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朝起きて鏡を見ると大分目の腫れは化粧で誤魔化せるくらいまで引いていた。
いつも通り会社に行く準備をし家を出る。
その足取りは重いような、軽いような、なんとも言えない緊張感。
会社の前に着きフゥと深呼吸をしてからドアに手を伸ばした。
「あ、水野さん、おはよう御座います」
松田くんがいつも通り一番に出社していた事に風邪が良くなってよかった、とホッとする手前、松田くんのことを好きだと意識してしまったせいでいつもどうやって松田くんと接してきたのか分からなくなる。
ドッドッドッと心臓の音がうるさい。
(ど、どうしよう。今までどうやって松田くんと話してたっけ?)
「水野さん、顔赤いですけどもしかして俺の風邪が移っちゃいました!?」
近づいてくる松田くんに更に心臓の動きはさらに速くなり、全力疾走した後のように息が苦しくなる。
ギュッと目を閉じ落ち着け、落ち着け、と自分に暗示を開けているとコツンと額に何かが触れた。
バッと目を開けるとドアップの松田くんの顔が目に映る。
「んなっ!!!」
「熱は無いみたいですね、何かあったらすぐに俺に言ってくださいよ?」
「だ、大丈夫よ! 仕事始めるわよ!」
「はい」
(し、死ぬかと思った……)
ゾロゾロと他の社員も出社し仕事モードに切り替えなんとか昼休みまで耐えたけれど、同じ会社、隣の席、自分の部下で年下でイケメン。恋愛初心者の私にはやはりハードルが高すぎる。
一人で悩み抱えるにはもう耐えられず、とにかく涼子に相談したくてお昼休憩になった瞬間に涼子の手を引き会社を出た。
「ちょっと、真紀どうしたのよ!?」
「涼子~もう頭も心臓も全てがパンクしそうで……」
「あ~察した、とりあえずどっかでランチとろ」
「うぅ~……」
ファミレスに入り涼子はチーズハンバーグを、私はあまり食欲が無く軽く食べられるサンドイッチを注文した。
「んで、どうしたのよ?」
「涼子の言う通りになっちゃいました」
「まぁそんな事かと思ったわよ、ついに自覚したのね、松田が好きって」
「あーーー!! 言わないで! 誰かが聞いてるかも!」
「誰もいないわよ、自覚したなら早いじゃない、さっさと付き合えば?」
「そんな簡単に付き合えばって、できたらそうしてるよ~」
「松田はずっと真紀の事が好きなんだから、真紀が好きって言えばすんなり事がすむでしょ」
ごもっともな事を言われ返す術もない。
「だってずっと突っぱねてきたのに急に好きですなんて言えないよ~」
「ったく、何今更モジモジしてんのよ、真紀の悪い所は考えすぎるところ、本能のままに動きなさい」
「涼子……占い師みたいな言い方……」
考えすぎるか……橅木にも言われた事を思い出す。本能のままに動く。それが出来たらどんなに楽なんだろう。素直に好きって言う事がこんなにも難しい事だと三十歳になって気づくなんて思いもしなかった。
ランチを済ませ会社戻る途中、外の喫煙所で煙草を吸っている橅木と目が合った。
「真紀! 涼子!」
口にしていた煙草の火を消しこちらに駆け寄ってくる。
橅木はまるで母親のような優しいし目で私を見下ろしてきた。
「真紀、目の腫れ引いたな」
「昨日はお騒がせしました……」
「なになに~昨日何があったのよ」
「昨日久しぶりに真紀と昔よく行ってたバーに行ったんだよな」
「えー! ずるいじゃん! 今度はあたしも誘いなさいよ~!」
「はいはい、じゃ戻ろうぜ」
三人で会社に戻ると明らかにムッと膨れっ面な松田くんが目に入り、早歩きでこちらに向かってきた。
グイッと手を引かれ松田くんの方に引き寄せられる。
「ちょっ、松田くん、何よ」
「水野さん、今日一緒に帰りましょう」
涼子は面白いものを見ている顔でニヤニヤしているし、橅木もまたしても母親のように優しい笑顔でこちらを見ている。
「わかった、帰る! 帰るからっ」
「良かった、じゃ仕事しましょう」
満足したのか掴んでいた手をパッと離し松田くんは自分のデスクに戻る。
「松田、背中から嬉しいビーム出ちゃってるよね」
「ああ、さっきのも嫉妬心丸出しだし、真紀は愛されてんな」
「ふ、二人とも……面白がってるでしょ……」
「「あ、バレた?」」
涼子と橅木の声が見事に重なり、三人で笑う。少し、いや、かなり気が楽になった。
午後はまた商品開発部との会議を二時間、その後すぐにマーケティング部でどのように商品を広めていくかの会議。会議、会議、会議でかなり疲れが溜まる。
やっと仕事が一段落し、帰宅しようとした時には既に二十時を回っていた。
身体は疲れていたが、それよりも松田とこれから一緒に帰ると思うと疲れが吹っ飛ぶ……まではいかないが少し身体が軽くなる。
「水野さん、帰りましょう」
「あ、そ、そうだったわよね、帰りましょう」
そうだったわよね、とか言っておきながら本当はずっと気にしていた事は松田くんには気付かれていないだろう。
デスクの周りを片付け鞄を持ち松田くんの方を見ると、ニコニコしながら私を待つ松田くんが可愛くてこれがキュンなのか……と噛み締めた。
「お待たせ」
「じゃ、帰りましょう」
「ん」と右手を差し出してくる松田くんに流石にそれは会社内だしハードルが高すぎて「会社です!」と冷たく言い放ってしまった。もっと可愛い断り方があっただろう! と心の中で自分にツッコミを入れたけど、もう遅い。
会社じゃなければ、本当は手を繋ぎたかったなんて恥ずかしくて言えない。
二人で並んで会社を出て、駅に向かう。
今まで気にしていなかったのに好きと自覚すると松田くんの色んなことが気になりだしてきた。隣を歩く松田くんと私の身長差、多分三十センチくらいはあるだろう。顔を見上げると耳の少し下に黒子があるのを見つけた。
……触りたい。
(ひぃぃい、なんて破廉恥な事を思ってしまったの!!!)
「水野さんどうかした?」
「ええ!? な、何でもないわよ! 疲れてるのかな、ははは」
精一杯誤魔化す為に引きつった笑いになってしまう。こんな破廉恥な事考えてただなんてバレたら恥ずかしくてもう顔もあわせられない!
「たーいがっ!!!」
一度しか聞いていないのに忘れられない。あの撫でるように松田くんの名前を呼ぶ声。今一番聞きたくない声がキーンと耳に通り抜ける。目の前が一瞬で真っ暗になった。
「マコト!?」
……名前呼ばないでよ。
「待ってたよ~、一緒かえろ」
……一緒に帰ってるのは私なんですけど。
「あーじゃあ三人で帰る?」
……は? あんた何言ってるの?
プツンと張り詰めた糸が切れたように私の中の何かが勢いよく切れた。
「お二人でどうぞ、先に帰ります」
自分でも驚くくらい冷徹な声が出たと思う。
自分の身体が真っ黒い闇に飲み込まれていくかのようだった。私の心は昨日彼女を見た時からコップに入った黒いなにかが表面張力でギリギリ保たれているような状態だったのに、その黒い何かの表面張力はついに耐え切れず溢れ出す。もうこれ以上自分の中にある黒い何かを増やしたくない。
その場に居れず走って二人から逃げた。
彼女に対する嫉妬が溜まりに溜まって溢れ出した――
「はぁっ、はぁっ、ぐすっ、はぁッ」
次から次へと勝手に涙が溢れ出す。それでもこのどす黒くもやもやした感情を振り払うように全力で走った。
歩いている人をどんどん抜かし駅まで走る。
「え!? おい! 真紀!」
グッと腕を引かれ止められたがその腕は松田くんではなく橅木だった。
「うぅっ……なんで橅木なのよぉ……」
「お前松田と帰るんじゃなかったのかよ」
そのはずだった。
ついさっきまで一緒に居たのに。
一緒に帰るはずだったのに。
「ったく、とにかくこっち来い」
ボロボロに泣いてる私を道の端に寄せ橅木はスーツのポケットからハンカチを出し涙を拭ってくれた。
「……何があったんだよ」
「っつ……ごめん、何でもない……」
「水野さんっ!!!」
松田くんに呼ばれた気がした瞬間、私は橅木の腕の中にいた。グッと強く抱きしめられ橅木の胸に顔を埋める。
「んん……橅木どうしたの……」
「なぁ松田、お前も大事な後輩だけどな、真紀も俺の大事な同僚なんだよ、こう何回も泣かされちゃ俺も黙ってられねーよ?」
「泣くって……水野さんどうして……」
「お前はマコトちゃんを大事にすればいいよ、真紀は俺が大切にするから」
「……マコトちゃん?」
――聞きたくない。
「水野さん……こっち向いて下さい」
こんなグチャグチャな嫉妬でまみれた私を見られたくない。ギュッと力を入れ橅木にしがみついた。
「真紀は話す事なんて無いってよ、じゃあな松田、また明日」
橅木に肩を抱かれその場を後にし、電車に乗り込んだ。
松田くんがどんな表情でこちらを見ていたのかは分からないが、もし顔を見てしまっていたら酷いことを言ってしまいそうだった。
そのくらい私はマコトに嫉妬していた。
「橅木……ごめんね」
「何があったんだかさっぱり分かんねーけど、真紀がまた泣いてるってただことじゃ無いだろ、ほっとける訳ないだろ」
「……またマコトが来てた。さっきそこで会って一緒に帰ろうって、そしたら松田くん三人で帰ろうとか言うんだよ? 酷すぎるわよ……何が私のこと好きよ……」
「さっきは松田一人だったけど、まぁ確かに三人で帰ろうはデリカシーが無さすぎるな」
「もう好きになんなきゃよかったかな……」
好きと言う感情を知らなければこんな苦しい思いしなくて済んだのかもしれない。こんな黒い感情にまみれることも無かったのかもしれない。
「俺は今の真紀も好きだよ、やっと人間になったなって感じ」
「なにそれ! 元から人間なんですけどっ」
「ははは、今日は帰ってきちまったけど、明日ちゃんと松田と話せ、話さなきゃお互い分からないこともある」
「……話せるかな」
「嫌でも会社で顔合わせるんだから話せるよ」
「いや、それはそうなんだけど……」
あっという間に私の降りる駅に着いた。
電車から降りる際に「頑張れよ」と私の頭をポンと軽く叩いて笑顔で見送ってくれ、少しだけ気持ちが和らいだような気がする。