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「あっ、昨日のお兄さんだ」
東山病院の正面玄関をくぐった美幸は声を上げた。受付総合カウンターのところに居る、慶太を見つけたからだ。
美幸の隣に居る貴之が、苦い顔をする。
「高良の御曹司が、何しに来たんだ?」
「あら、病院に来る人なんて、具合が悪いか、誰かお見舞いに決まっているじゃない」
あっけらかんとした藤井のツッコミに貴之は「うっ」と言葉を詰まらせた。
「それは、そうだけど。高良の御曹司が、|東山病院《ここ》に居るのがギモンなんだけど……って、美幸ちゃん、知り合い?」
と、貴之に尋ねられた美幸は、エッヘンと胸を張る。
「うん、お母さんのお友達だって」
「マジか……」
ポツリつぶやいた貴之の脇腹を、藤井は肘で小突きながらフフフと笑う。
「ご愁傷様」
「マジか!! えっ、だって……」
先日のパーティーで、高良慶太は立華商事のご令嬢をエスコートしているのをしっかりと見ている貴之は納得がいかない。
沙羅との関係を訝しく思い、普段優し気な瞳が鋭さを帯びる。
そんな貴之の横をスルリとすり抜け、美幸は慶太の元へと駆け寄って行く。
「お兄さん、こんにちは!」
横から急に声を掛けられた慶太は、一瞬驚いて目を丸くしたが、美幸に気が付くと、柔らかな笑みを浮かべた。
「こんにちは、昨日はありがとう。おかげでお母さんに会えたよ」
「良かった。遠くからお母さんに会いに来たんですよね。ありがとうございます」
「美幸ちゃん、本当にいい子だ。お母さんから美幸ちゃんの事、頑張り屋さんで優しいって聞いているよ」
慶太に褒められて恥ずかしくなった美幸は、「えへへ」と照れ笑いを浮かべる。
美幸の後ろに、朗らかな笑顔の藤井と鋭い目つきの貴之が現れた。
若干、カオスなメンバーに内心驚いた慶太だったが、それをおくびにも出さずに会釈をした。
「藤井さん、昨日はお力添えいただきありがとうございました」
「それで、無事会えたのかしら?」
藤井は目を細め、慶太の様子を窺う。
「はい、おかげさまで沙羅さんと話しをすることが出来ました」
昨日の余裕のない様子と違い、すっかり落ち着きを取り戻している慶太の様子に藤井はふたりを会わせたのは正解だったのだと思った。
「こんな所で立ち話をしていても仕方ないわ。沙羅さんのお部屋に行きましょう」
◇
沙羅は、午前中の診察で、胃カメラの検査結果の説明を受けた。幸い手術するほどの病状ではなく、投薬治療で対処出来るとの診断。
なので、早々に退院が決まったのだ。
早速、入院患者用のパジャマから洋服に着替え、お迎えを待ばかりの状態だ。
ドアのノック音に沙羅は「はーい」と返した。
その途端、開いたドアから美幸が飛び込んで来る。
「お母さん、退院おめでとう。紀美子さんの家まで、アッシーくんが連れて行ってくれるって」
「ちょっ、美幸ったら、急に飛びつたら危ないって、病院ではしゃいだりしないの」
「ごめんなさい」
美幸に飛びつかれ、ベッドに腰かけたまま焦る沙羅の目に、藤井と貴之がドアから入って来るのが見えた。
「だから、美幸ちゃん。僕はアッシーくんってあだ名じゃないから」
「あら、貴之はわたしのアッシーくんでしょう」
そして、一番最後に慶太がクスクスと笑いながら入って来た。
「みなさん、仲が良いんですね」
「そうだよ。沙羅さんや美幸ちゃんとは、僕は親戚だからね」
謎のマウントを取る貴之に、「ふぅ~」と呆れたようにため息を吐く藤井が慶太へ補足説明をする。
「沙羅さんが私の従妹姪で、貴之が私の甥に当たるのよ」
「母方の親戚とは付き合いが無かったから、まさかこの年で親戚付き合いが始まるとは思わなくて、紀美子さんと仲良くなれたのは凄く嬉しいです」
沙羅の言葉に同意とばかりに、美幸はパッと顔を上げ、今度は藤井に抱きついた。
「うん、紀美子さん、大好き」
「あらあら、嬉しいわね。わたしも大好きよ」
年齢の垣根を越えた、ふたりのじゃれ合いを見ているだけで、沙羅の気持ちは温かくなる。
そして、藤井から言われた養子縁組の話を思い出していた。
もし、藤井と親子関係になったなら、病気やケガに見舞われた際に、お互いを助け合う事ができる。それは、一方的ではなく、藤井が具合が悪い時に自分が助ける事もできるのだ。
もう一度、母と呼べる存在が出来るというのも良いような気がする。
美幸が嫌でなければ、ありがたい申し出を受けてもいいのだろう。
「沙羅、荷物持つよ」
慶太の声に沙羅の思考が引き戻される。
「ありがとう。でも、これだけなの」
と、紙袋を持ち上げる。
短い入院期間、買いそろえた物だけのわずかな手荷物。
「ん、でも俺が持つよ」
沙羅と慶太のふたりのやり取りを見ていた美幸が、不思議な物を見るような目をしていた。
「ねえ、お母さん。お兄さんとは高校が一緒だったんでしょう?」
他意の無い子供の言葉は時として、大人を追い詰める。
美幸の言葉に驚いて、沙羅は目が点になった。
「ええ、そうだけど。どうして、そんなことを知っているの?」
「昨日、お兄さんが紀美子さんに言っていたの。その時、お母さんの会いたい人がお兄さんだったって、紀美子さんが返事していたから、お兄さんにお母さんも会いたいと思うよって、言ったの」
美幸の返事で、この場に居る人の視線が一斉に自分に注がれているのが沙羅にはわかった。
自分の慶太の関係をオープンに訊ねられているのだ。
無垢な子供の疑問になんと答えていいのやら、沙羅の頭の中は大忙しのパニック状態。
「あっ、あのね。こ、高校の頃の同級生で、えっと……」
と、沙羅はしどろもどろで焦りまくりだ。
その後を引き取るように、慶太は低く屈んで美幸に視線を合わせ、ゆっくりと話し出した。
「美幸ちゃんのお母さんは、高校の頃にクラスが一緒で、僕の初恋の人なんだ。夏に金沢で再会して、頑張っているお母さんの姿を見て、できるなら支えたいと思ったんだ。美幸ちゃんのお話をお母さんからたくさん聞いて、美幸ちゃんともお友達になれたらと思っているけど、どうかな?」
慶太の告白に美幸は、きょとんと目を丸くした。
沙羅は、トクトクと早くなった胸の鼓動を感じながら、ふたりを見つめている。
美幸は、丸くしていた目を瞑り「うーん」と腕を組んで考えだした。
そして、薄っすらと瞼を開き、ジト目で慶太の観察を始める。
観察対象となった慶太は、優しくその様子を見守っていた。
その間、沙羅はハラハラドキドキだ。
慶太を上から下までくまなく見回した美幸は、難しい顔のまま口を開いた。
「母さんの具合が悪いのを知って遠くから会いに来るぐらい、お母さんの事が好きなのはわかりました。お母さんを悲しませないと約束してくれるなら、お兄さんと友達になっていもいいです」
「ありがとう。お母さんを悲しませないように努力すると、約束するよ」
「うん、約束ね」
そう言って、美幸は慶太の目の前に小指を立てた手を突き出す。
慶太は、美幸の小指に自分の小指を絡め、嬉しそうに笑う。
「ん、約束」
小指が絡んだ手を2.3回上下に揺らしてから、慶太と指を離した美幸は何かを思いついたように沙羅にしがみついた。
そして、そっと耳打ちする。
「お母さんの初恋の人って、もしかして、お兄さん?」
まさか、そんな事を言われると思ってもいなかった、沙羅は火が付いたように顔が赤くなる。
そして、美幸の耳に手を添えて、小さな声で囁いた。
「そうだよ。でも、ナイショにしてね」
秘密の話しが大好きな年頃の美幸は、ぱぁっと顔を輝かせ、興奮気味に返事をする。
「うん、ナイショにする!」
まったく、ナイショになっていない状態に藤井はクスクス笑う。
「あら、ふたりでナイショ話して、わたしは交ぜてくれないの?」
◇ ◇
リバーサイドにあるマンション最上階から見えるシティービュー、その先には丹沢の山々が見える。
藤井の家に戻って来た沙羅たちはアメリカンサイズのソファーに腰を下ろした。
「沙羅さんは座って居てね」
「はい、ありがとうございます」
と返事をした沙羅だったが、座っているとお尻がムズムズする。
病み上がりだから座って居るのは仕方ないが、気持ち的には動いている方が気が楽だ。
沙羅の代わりに藤井大好きっ子の美幸が立ち上がった。
「紀美子さん、わたしお手伝いします」
「あら、じゃあ、みんなのグラスを運んでもらおうかしら?」
「はぁい」
美幸のお手伝い宣言に藤井はニッコリと微笑み、ふたりでキッチンへ入っていく。
そのタイミングを見計らったように、貴之が慶太を険しい表情を向けた。
「高良さん、確認させてもらいますが、沙羅さんと付き合うなら立華商事のお嬢さんとの縁談は、クリアになっているのでしょうか? そこのところハッキリしてください」
貴之のいきなりのケンカ腰に沙羅は驚き、咄嗟に慶太の方へ振り返る。
慶太は落ち着いた様子で話し始めた。
「ご心配には及びません。先日のパーティーでエスコートをしていたのは、ビジネス上のお付き合いです」
このような返答には理由がある。当事者でないない浅田貴之に立華商事との縁談を慶太から断ったと話すのは、立華商事の面子を潰す行為になるからだ。
だが、貴之は納得がいかない。
「高良さんがそう考えていても、立華さんの方はTAKARAとの縁談に乗り気でしたよ」
「例えそうだとしても、浅田さんにご心配して頂くような事ではありません。業務提携の話しが誤解されて伝わったのだと思います。私は、誠実に沙羅さんとお付き合いさせて頂いています」
真っ直ぐに言われ、貴之は次の言葉が出てこない。
「僕はただ沙羅さんを泣かせる事が、無いようにと……」
貴之から、ようやく出た言葉に、沙羅は戸惑いつつも返した。
「貴之さん、ご心配頂きありがとうございます。でも、私も大人です。この先、自分の選択で泣くような事があっても、自分の責任で立ち上がるので大丈夫。……それでも、どうしようもなくなった時に、手を貸していただけるなら心強いです」
「もちろん、その時は手助けさせてもらうよ。……あの、余計な口出しをして、ごめん。妹が出来たようで嬉しくて、アニキ風吹かせた。本当にごめん」
「いえ、貴之さんは親戚のお兄さんですもの。子供の頃に会えていたら楽しい思い出がたくさん作れたと思います」
沙羅は、ふわりと微笑んだ。
その笑顔に張りつめていた場の空気が和む。
「おまたせしましたぁ」
威勢のいい声とは裏腹に、美幸はトレーの上で揺れるグラスを見つめ、ソロリソロリと足を進めている。
すかさず慶太が立ち上がり、トレーに手を伸ばした。
「美幸ちゃん、ありがとう。受け取るよ」
「はい、グラスを落としそうで、ちょっとドキドキしちゃいました」
キッチンからドリンクのボトルを抱えた藤井もやって来る。
「ねえ、飲み物は何がいいかしら? あ、沙羅さんは、ミネラルウォーターね。他の人にはジュースやノンアルもワインもあるわよ」
「お母さん、わたしがグラスに入れてあげる」
「ありがとう」
わいわい賑やかな空間。
大好きな慶太が居て、大切な美幸が居て、母のような藤井、それに兄ような貴之がいる。
沙羅は、幸せを感じていた。