「きみ、誰?」
そう言った彼の声は敵意に溢れ酷く冷淡で、えらく不機嫌を露わにした表情であった。
天然でしっかり者で真面目で優しくて。
案外ノリのいい子供っぽいところもあって、けど一個違いでもやっぱり年上な面もあってすごく大好きな俺の運命の番はどうやら、
─────俺のことを忘れてしまったらしい。
忘愛症候群、クロノアさんが罹ってしまったのはその名の通り愛する人を忘れるという奇病だった。
これに罹ってしまった人は相手のことを忘れ、嫌悪してしまうというとても厄介な病気だ。
唯一の治療法は愛する者の死。
要は俺が死ねばクロノアさんの病気は治るらしい。
俺以外のことは覚えているし、彼も大人だ公私はきちんと分けることができている。
だから、活動としては問題ない。
あくまでも、活動の中だけだ。
配信などが終われば、俺は彼にとって途端に嫌悪する他人になってしまう為、接触を切られてしまう。
ただ、これもいつまで隠せるか分からない。
察しのいいリスナーは俺らのぎこちなさに気付くだろう。
それだけ日常組のことを見てくれているということなのだけど。
「……」
嫌われたままでもいいと思っていた。
俺だって死にたくはない。
けど…、
「(やっぱり、好きな人に嫌われるのってつらいな…)」
だけど、だからなんだというのだ。
俺がいなくなればいいだけの話なのに、
それでも───、
「嫌だ…」
嫌われたまま捨てられて俺じゃない人があの人の隣にいるのが嫌だ。
クロノアさんの傍にいられなくなるのが嫌だ。
俺が死ぬことによって全てを思い出した優しいクロノアさんが罪悪感に苛まれるのが嫌だ。
俺がいなくなってあの人を、みんなを傷付けて泣かせるのは嫌だ。
自惚れかもしれない。
それでも、クロノアさんをぺいんとをしにがみさんを、リスナーのみんなを。
こんな俺を受け入れてくれた優しい人たちを悲しませることが怖くて嫌だ。
Ωらしくない俺。
そんな自分の性を隠してきた俺のことをクロノアさんは、日常組のみんなやリスナーは受け入れてくれた。
バレたら日常組を抜けるつもりでいたし、なんなら死ぬ覚悟があった。
ただ、そんな俺の気持ちは杞憂で終わったのだ。
自分の性が知られてしまった時、終わったと思った。
弁明なんてする余裕も元々する気もなく、ひたすら流れていく様々なコメントを目で追っていた。
そしてそんな中、同時に言葉を発したのが3人だった。
『『『トラゾー(さん)はトラゾー(さん)だよ』』』
その重なる声に自然と涙が溢れて、子供のように泣いた。
流れるコメントも次第に変わっていく。
“その通りだよ!”
“トラちゃんはトラちゃんです!”
“大好きです、みんなあなたの味方だよ”
“つらいこと、こんな形でも教えてくれてありがとう”
など。
こんな優しい人たちに囲まれていいのだろうかと、夢ではないかと思うほどのコメントで溢れかえっていた。
『何も変わらない。トラゾーはトラゾーなんだから』
『そうですよ!寧ろなんか納得しちゃった感じです』
『それは分かる。なんかトラゾーって目が離せない?とこあるし』
『あー、確かに抜けてるとこあるもんなー』
『とんでもないボケかましますしねぇ』
『そういうとこもギャップで可愛いんじゃない?』
『おれ、かわいくはないです…っ』
コメントは可愛い可愛いで埋め尽くされる。
『ほら、トラゾーのことよく見てる俺らや、俺らのことよく見てるリスナーが言うんだから間違いねぇって』
『そうそう。可愛い担当の僕が見てもトラゾーさん可愛いと思います』
『うん、トラゾーは可愛いよ』
『元と現可愛い担当が言ってっし』
『おい!元は余計だろうが!』
いつも通りの掛け合いと笑いコメントをするリスナーたち。
この人たちといられてよかった、と心の底から思って感謝の言葉を言ったのは今でも記憶に残っている。
それがキッカケなのか今となっては分からないが、俺とクロノアさんの距離が少しずつ近くなっていった。
仲が近付くにつれ、αであったクロノアさんに酷い言葉を浴びせて傷付けたりもした。
自分の存在なんてとやっぱり自身を否定し続けもした。
それでも、そんな俺を彼は決して見捨てることなく何もせずただ傍にいてくれて。
時折、大丈夫だよと優しく抱きしめてくれた。
他のα…ぺいんとも信頼してる好きな人だから全く不快感はなくて。
それでもクロノアさんのそれはあたたかくて、優しいものだった。
しにがみさんはβでそういうのはないけど、同じく信頼する好きな人だから全然傍にいても嫌な気持ちにはならなかった。
俺もクロノアさんも他と違ったものを感じた時、彼は泣きながら俺の項を噛んでいいかを聞いてきた。
俺も涙が止まらなくて、小さく頷いたところまで覚えている。
いろんな葛藤をお互いに巡らせ、俺が絞り出せたのがその頷きだけだった。
余裕のないクロノアさんも小さく頷いた。
噛むよ、と震える声のあと、微かな痛みと多幸感に気を失い、それに包まれながら番は成立した。
普通の番より強固な繋がりで結ばれたのが”運命の番”。
そんな番に、俺は忘れられてしまった。
αの喪失はΩにとって何よりも耐え難い、死よりもつらいものである。
αは番を何人も作ることができる。
でも、Ωは番は1人しか作ることができない。
だからΩは運命の番を求めるのだ。
一生のひとりを。
「っ、!」
ぐるぐると回る気持ち悪さに口を押さえる。
そう、更に厄介で面倒くさいことに
「ゔっ、…ぇ゛…ッ」
俺の方は花吐き病を患ってしまったらしい。
どこで花弁に触れてしまったか分からないが、片思いを拗らせると花を吐くという病気。
正式名称は嘔吐中枢花被性疾患。
両想いになると白銀の百合を吐いて治癒するという。
「っ、ぐぅ…」
抑えきれず、花を吐く。
これが指し示す意味は…、
「は、はは…っ」
クロノアさんは俺のことが好きではないということ。
俺の一方的な想いになっているということ。
「(当たり前か。…俺のことを忘れてるんだから…)」
いや、正確には嫌いになっている。
その受け入れ難い事実に嘔吐感ではないものが込み上げた。
物理的にも心理的にも喉が詰まって息をするのも苦しい。
「…何が、運命の番だよ…」
ボロボロと落ちる涙を拭ってくれる人は傍にいない。
「うそつき…」
『ずっと、好きでいる。愛してる』
「……うそつき」
自分の周りに散らばる白と黄色の花弁たち。
それを見て俺は自嘲した。
白…私を忘れないで、失われた愛
黄色…望みのない恋
コメント
4件
メモに中途半端に書き残していた話で…。 ただ、ずっと書きたいと思っていたものではあるので遅くなるかと思いますが続きも読んでもらえたら幸いです。 ありがとうございます(*´-`)
オメガバースもの!?✨️と歓喜と同時にクロノアさんとトラゾーさんが奇病にかかってしまったという不安が…今後どうなっていくのか楽しみです!