テラーノベル
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5話
ドアを開けると、すぐに安心する匂いがした。
「ただいま」
「おかえり」
当たり前みたいに返ってくる声。
それだけで、胸のざわつきが少し消える。
「……早かったね」
「うん」
靴を脱ぎながら、少しだけ間があく。
「元彼、どうだった?」
キッチンから、何気ない声。
その“何気なさ”に、仁人は少しだけ救われる。
「なんかさ」
ソファに座りながら、苦笑する。
「変なこと言われた」
「へえ」
「勇斗が、裏でなんかしてたって」
一瞬だけ、空気が止まる。
でも。
「……なにそれ」
くすっと笑う声。
軽くて、いつも通りで。
「でしょ」
仁人もつられて笑う。
「びっくりした」
「信じた?」
「まさか」
即答。
迷いも、揺れもない。
その言葉を聞いて、勇斗はほんの一瞬だけ目を閉じる。
「よかった」
静かに言う。
「ちょっと怖いじゃん、そういうの」
「ならないよ」
仁人は首を振る。
「だって勇斗だし」
「……俺だから?」
「うん」
まっすぐな目。
「そんなことする人じゃないって知ってる」
その言葉は、疑いようがないくらい真っ直ぐだった。
少しの沈黙。
「……そっか」
勇斗は小さく笑う。
「ありがと」
「なんでお礼?」
「なんとなく」
それ以上は言わない。
言わなくていい。
夜。
「ねえ」
「なに?」
ソファで並びながら、仁人がぽつりと言う。
「さっきさ」
「うん」
「一瞬だけ、ちょっと考えたんだよね」
勇斗の視線がわずかに動く。
「……何を?」
「もし本当だったらって」
静かな声。
でも、すぐに続く。
「でもさ」
「うん」
「すぐどうでもよくなった」
「……どうでも?」
「うん」
少しだけ笑う。
「だって今、楽しいし」
「……」
「勇斗といる時間、好きだし」
その言葉は、飾りがない。
「それで十分かなって」
ゆっくりとした結論。
「過去がどうとかより」
「……うん」
「今の方が大事」
その一言に、勇斗は何も言えなくなる。
「変?」
「いや」
小さく首を振る。
「いいと思う」
本音だった。
少しだけ、胸が締まるけど。
「ねえ勇斗」
「なに?」
「もしさ」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「仮に、なんか隠してたとしても」
一瞬、時間が止まる。
「……」
「俺、多分許すよ」
優しく言う。
「それ込みで好きだから」
その言葉に、勇斗の呼吸がわずかに乱れる。
「……それ、ずるくない?」
「なんで?」
「なんでも許される気がする」
「いいじゃん」
笑う。
「その代わり」
「うん?」
「ずっと一緒にいてよ」
まっすぐなお願い。
「離れないで」
その言葉は、依存じゃなくて——
選んだ結果の“願い”だった。
「……うん」
勇斗は静かに頷く。
「離れない」
嘘じゃない。
もう本当に、そのつもりだった。
少しして。
「なんかさ」
仁人が肩にもたれる。
「安心する」
「うん」
「どこにも行かない感じがして」
「行かないよ」
迷いなく答える。
「仁人がいるし」
「……そっか」
目を閉じる。
「じゃあ大丈夫だ」
そのまま、小さく息を吐く。
「全部」
静かな部屋。
時計の音だけが響く。
勇斗は、その横顔を見つめる。
(言わなくていい)
(このままでいい)
そっと、髪に触れる。
拒まれない。
「ねえ仁人」
「……んー?」
少し眠そうな声。
「好きだよ」
「……俺も」
間を置かずに返ってくる。
それだけで、十分だった。
やさしい嘘は、もう嘘じゃない。
誰も傷つかなくて、
誰も壊れなくて、
ただ静かに、二人を繋いでいく。
気づかないままでもいい。
それでもこの関係は——
ちゃんと、幸せだから。
𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹
コメント
1件

え……めっちゃ好き…… 藍月さんの作品もっと読みたいです😭
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