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苦労の末に辿り着いた場所は、美しい白い花が咲き乱れる花畑だった。
崖の上から差す月明かりに照らされた花は、まるで自ら発光しているかのように、ほのかに輝いて見える。その様は現実とは思えないほど幻想的で、まさに伝承の花畑であると感じられた。
「この花は揺らすと鈴のような音が鳴るので、女神の楽器とも呼ばれています」
ルツィエが丁寧に説明したが、皇后は花のことなど一切興味がないようだった。
「花なんてどうでもいいわ。早く神宝花を顕現させる儀式を行ってちょうだい」
「……かしこまりました」
ルツィエは風向きを確認したあと、場所を移動し、持ってきていた白いベールを口もとにつけた。
それから足下に咲く白い花を数本摘んで、ふたつの花束を作る。それを片手にひとつずつ持つと、優雅な所作で手を高くかかげた。
「アンドレアス、もうすぐ神宝花が手に入るわ……!」
「ええ、これでやっと奴の魂を追い出せます」
「全てが終わったら、あなたを皇帝に即位させるわ」
「皇帝か……楽しみです」
あと少しで悲願が叶う。
そのことに胸躍らせる二人に、ルツィエが凛とした声で告げた。
「では、これから儀式を行います」
ルツィエがゆっくりとした流麗な動きで踊り始める。
この場所で音楽が演奏されているはずもないのに、ルツィエの舞を見ていると、まるで弦楽器の調べが聞こえてくるようだった。
ルツィエが両手を振るたびに、ふたつの花束からは鈴のような音が鳴り、宙に舞う花粉が月明かりに照らされて星屑のように煌めいた。
「これはこれは……魔性を感じるな」
アンドレアスの言うとおり、ルツィエの踊りは神秘的でありながら、その仕草や表情にはそこはかとない妖しさが感じられた。
アンドレアスも皇后もルツィエの踊りに惹き込まれ、目が離せなかった。しかしやがて皇后が先に我に返った。
「──ちょっとルツィエ、神宝花はいつになったら現れ…………カハッ……!」
ルツィエを問いただそうとした皇后が苦しそうに首を押さえる。
「い、息ができな……」
「母上!? どうなさったので──ガハッ……」
突然苦しみ出した皇后に驚いたアンドレアスも、すぐさま母親と同じように首を押さえて膝をついた。
「ル、ツィエ……お前……一体、何を……した……?」
アンドレアスが息も絶え絶えに尋ねる。
ルツィエは踊りをやめてベールを取ると、息苦しさに悶えるアンドレアスに艶めかしい笑みを浮かべて見せた。
「あなたたちに毒を吸わせました」
「ど、く……?」
そう呟いた直後、アンドレアスと皇后がその場に倒れる。
顔色は生気を失って青紫に変色し、意識も朦朧としている。このまま放っておけば、そのうち事切れるだろう。
「しばらく苦しみを味わいなさい」
この花畑一面に咲いているのは猛毒の「星鈴蘭」の花。
一見可憐で美しい花に見えるが、花も葉も根も全て毒を持っており、花粉を少し吸い込むだけで血圧の低下を引き起こして死に至らせる。
ルツィエは自分は花粉を吸い込まないようベールで防ぎ、皇后たちには風上から花粉を振りまいて吸引するよう仕向けたのだった。
皇后とアンドレアスに話した神宝花の伝承も、もちろん実際には存在せず、彼らをこの地に誘うための作り話だ。
だって、女神の加護である神宝花は、ルツィエの身の内に封じられているのだから。
(お母様は「泣かないで、笑いなさい」と仰っていたけれど、今はもう泣いてもいいわよね?)
神宝花を我が物にしようとしていた皇后は、もう意識不明で死の間際だ。そして、神宝花の力がなければ救えない大切な人が目の前にいる。
ルツィエは彼の身体の前で跪き、青褪めた頬を優しく撫でた。
「テオドル殿下、今助けて差し上げます」
不完全な術によって、この身体には未だにアンドレアスとテオドルふたりの魂が閉じ込められている。
しかし、禁術を解除してアンドレアスの魂を追い出せば、テオドルの魂だけを残すことができる。
「どうか戻ってきてください。もう一度あなたに会わせてください……」
ルツィエが一雫の涙をこぼすと、流れ落ちた涙が黄金色の花びらに変わった。
その小さな花びらから、花の女神の強大な神聖力が感じられる。
「女神様、どうか禁術を解き、邪な魂をお祓いください」
ルツィエが両手を組んで願いを捧げると、神宝花の花びらから黄金の光の帯が伸びてテオドルの身体を包んだ。
そして光の帯がひときわ強く輝き、弾けるようにして霧散したあと、テオドルの身体に血の気が戻り、彼の目がゆっくりと開いた。
「これは……夢じゃないのか?」
「テオドル殿下……よかった……!」
「ルツィエ王女……!?」
起き上がったのは、紛れもなくテオドルだった。
濁りのない綺麗な赤い瞳。
そして、突然抱きつかれて慌てるこの人がアンドレアスであるはずがなかった。
「テオドル殿下、もうあなたを苦しめる存在はいません。だから安心してください」
ルツィエの言うとおり、もうテオドルの身体を狙う者はいない。これからはテオドルとして生きていくことができるのだ。
しかしテオドルはそれを喜ぶより先に、ルツィエを見つめて悲しそうに眉を寄せた。
「……俺を助けるためにこんなことをさせて、申し訳ない」
アンドレアスがテオドルの身体の中で全てを把握していたように、テオドルもまた今までの全てを見ていたのだろう。
皇后とアンドレアスを罠に嵌め、星鈴蘭の毒を吸わせたことも。
ルツィエは控えめに微笑むと、首を振って謝罪を退けた。
「いえ、これは私のためでもあるのです。家族を殺め、祖国を滅ぼした者たちに復讐する機会をずっと待っていました」
「復讐……」
「はい、復讐です。恐ろしい女だと思いますか?」
「……いや。昔から美しい花には毒があると言う。その毒も含めて、俺はそなたを愛おしいと思う」
「テオドル殿下……」
思いがけない言葉にルツィエの頬が赤く染まる。
その可憐な頬に触れながら、テオドルが申し訳なさそうに懺悔した。
「……そなたに無理やり酷いことをしてしまった。俺が意識を取って代わられてしまったばかりに……」
きっと、アンドレアスがルツィエの唇を奪ったことを言っているのだろう。たしかにあれはテオドルの意思ではなかったとはいえ、ショックな出来事だった。
ルツィエがそう答えると、テオドルはますます落ち込んで悲痛な表情を浮かべた。
そんな彼を慰めたくて……いや、それ以外の理由も秘めながら、ルツィエが上目遣いでテオドルを見つめる。
「……それなら、テオドル殿下がもう一度やり直してくださいませんか? 今度は幸せな思い出となるように」
ルツィエのお願いにテオドルが息を呑む。しかし、ルツィエの表情からその想いと恥じらいに気がつくと、意を決したようにルツィエの水色の瞳を熱く見つめた。
「……そなたが望んでくれるなら」
テオドルがますます赤くなるルツィエの頬を慈しむように包み込む。
「愛している……ルツィエ」
テオドルの唇がルツィエのそれに触れ、ゆっくりと重なる。
今度は無理やりではない、お互いが想い合っての口づけ。
その温かで幸せな触れ合いに、ルツィエは辛く傷ついた心が癒やされていくのを感じた。