「アーカードさん、すみませんがご同行願います」
雨の中訪ねてきたのは、奴隷兵たちだった。
時刻は夜の12時に差し掛かろうというところだ。
書斎の明かりが零れているのを見て、直接ここへやってきたらしい。
「今、何時だと思っている」
「早急に伝えよとの皇帝陛下の命で」
皇帝の命だと。
一体、どういう理由で。
「ハガネ様が、執政官の首を斬ろうとされたのです」
一瞬で眠気が消し飛び、冷や汗が出る。
「すぐに行こう」
オレは広げていた地図を懐へ入れると、奴隷兵と共に宮殿に向かう。
皇帝の配下を勝手に殺そうとした?
ハガネは元々殺傷癖のある奴隷だ。
まだ9歳であることを考えると、感情を制御できずに暴走する可能性がある。
奴隷兵をまとめる奴隷頭となったことで分別がついたかと思っていたが、まさか。
急ぎ到着すると、案内された宮殿の大広間は騒然となっていた。
部屋の隅に寄り、息を潜める人々。
その目線の先では12人がけの丸テーブルが粉砕されていた。
近くには、首なし死体が転がっている。
いくつもの丸テーブルと料理を見るに晩餐会か何かだったのだろう。
吹き飛ばされ、残骸となったテーブルと椅子。
爆心地たる広間中央に立つハガネが、一段高い位置に座る皇帝を見ていた。
あろうことか、血濡れのハガネの右手には魔法剣が左手には執政官らしき初老の男の生首が掴まれている。
間に合わなかったか。
「み、みみみ、水です! 大桶と水を持って来ました!」
奴隷兵たちが震えながら、桶をハガネの横に置き、次々と水を入れていく。
皇帝とハガネは黙ったままだ。
十分に貯まった水にハガネが生首を沈めた。
すると。
ギィ、ギィィ。
溺れ苦しむ声と共に、生首から虫が湧き出てきた。
怯え悲鳴を上げる人々とは対照的にハガネは冷静だった。
「【震えよ《シェイカー》!】」
振動する魔法剣が飛び立つ羽虫をなぎ払う。
幅広の剣脊で正確に捉え、振動で消し飛ばしていた。
ブブブブブブ!!
その隙を突くように、執政官の首なし死体から大量の虫が飛び立つ。
脳を食い、人を操る虫。
そんなものが帝都に放たれれば民は恐慌に陥るだろう。
「【跪け、頭を垂れよ《オロ・スプルーグ》】」
皇帝の第五重力魔法が逃げ惑う虫を執政官の死体ごと押しつぶす。
悲鳴を上げる時間も与えず、瞬時に圧殺していた。
よく見ると、石材でできた床が潰れている。
この重力魔法を人の身で耐えられるとは思えない。
「奴隷頭ハガネよ、なぜわかった」
「戦場から帰還した執政官に不審な点でもあったか?」
皇帝の問いにハガネが答える。
「あの執政官は外部からの刺激に対して、反応が鈍かったのです」
「死に際の生き物によくある挙動です。おそらく脳を虫に食われて帰ってきたのだろうと当たりをつけました」
ハガネの悪癖。
夜な夜な帝都を徘徊し、小動物を殺し回る癖がなければ看破できなかった。
人は善良で正しくあればすべてが解決すると思いがちだが、現実はそうはいかないらしい。
「ハガネには後で褒美を取らせよう」
皇帝の言葉にハガネが少し驚いていた。
ハガネからすれば、当然のことをしたまでだったのだろう。
一瞬、ハガネとオレの目が合う。
血濡れのハガネは誇らしげに笑っていた。
オレは少しでもハガネを疑った自分を恥じる。
もう、ハガネは殺人衝動に引きずられるだけの幼女ではないのだ。
自らにかけられた呪いを利用し、大胆な最善手を打てる。
立派な奴隷頭だ。
「そして、その首は回収する」
皇帝が重力魔法で執政官の首を浮かせ、結界魔法で封印を施す。
生首の中に潜んでいた数匹の虫が外に出ようとするが、結界に弾かれて出られない。
「これを調べれば、解決の糸口も見つかろう。結界魔法で防げることもわかった。結界師を動員して帝都を防衛させる」
皇帝のパフォーマンスに壁の隅に避難していた人々が「おお」と声を上げる。
服装を見るに上流階級なのだろうが、呑気なものだ。
おそらくこれで虫は帝都に入れないなどと思っているのだろう。
結界魔法など、外部から流入してくる商人や帰還兵に虫を紛れさせるだけで簡単に通過できてしまう。
商人と兵の流入を完全に止め防御態勢に入ることもできるが、オレが集めた食料も無限ではない。配給は3ヶ月も保たないだろう。
そんなことは皇帝も理解しているはずだ。
だが、幸いにして。帝都がいきなり虫に襲われて全滅する確率は低い。
ゼゲルの要求が人権を広めることである以上、帝都の民が全滅するような戦略を取らないからだ。
ゼゲルの目的は世界を滅ぼすことではないのだ。
もし、世界を滅ぼすことが目的なら、既に虫の大群をけしかけられて終わっている。
執政官を操り、宮殿内部で虫の脅威を知らしめたのは「お前らごときいつでも滅ぼせる」と威圧する為だ。
民も馬鹿ではない。
いずれは自分たちに差し向けられた脅威に気づくだろう。
可能な限り早急に、ゼゲルを仕留める必要がある。