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ギリセーフやね
前回の続きです😉
部屋の空気は、ひどく澱んでいた。
薬の匂いと、冷めた紅茶と、そして何より、“何もない空間”に向かって喋るカナダの声が、それをさらに重たくする。
「だめだよ、それは言っちゃ。お兄ちゃんは悪くないから……うん、そう……でも、もしまた言うなら――」
それを見ているだけで、胸が痛んだ。
アメリカは、何度目かの限界を迎えていた。
「なあ、それ、やめろよ」
声に、感情がにじんだ。
それでもカナダは、まるで子どもみたいな顔でこちらを振り返る。
「やめろって何を?」
「“あの人”の話。存在しないヤツと喋るの、やめろ。
いないんだよ、最初から。お前の妄想なんだよ全部!!」
カナダの目がわずかに揺れた。けれど、すぐにまた笑った。
その笑顔が、ひどく無垢で、痛々しくて、アメリカは目を逸らしそうになった。
「……妄想、って。どうして?」
「お前が壊れていくの、見てればわかるだろ……!
薬も増えて、眠れてない、ずっと幻覚と喋ってる。……それで“普通”なわけがないだろ!」
アメリカの拳が震える。
怒ってるのか、怖がってるのか、自分でもわからない。
「俺は……ただ、お前を戻したいだけなんだよ……ッ」
思いは本当だった。
助けたい。救いたい。大事な弟を。
それでも、その手が届くたびに、カナダは遠ざかる。
「じゃあ、お兄ちゃんも妄想なのかもしれないね」
小さな呟きに、背筋が凍った。
「僕がずっと愛してるって言ってた“お兄ちゃん”も、実は存在しないただの幻だった。
そういう可能性も、あるよね?」
「……お前、何言って――」
「でも違うよね。お兄ちゃんは確かにいる。今も僕の前にいて、
さっきからずっと“あの人”よりも僕のことを壊そうとしてる。お兄ちゃんの方が、怖いよ」
「怖い……?」
その言葉が、アメリカの胸に深く刺さった。
自分が、弟を“怖がらせている”。
それは、兄として、何よりも惨めだった。
「……だったら、どうすればいいんだよ。
もう、俺には……どうすればいいのかわからない……」
言葉は涙に濡れていた。
カナダはそっと立ち上がり、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
斧には触れない。ただ、やさしい足取りで。
「“いない”って言わないで。“見えない”って言ってよ。
そうすれば僕も、お兄ちゃんの言葉を『嘘』だと処理できるから。
お兄ちゃんが僕の世界を壊すのは、苦しいから」
そして、アメリカの胸元にそっと額を寄せてくる。
「お兄ちゃんが現実に引き戻そうとするたび、僕は息ができなくなる。
だから、ね。いっそ――」
「やめろ……」
「いっそ、ふたりで全部やめちゃえばいいんじゃない?」
「……やめてくれ、カナダ……」
「愛してるよ、お兄ちゃん」
静かに笑った。
やさしくて、冷たくて、そして……どこまでも取り返しがつかない目をしていた。
「でも君を壊すのは、多分僕なんだ」
その瞬間、アメリカは知ってしまった。
このままでは、“ふたり”とも戻れない。
それでも、手を離すことができなかった。
壁の隅で、“誰か”が嗤った気がした。
天使のような笑顔を浮かべた、化け物だった。
そして、カナダが囁く。
「大丈夫。次は、お兄ちゃんの番だよ」
闇の底へと引きずり込まれるように、静かに視界が落ちていく。
逃げる時間は、もう残されていなかった。
……あと少しで、世界はふたりきりになる。