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「はい」


電話に出ないと変に思われると思った空色は、震える声や涙を押し殺して電話に出た。


『あ、元気?』旦那の声は思いのほか大きく、俺まで聞こえた。


「うん。まあまあ」


でも少し声が震えている。必死にごまかそうと努力しているが、瞳からあふれる涙が見える。見ていられない姿だ。でも、俺だけは最後まで見届けようと思った。彼女の決意の強さを、この目で見ておきたい。



『そっちの調子はどうかな、って。これからライブのリハがあるから、もう電話できないし。その……声聞いとこうと思ったんや。詩音は元気?』


「うん。元気」


『そっか。もうすぐ詩音に会えるのが楽しみや! お父さんはライブ頑張るからって、詩音に言っといて』


「うん」空色は必死に拳を握りしめ、嗚咽を堪えていた。「……もうすぐ検査があるから行くね。ライブ頑張って」



俺が旦那に言ってやりたい。

ギターや夢、サファイアなんかより、空色の方が大事なら彼女の苦しみに気がつけよ、って。


いつもの明るい彼女と全然違うのに。

どうして気付かへんのや、って。


空色が、一人で泣いてる。


彼女のことが夢よりも大切じゃないなら、俺に譲ってくれよ。空色を絶対大事にするから。



誰よりもそばにいて、愛を囁いて、ずっと大事にするから――



『ありがとう。頑張るわ! 絶対成功させるから!!』


「うん。大成功祈ってる」


そこで空色は電話を切った。瞳からあふれ出した涙がスマートフォンを濡らす。


「律さん」


彼女にかける言葉が見つからなかった。なにをいってもチープになる。


「あの人、全然……気づいてなかったですよね? 光貴、これで……デビューライブ……頑張れますよね。……大成功、しま……すよねっ……?」


「律さんっ、貴女という人はっ、どこまで……――!」


彼女の健気さに絆され、思わず抱きしめた。「私だったら、律さんにそんな思いはさせないのに」



なあ、空色。お前が欲しい。

このままお前を、何処か遠くへ連れ去ってもいいか?



痛みも


苦しみも


なにもない


ここではない場所へ



俺(はくと)のこと、未だに好きだというのなら



俺が全部背負う



俺のすべてを懸けて、愛して、守ってやるから




俺と、このまま――











結局、彼女の新居まで車で送った。俺の欲をこんな時に押し付けられないし、一線を越えたりもできない。胸の奥底へ乱暴に自分の気持ちは押し込めて、彼女を送り届けた。


「こんな状態ですから、また改めてお礼をさせて下さい。たくさん助けていただき、本当にありがとうございました」


「礼には及びません。それより律さんが必ず無事であること、生息情報を必ず毎日連絡するようにお願いします」


「生息情報ですか。わかりました」


俺の冗談にほんの少し笑ってくれたので、こちらも笑顔を返した。

必ず連絡するという約束を取り付けた。心配だったけれど、これ以上自宅まで入り込んで彼女の傍にいるとは言えずに別れた。

自宅に戻っても空色の様子が気になって何も手につかなかった。

メッセージアプリを使って大丈夫か、と尋ねてみた。しかし既読はつかない。とにかく心配だった。


気が付くとあっという間に夕方を過ぎていた。もう外が暗くなっている。

空色が気がかりで仕方なかった。

安否確認という名目で電話してみた。声が聞きたい。どんな声でもいい。もしも彼女が辛くてひとりで泣いているなら慰めたい。


俺はこんな時でも、空色の心の隙に付け入ろうとしている――自嘲がこみ上げた。彼女に元気になって欲しい、笑って欲しいという純粋な気持ちだけではない。本当に俺は汚れてる。



彼女の一番大切な宝物を見送った、こんな時なのに。



ため息を吐いていると、握っていたスマートフォンが鳴り出した。ディスプレイに空色の名前――誰に見られてもいいように『律さん』と登録してある――が浮かんだので、慌てて応答した。


連絡があって嬉しい。ちゃんと生きてくれている――それだけで安心した。


「すみません、しつこくお電話をしてしまって。お休みかと思ったのですが、どうしても心配でしたので」


声が聞けて嬉しい。さっきまで一緒にいたのにもう会いたくなる。俺はこの邪な想いをどうやって墓場までへ持っていけばいいのだろう。

口を開けば「好きだ」と言ってしまいそうになる。我慢も限界に近いのかも。


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