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⧉▣ FILE_023: 再会 ▣⧉
──5月3日、13時過ぎ。
Aは、ウィンチェスターにある『ヴォクスホロウ研究所』へと足を踏み入れていた。そこはかつて、ワイミーさんが一部の研究を非公開で進めていた、いわば“裏の施設”だった場所。
現在は閉鎖され、ひっそりと存在しているだけのはずだった。
それなのに、Lからの通信にはこう書かれていた。
> L:「──第六実験室で会いましょう。私は、そこにいます」
Lから届いたその一文だけが、今のAを突き動かしている。
なんでこんな場所に……。
Aは研究所の扉を押し開けた。
「……ごめん、ください……」
──誰も、いない。
ギイ、と軋む音を立てて、入口の扉が閉まる。
Aは一歩、また一歩と中へ足を踏み入れた。
古い蛍光灯が、天井で不規則に明滅している。壁には退色した掲示物がいくつか貼られていたが、どれも十年以上前のものばかり。
時計の針は止まったまま。音もしない。人の気配もしない。
「……第六実験室って、どこだ?」
施設の案内図を探している、そのときだった。
「──ようこそ、A」
背後から、懐かしい声がした。
「……えっ!?」
反射的に振り返る。
そこに立っていたのは──
「──ワ、ワイミーさん……?」
白髪交じりの長身。優しい笑み。確かに、かつて“ワイミーさん”と親しまれていた人物だった。
「ああ……ワイミーさん!」
名前を呼んだ瞬間、身体が勝手に動いた。
Aは弾かれるように駆け寄り、その懐に飛び込んでいた。
胸元に顔を埋めた途端、懐かしい匂いが鼻をくすぐる。あの日と、何も変わっていない。頭を優しく包む大きな手のひらに、ぼろぼろと積み上がっていた時間が崩れ落ちていく。
「……ワイミーさんだ……! 嬉しい……また会えた……」
震える声が、こぼれた。
「なんで……ここに……どうして……」
こみ上げるものが強すぎて、言葉が追いつかない。嬉しさと、寂しさと、怒りと、安堵と──全部がぐちゃぐちゃになって、涙に変わる。
「……久しぶりですね」
ワイミーさんは、変わらぬ優しさでAの背中をそっと撫でた。その手に、こらえていた感情が決壊する。
「どこ行ってたんですか……っ……! 何も言わずにいなくなって……! ……みんな、みんな……心配してたんですよ」
「……すみません。驚かせてしまいましたね。私は、しばらくの間Lと共に、ハウスを離れていました」
「え、Lと一緒に……?」
そう言って、彼はふっと微笑む。
「ええ。彼には並外れた才能がありました。私はその才覚に賭けることを選び、彼の傍にいることを決め、今では“ワイミー”ではなく、“ワタリ”として、彼の支援に尽力しています」
「わ、“ワタリ”……!?」
Aは、目を見開いて言葉を失った。
今日一番の衝撃だ。
「ま、まさか……ワイミーさんが、あの“ワタリ”!?」
──Lのそばにいる謎の男。いつも情報を届け、影のように支える存在。それが、かつて自分達に勉強を教えてくれていた、あの穏やかなワイミーさんだったなんて──
思考が追いつかず、息を呑む。だが、目の前の“ワタリ”は微笑んだまま、懐かしげに言った。
「姿も名前も変えましたが、私の中で、皆さんへの想いは変わっていませんよ。A」
ワタリはそっと腕をほどくと、Aの頭をくしゃりと撫で、そのまま並んで歩き始めた。古びた廊下の床が、二人の足音をかすかに反響させる。
「──じゃあ、Lって……やっぱり、あの子だったの? 僕らのハウスにいた……」
ワタリは少し微笑んで、迷いのない声で応じる。
「そうです。“彼がLですよ”」
その一言で、脳裏に点と点が繋がった気がした。
「──やっぱり」
つぶやいたその言葉のあと、Aはふと視線を伏せて、ほんの少しだけ口元を緩めた。けれど、それは笑みというには照れくさすぎて──どこか、昔の記憶に触れるような表情だった。
「……ぼ、僕のこと、覚えてるのかな……」
Aは照れ隠しのように、後頭部をぽりぽりと掻いた。目を逸らしながらも、気にしているのが伝わってしまうその仕草に、ワタリは優しく目を細める。
「もちろん覚えていますとも。……むしろ、忘れるはずがありません」
Aが顔を上げると、ワタリは足を止め、廊下の静けさの中で続けた。
「Lが、ワイミーズハウスの中で最も信頼していた子供──それが、あなたでしたから」
その言葉は、不意を突くようにAの胸へ飛び込んできた。
「……僕が?」
信じられないような声が漏れる。
周りにはもっと頭のいい子もいた。冷静な子も、感情に流されない子もいたはずだ。なのに──なぜ、自分が。
「……な、なんか、照れるね」
Aは鼻先を指でこすって、ほんの少しだけ笑った。
思い出すのは、あの頃のこと──
──まだ自分が10代だったころ。
ワイミーズハウスに突如現れた“新入り”。年齢は近いはずなのに、どこか異質な空気をまとった少年──L。
誰とも遊ばず、誰とも親しくしない。おもちゃは独占、誰にも貸さないし、他の子たちはみな彼を避けていた。そんな中、Aだけは──当たり前のように、Lの面倒を見ていた。
誰も近づこうとしないその少年に、Aは一切の躊躇なく声をかけた。
返事が返ってこなくても、睨まれても、そばに座り、言葉を投げかけることをやめなかった。
Lは、それを明らかに鬱陶しがっていたし、その反応も、ちゃんと分かっていた。
それでも、僕はやめなかった。
Lが、このまま誰とも心を通わせることができず、“ここ”に自分の居場所を見つけられない未来が、現実になってしまうことが怖かった。
それが、確実にLを蝕むと、分かっていたから──彼を一人にしたくなかった。
同室の子供たちとうまく馴染めず、夜中、寒そうに膝を抱えていたLの姿を見かけたことがある。 そんな彼をAは自分のベッドに招き入れた。掛け布団を半分ずつ分け合い、抱きしめて眠った夜もあった──
──弟みたいだった。
小さくて、無口で、不器用で、でもなぜか放っておけない存在。
すごく、可愛がっていた。
あの頃の自分には、それが自然だったし、誰に褒められるでもなく、見返りを求めるでもなく、ただそこにいる彼を、大事にしたかった。
──まさか、その彼が、世界的Lになるとは思っていなかったけれど。
第六実験室に着くと、ワタリはためらいもなく端末を操作し、重厚な扉を開けた。扉の奥から、ほんの少しひんやりとした空気が流れ出す。
Aは少し身を引き、恐る恐る中を覗き込む。目を凝らしても、すぐにはLの姿は見つからなかった。
だが、ワタリは迷いなく部屋の一角へと進み、そのまま姿を消す。
──あそこに、いるのか。
Aは息をひとつ飲んでから、ゆっくりと後に続いた。そして──部屋の角を曲がったその先で、足が止まる。
そこにいたのは──
まるで時間が止まっていたかのような、あの頃のままの──『L』だった。
細くて、猫背で、膝を抱えるように椅子に座っている。だぼついた長袖のシャツ、無造作に伸びた黒髪、指先で唇をかすかに触れる癖……どれもこれも、変わらない。
「お久しぶりですね、A」
「やあ、L。……会えて嬉しいよ」
Aはそう言いながら、一歩、また一歩と近づいていった。Lは椅子から降りると、相変わらずの猫背のまま、片手を差し出す。細く白いその手に、Aはそっと自分の手を重ねた。
「L……大きくなったね。身長、伸びた? あは、こんな大人になってたなんて……」
Aは思わず照れたように笑いながら、Lの全身を見やる。幼い頃の面影を重ねながらも、その変化に驚き、そして何より嬉しそうだった。
「あなたこそ、大きくなりましたね」
その声を聞いたAは、ふと目を見開いた。
「……随分、声──変わったね」
LはきょとんとしたようにAを見た。
「もう、誰かわからないくらいだよ」
その一言に、Lの表情が一瞬だけ動いた。
「……そう、ですか? 自分では、あまり気づきませんでした」
「うん……大人になったね」
Aはほんの少しだけ笑って、肩の力を抜くように言った。
「──格好いいよ、L」
自然と言葉が落ちた。気負いも飾りもない。
Lは一瞬言葉を失い、視線を少しだけ伏せた後、ゆっくりと答えた。
「……反応に困ります」
Aはくすっと笑って、まるで子供に冗談を教えるような調子で言った。
「ありがとうって言っておけばいいのさ」
Lはそれには返事をせず、けれど口元にほんのわずかだけ、笑みのようなものが浮かんだ。
二人の間に流れる空気は、決して気まずいものではなかった。むしろ、長い時間を経た者同士にしか訪れない、確かな信頼の余韻だった。
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