虚飾に満ちていた。
高くそびえる天井から降り注ぐシャンデリアの輝きも、優雅に響くワルツの旋律も
今の私にとっては脱出を阻むノイズでしかない。
私はあえて流行から外れた、地味な濃紺のドレスに身を包んでいた。
夜の闇に紛れるための選択。
柱の影に身を潜め、衛兵の交代時間を頭の中でカウントする。
心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに鳴っていた。
(今よ。……今、庭園側のテラスへ抜ければ、待機させている馬車に……っ!)
意を決して一歩を踏み出した、その時だった。
「──隣国アステリア国王、フィンセント・ル・ヴォルガ・アステリア陛下のおなりです!」
空間を切り裂くような、重々しい先触れの声。
直後、沸き立っていた会場の空気が、まるで見えない氷に閉ざされたかのように一瞬で凍りついた。
ざあぁっ、とモーゼの十戒のごとく人の波が割れる。
その中央を、規則正しい軍靴の音を響かせて歩いてくる影があった。
輝くような金髪を夜会の灯りに煌めかせ、すべてを見透かすような冷徹な琥珀色の瞳。
原作ゲームにおいて、圧倒的な武力で周辺諸国を震え上がらせ
「冷酷な狂犬」と恐れられる若き覇王、フィンセント。
(こんな展開、あったかしら…)
全身の産毛が逆立つような嫌な予感がして、私は反射的に顔を伏せた。
呼吸を止め、気配を殺し、ただの石像になったつもりでさらに影の奥へと潜り込む。
通り過ぎて。
お願い、そのまま誰か偉い人のところへ行って。
必死の祈りも虚しく、軍靴の音が、私のすぐ目の前でピタリと止まった。
「ようやく見つけた」
低く、よく通る声。
甘い毒のように鼓膜へこびりつき、逃げ場を許さない響き。
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