テラーノベル
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三学期のある日、冷たい雨が降っていた。
放課後、文化祭のときの写真を探しに、ひとりで資料室に向かった。
照明も暗く、外の雨音だけが響く中、写真の箱を探していると、背後で扉の閉まる音がした。
「……先生?」
振り返ると、入口に先生が立っていた。
濡れた髪から水滴が落ちて、ジャケットの肩が少し濡れている。
「探してた。……あんまり遅くまで残るなって言っただろ」
低い声が、狭い部屋の中で響く。
近づいてくるたびに、心臓の鼓動が早くなる。
「……この前のこと、ずっと気になってる」
先生の声は、雨よりも静かに胸に落ちた。
あの日——泣きながら抱きついた自分の腕の温度が、蘇る。
「俺は……我慢するって言ったけどさ」
視線を落としたままの先生の言葉が、途中で途切れる。
「……我慢、できなかったら?」
ふいに顔を上げてそう言われ、呼吸が止まる。
次の瞬間、先生は一歩下がって距離を戻した。
「でも、やっぱり卒業まで我慢だ。……〇〇も、な」
その表情は決意に満ちているのに、瞳の奥だけが苦しそうだった。
その日から、距離は変わらないはずなのに、互いの存在が強く胸に残るようになった。
雨が止む頃、先生とすれ違うたびに、あの狭い部屋の空気を思い出してしまう。
放課後、校舎裏の空は淡いオレンジ色に染まっていた。
部活の片付けを終えて体育館を出ると、昇降口の前に先生の姿があった。
腕時計をちらりと見てから、こちらに気づく。
「おそかったな。……一人か?」
「はい。みんなもう帰っちゃって」
他愛のないやりとり。けれど、夕焼けの中で並んで歩くと、どうしても隣の横顔を見てしまう。
それに気づいたのか、先生は少しだけ視線を逸らした。
「……卒業、もうすぐだな」
歩きながら、不意に言われた。
胸の奥に、ずっとしまっていた寂しさが広がる。
「先生……」
名前を呼ぶだけで、喉が詰まる。
「この間の約束、覚えてるだろ」
——卒業まで我慢するから、お前も我慢しろ。
あの夜の言葉が、脳裏に響く。
「……でも、今日のお前見てたら、我慢って言葉がすごく遠く感じた」
夕焼け色の光が、先生の瞳を赤く染める。
その表情は、言葉以上に正直だった。
数秒の沈黙のあと、先生はほんの少しだけ手を伸ばし——
けれど、そのまま引っ込めた。
「……やっぱりダメだな。送ってく」
そう言って歩き出す背中が、妙に大きく見えた。
その日の空気は、夕焼けと一緒に心に焼きついたまま離れなかった。
そして、卒業式の日が静かに近づいてくる。
第14話
ー完ー
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