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その金曜日は、堀田と飲みに行く約束をしていた。行く先は彼女の知り合いがやっているというダイニングバーだ。前回二人で飲んだ時に堀田に誘われた店だ。
今日は定時で帰れそうだと思った矢先、なぜか電話が立て込んだ。私も堀田も他の面々も、手に受話器を持っている。
問い合わせ対応が終わり、私はふうっとため息をついた。堀田の状況はどうだろうかと隣の席に視線を飛ばす。彼女もちょうど受話器を置いたところだった。
「終わった?」
訊ねる私に堀田は頷く。
「なんとかね。そっちは?」
「うん。終わった」
堀田はやれやれといった顔で、腕を頭の上に伸ばす。
「じゃあ、もう帰れるね。この後は、予定通りということで大丈夫?」
「大丈夫だよ」
私たちはそれぞれに机の上を片づけて、席を立った。周りに帰りの挨拶をし、ロッカールームへと向かう。手早く帰り支度を済ませて、ビルを出た。並んで大通りを歩き、駅前にあるというその店を目指す。
「ここよ」
数十分ほど歩き、堀田はある店の前で足を止めて、重厚な雰囲気のドアを開けた。
彼女の後に続いて店に入って行くと、「いらっしゃいませ」と明るい声が出迎えてくれた。
「こんばんは。予約していた堀田です。二名で」
「お待ちしていました。窓際のお席にどうぞ」
店員に案内されて私たちは席に向かう。
椅子に腰を落ち着けると、堀田は慣れた様子でテーブル脇のスタンドに立てかけられていたメニューを取った。
「何にしようかなぁ。たまに白ワインでも飲もうかな。遠野はどうする?」
「そうねぇ。私も白にしようかな。グラスで頼むわ。あとは、パスタとかピザとか食べたいな」
「いいね。じゃあサラダはこれにして、あとは……」
料理を選んでいるところに、店員が水などを運んできた。お決まりになりましたら、の常套句を口にして去って行く。そこからあまり時間をかけることなく私たちは数品の料理を決めて、店員を呼んで注文を伝えた。
まずはグラスワインが運ばれてきた。二人して早速手を伸ばす。
一口飲んでグラスを置き、私は改めて店内をぐるりと見回した。すでに何組かの客がいる。その中に見知った顔を見つけて、私は小さく驚きの声をもらした。
それを聞きつけて堀田が不思議な顔をする。
「どうかしたの?」
「あぁ、うん……」
やや暗い照明の中、見間違えかもしれないと思いながら目を凝らし、やはり間違いないと確信した。堀田の頭の向こうに見えるカウンター席に、征也の姿があったのだ。今日は仕事が休みだったのかしらと思いながら、私は堀田に断りを入れて席を立つ。
「知り合いがいたから、ちょっと挨拶してくるね」
「分かった、行ってらっしゃい」
嬉しい偶然に私の口元は綻ぶ。表情はそのままに、私はそわそわした足取りで彼の方へと近づいて行った。
「征也君、こんばんは」
私の声に首を回し、彼は驚いた声を上げた。
「えっ、美祈ちゃん?びっくりした!」
「私も驚いちゃった。私は同僚と来てるんだけど、征也君は?今日は仕事が休みだったんだね。ねぇ、もし一人で来てるんなら……」
言いかけてすぐに私は口を閉じた。彼のすぐ隣に、グラスや取り皿などがもう一人分あることに気がついたのだ。
「あ、ごめんね。誰かと一緒に来てたのね。お友達と?」
「えぇと、まぁね……」
征也は気まずそうに、しかし目元を綻ばせて肯定した。
その表情の意味を確かめたくて、さらに訊ねようと口を開きかけた時だ。後ろの方で声がした。
「征也君、お待たせ。あら?お知り合い?」
その綺麗な声にどきりとし、私は恐る恐る振り返った。そこには、長い髪の女性が立っていた。緩やかに巻かれた髪やふんわりとした印象の装いは、デート用のものにしか見えない。
改めて征也に目をやれば、彼もまた、ソフトフォーマルとでも言うのか、私の目には新鮮なキチンと感のある格好をしていた。
嫌な予感がして、私の心は激しく揺れた。
征也は彼女に柔らかい笑顔を向けながら、私を紹介する。
「彼女は友達の妹さんなんだ。偶然この店に来ていたらしくてね」
「そうだったのね」
彼女はふんわりと微笑み、そして名乗った。
「はじめまして、片桐萌花です」
「あ、遠野美祈です……」
片桐はもう一度私に笑顔を向けてから、征也に声をかける。
「そろそろ行ってみない?」
「そうだね。歩くと時間的にちょうど良さそうだ」
彼女を見る征也の表情は、私が初めて見るものだった。優しいは優しいけれど、そこにあるのはもっと別の感情だ。愛おしいという気持ちが溢れている。二人の間に流れる親し気な空気は、身内や友達に対するものとは明らかに違う。
私の心臓は、今まで感じたことがないほどの重たい音を鳴らし始めた。
「じゃあ、美祈ちゃん、またね。ごゆっくり」
征也の声に我に返り、私は慌てて笑顔を貼り付けた。
「ま、またね。デートの邪魔してごめんなさい」
私としては、彼に鎌をかけたつもりだった。デートなんかじゃないよと言いながら、あははと笑う彼を見たかった。しかし、彼は照れた顔をして言う。
「全然、大丈夫だよ。偶然ではあったけど、美祈ちゃんに《《彼女》》を紹介できて良かった。じゃあ、また。あぁ、帰りはちゃんとタクシー使うんだよ」
「う、うん……。また」
すでに会計を済ませてあったのか、征也と彼女は仲睦まじく寄り添ってドアの向こうへと消えて行った。
私は笑顔を凍りつかせ、その場に突っ立ったまま、二人の後ろ姿を見送った。その間、頭の中では、征也が言った「彼女」という言葉がぐるぐると回り続けていた。征也に恋人がいる気配などまったくなかったのにと、私は自分の勘の悪さと思い込みを恨めしく思う。そしてまた、こんな形で征也の彼女の顔など知りたくはなかったのにと、唇をかんだ。告白する前に失恋するなんて、最悪だ。
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